最後の魔女4
「どうにか逃げおおせたか。遥にエリス以外の友人が居たことは喜ばしいが、それでももう少し友人を選んで欲しいな」
ビルの中腹、薄暗い資料室の片隅。ロッドの状態を確認しながら彼方がぼやく。
由愛から逃げ延びた彼方はこの部屋に未だ隠れ潜んでいた。
付近に由愛や他のウィッチが居る気配はないものの、このままずっと隠れ続けていることなど当然できない。
「当面の問題はこのビルからどうやって脱出するかになるが……」
由愛達が彼方をまだ追うつもりなら、ビルから出る瞬間を待ち構えている可能性は高いだろう。
いつもは少し歩けば人にぶつかるような七荻ビルだが、今日は人払いされているのか警備員一人見当たらない。何かのどさくさに紛れて逃げることも不可能だ。
「となると経路は窓しかないんだが……いや、途中で襲われなければいけるか?」
この階から地上までは優に百メートルはある。ここから普通に降りても間違いなく命はない。
だが幸いなことに、彼方はロッドを所持している。魔法で物理法則を制御すれば隣のビルまで飛び移ることぐらいは十分可能だ。
彼方はブラインドのかかった窓まで行くと、外の様子を確認するためにブラインドの隙間を僅かに広げる。
と、そこで彼方は慄いた。
窓の外、窓枠に張り付くような状態で、年若いだろう仮面の女性が逆さ吊りになっているのだ。
ひび割れた仮面を着け、着ているのはぼろきれのようなタキシード。ちらりと覗くその肌は擦り傷だらけだがきめ細やかで瑞々しく、スタイルは抜群にいい。
そして、その姿はまるで──
「ファントム……?」
彼方はその姿から連想される名を口にする。無論人影から返答は無い。
代わりに、引っかかっていた衣服の一部が破れ、目の前に居るファントムらしき人影が地上への落下をはじめてしまった。
「今助ける!」
彼方は間髪居れず動き出し、魔法を使って迷いなく窓ガラスを破壊する。
事態は一刻を争う。壊れた窓枠を蹴ってビルの壁面へ飛び出すと、魔法を用いて重力のベクトルを操作、加速しながら壁面を駆け抜ける。
自由落下を続けるファントムは既に彼方の目の前に居る。
──だが、助けに入るにはまだ早い。タイミングを誤ればそのまま地面に激突するか、周囲のビルを飛び越えて向こうの地面まで放物線を描くかの二択だ。
「ここだ」
壁から跳躍して人影を抱きかかえる。
間髪入れず、魔法を用いて更なる物理法則制御。緩やかに減速を開始。
予定通り隣接するビルの屋上へと着地すると、魔法だけでは殺しきれなかった残りの速度を自らの身体能力で受け止めた。
「ふう……大丈夫か?」
彼方は咄嗟の救出劇が全て計算通りに終わったことに安堵し、抱きかかえている少女に尋ねる。
「…………」
しかしファントムは何も答えない。
「大丈夫か? 怪我が酷いのか?」
彼方は彼女がまだ生きていることを確認して再度尋ねた。
「……いや、そうじゃないよ。突然のことで驚いているのが一つ。それともう一つは……君、こういう体勢が好きなのかい?」
凛としつつも恥ずかしげに言うファントム。
そこで彼方も気がついた。抱きかかえられたままのファントムは、所謂お姫様抱っこの状態になっている。
「む……すまん、必死で気が回らなかった。先に下ろしてから尋ねるべきだったな」
彼方はファントムをそっと下ろすとバツが悪そうに言う。
「いや、君を責めている訳じゃないよ。一応死なない程度の余力はあったつもりだけれど、助かったのは間違いないんだ。何より見ず知らずの人間を助けようとする心意気は好感が持てるね。ありがとう彼方君」
ビルの床にぺたんと座ったファントムが言う。
「俺の名前を知っているのか」
「七荻ビルなんて所に引っ掛かっていたんだからね。そこの次期総帥位は調べて来るよ」
「なるほど……。それで、どうしてお前はファントムのような格好をしてあんな所にぶら下がっていたんだ?」
「のようなというか……君の言うファントムが世間一般が最初に想像するであろうファントムなら、私は真似事でなく本人だよ」
「本人? なら余計に解せないな。あのファントムがそんなにボロボロになっている理由が分からない」
かつてファントムが近代兵器を瞬く間に蹂躙していった光景。それは彼方の記憶にも未だ鮮明に焼きついている。
そのファントムがボロ雑巾のようになっていて、挙句ビルにぶら下がっているなど俄かには信じ難い話だ。
「ウィッチと言えど体は普通の人間と同じだからね。庭園が無ければ怪我もするということだよ」
言って、ファントムは七荻ビルの方を向く。夜空を背負った七荻ビルはゆらゆらと蜃気楼のように揺らめいていた。
