午後八時7
「君、こんな所で何をしているのかね」
更衣室から出て早々、彼方は後ろから声を掛けられる。
振り返ってみると、厳つい容姿の警備員が立っていた。
「こんな所? 特にやましいことはしていないですが……」
「総帥専用の更衣室から出てきてかね? まさか天下の七荻総帥を盗撮しようなどと不届きなことは考えていないだろうね」
「ああ、なるほど。いえ、決してそう言った行為はしていません」
警備員の言葉に彼方が焦る。
エリスの着替えで完全に意識から弾き出されていたが、そもそもここは遥専用の女子更衣室なのだ。理由なく彼方が居るだけで罪となる場所、状況的には申し開きのしようがない。
「とりあえず詳しい話は事務所で聞こうか。君は七荻の社員かね? まずは社員証を見せて貰おうか」
「いや、待ってください。中にやましい理由でないと証明できる人間が居ます」
早速犯人と決めつけている警備員に彼方が必死に弁解をする。
この警備員は最近入って来たばかりなのか彼方のことも知らない様子、だが幸いにも総帥である遥本人も更衣室に居る。遥達からここが現在貸し切られている旨を説明して貰えば疑惑は晴れるはずだ。
「カナ君なんだか騒がしいけれど何かあったの?」
そんな騒ぎを聞きつけ、更衣室の中からクラリーチェがやって来る。
「クラリーチェ、困ったことになった。場所が場所だけに俺が痴漢と間違われてる」
「ふぇ、カナ君が? あはは、いやぁそれはご災難ですねぇ」
クラリーチェは愉快そうに口元を押さえると、狼狽している彼方の前に立った。
「えーと、彼は痴漢じゃありません。彼は七荻総帥のお兄さんで、部屋では七荻総帥が作業中なんですよ」
「…………」
警備員は頷くことも返答することもなく、ただ虚ろな表情でクラリーチェを凝視している。
「よ……?」
その様子にクラリーチェは小首を傾げた。
「YO!」
直後、クラリーチェの目の前を警備員が振り回した警棒が通り過ぎる。
「YOYO! 白くなりゆく山際、ふぁんとむげっとだYO!」
警備員は先程とまるで違う口調でそう言うと、ふらふらとした足取りでクラリーチェとの間合いを詰めていく。
対するクラリーチェも警備員の様子に気圧されてゆっくりゆっくり後ずさる。
唖然としていた彼方だが、後退したクラリーチェが自らにぶつかって正気に返る。
ポケットから素早く万能端末を引き抜いて時刻を確認、時刻は午後八時一分。信仰時計が起動している時間だ。
「クラリーチェ、八時を過ぎている! 恐らく信仰時計の仕業だ!」
彼方はクラリーチェの手を引いて抱き寄せる。
間一髪、クラリーチェの目の前を力一杯振り抜かれた警棒が再度通り過ぎた。
「壁ニだめーじ、オオゥれべるあーっぷ。とむノぱわーガ六あっぷだヨウ」
頭がくらくらしそうな片言と共に、男は警棒を持った手をぐるぐると振り回す。
「とむ、とむ、とむ! ふぁんとおぉぉぉぉむ! れあどろっぷヨコスデース!」
「ひえっ!?」
彼方に強く抱き着くクラリーチェ。
「捕まっていろ!」
彼方は魔法を使って大気を振動させ、警備員を吹き飛ばす。
警備員は勢いよく吹き飛んで背中から床に倒れたが、ざっくりとだが衝撃の計算はしてある。大きな怪我はないはずだ。
「さあ、この隙に逃げるぞ!」
「う、うん!」
彼方はクラリーチェの手を引いて走り出す。
それに合わせて警備員も跳ね起きて獣のような咆哮をあげて彼方達を追いかける。
その咆哮に共鳴し、十字路の左右からも正気を失った人々が飛び出してきた。
「これは……確かにおぞましいな!」
「でしょ!? こんなサプライズを受けたら完璧にトラウマだよ!」
行く手を遮る社員をロッドで制圧し、彼方は走りながら現状を推察していく。
ロウフェラービルから七荻ビルまでの直線距離はロウフェラービルから彼方のマンションまでの直線距離よりも遠い。
信仰時計本体は分からないが、共鳴機関の効果範囲は機関を中心とした円になっている。
ならば彼方のマンションが信仰時計の影響を受けていなかった以上、当然七荻ビルも安全でなければならない。
しかし現状、七荻ビルは信仰時計の勢力圏内となっている。かと言って信仰時計が昨日一日で急激に勢力拡大したとも考えにくい。
ならば他に在り得る可能性は、どこかに共鳴機関の中継器となる魔法機関が設置された以外にはない。
「必要なのは高性能の中継器……丁度あるじゃないか、七荻ビルには!」
彼方はつい先日新型中継器の試作品が出来上がったことを知っている。
何しろ数日前まで彼方が行っていた仕事はその実験データの精査だったのだから。
「クラリーチェ、このまま三階に向かう。ついてこれるか?」
「うん大丈夫。でもロッドの限界が分からないから、そこら辺はカナ君に合わせるからね」
「分かった」
彼方はロッドによる魔法で自らの身体能力を強化、同時に万能端末で遥に連絡を入れる。
『お兄様、外が騒がしいようですがどうなさいました?』
「七荻ビルが信仰時計の影響下になっている。俺はその原因を確かめるために三階の開発室に行く、お前は予定通りに進めてくれ」
言いながら、彼方は目の前に立ち塞がる虚ろな目の社員を魔法で弾き飛ばす。
『なるほど……分かりました、後少しで着替えも終わるはずです』
「頼む、場合によってはウィッチとの交戦もあり得る」
階段を上ってくる人々を踏みつけるように乗り越えて、彼方は突き破った窓から外に飛び出