「中や表面からは全く気がつかなかった……。あれがお前の庭園という奴なんだな?」
「屋上でウィッチ達と争ってね。私と人類にとって少々不都合なことをされたから、私の庭園で封印を施したんだ。庭園は不可侵領域、それは逆にこれ以上ない強固な蓋にもなると言うことだからね」
「不都合……? それは」
「この星の支配者が人類からウィッチへと移ると言う意味」
彼方の問いにファントムとは違う声が答える。気が付けば二人の目の前には由愛と沙良が立っていた。
「ファントムも遥ちゃんのお兄ちゃんもいるー。沙良ちゃん、これは一石二鳥って奴だね」
「由愛、油断してはダメ。庭園なしの満身創痍でもファントムは恐ろしく強い。屋上のウィッチ達総掛かりでも勝てなかった。それにあの全断の剣は強固な庭園である叡智の塔を破壊するだけでなく、ウィッチから切り離せる唯一の武器」
「分かってる。だからお兄ちゃんは二の次、まずはファントムだよね?」
由愛と沙良が揃って武器を構える。
先程彼方を襲っていた時と違い、その眼光に慢心や余裕は全く無い。
「おやぁ、まだ戦えるウィッチが居たとはね。すまない、君を巻き込んでしてしまった」
「いや、謝るのは俺の方だ。あれは俺を追い回していた二人組みだ。巻き込んだのは俺の方だろう」
彼方はファントムの手を引いて抱き上げる。
「もう一度ですまないが逃げるためには我慢してくれ」
「んっ、いや、それは構わないけれど……。今度は私が居る、向こうは絶対に逃がしてくれないと思うよ」
ファントムがそう言うや否や、瞬間移動のように現れた由愛が大きく跳躍し、大斧を振りかぶった。
「死ねぇえええー! ファントムううう!」
ファントムの目の前に全断の剣が顕現し、そこに由愛の振り下ろした大斧がぶつけられる。
地鳴りのような音と共にビルが揺れ動き、彼方とファントムを大きく揺らす。
この二人が行っているのは一見すると原始的な武器によるぶつかり合い。だがその実、互いに世界を改竄しあっているのだ。言うなれば世界干渉権の奪い合い。
「君は力任せだねぇ。その尊大な態度共々好きじゃない」
「うがっ!?」
宙に浮いた全断の剣に打ち負け、由愛が大斧諸共に弾き飛んだ。
「逃がさない」
体勢を崩した由愛と入れ替わるように、沙良が手にした槍をファントムめがけて投げつける。
彼方はファントムを抱えたまま斜めに飛び退き、かろうじてそれを回避した。
「下ろしてくれて構わないよ。私を抱きかかえたままでは二人掛りの猛攻から逃げ切るのは無理だろからね」
「それでも見捨てる気にはなれなくてな。敵の敵は味方というやつだと思ってくれ」
抱きかかえる両腕に力を入れ、視線で沙良の動向を窺いながら彼方が答える。
「ふぅむ、君としてはなんとか私も助けて二人仲良く逃げたい訳だ。贅沢だねぇ」
「性分だ。すまない」
「大丈夫、その性分は嫌いじゃないよ。やっぱり君は好感が持てるね……昔話に聞いていた通りだよ」
再度槍を構えて迫る沙良をファントムは打ち出した剣で牽制する。
「それなら一つ君に尋ねたい。君は彼女達の攻撃を全て躱した上で、逆に手痛い一撃を与えられる自信はあるかな?」
「ロッドによる魔法ではウィッチの庭園を破れないという事を加味しなければ」
彼方にとって沙良と由愛は勝ち目のない脅威だ。だが、それはこちらに打つ手がなく逃げの一手であったからに過ぎない。
もし二人に庭園がなく、手にしていたのがただの槍と斧ならば何の脅威にもなりえない。七荻ビルで襲われた時に彼方はそれを確信していた。
「分かった。それなら私も君と一蓮托生する覚悟を決めよう。私を下ろしてくれたまえ、今度は彼女達二人に勝つためにね」
「一蓮托生か、その提案なら受けよう。しかし勝算はあるのか?」
彼方はゆっくりとファントムを下ろすと、かばう様にファントムの前に立つ。
「勿論。私もウィッチの端くれ、あっと驚く魔法のひとつやふたつは持っているさ」
「分かった、任せてくれ。ただ跳ね回るだけなら俺でもできるはずだ」
彼方はファントムに向けて小さく頷いた後、由愛と沙良の方へと向き直って臨戦態勢をとる。
「うん、一緒にこの窮地を切り抜けようか。さあ、そこの高慢なウィッチ二人、覚悟はいいかな? 開園の時間だよ」
凛然とした声でファントムが宣言する。
「沙良ちゃん、ファントムの奴やる気だよ。しかも開園だって、あいつの庭園は七荻ビルなのにね」
彼方達の様子の変化に、再度攻撃を仕掛けようとしていた二人が揃って足を止める。
口調は軽いが、その動きは彼方を襲っていた時と違って慎重そのものだ。
「甘く見られたもの。なら、叡智の塔に記された意思に基づいて私達の庭園を展開する」
「おっけー!」
「「開園!!」」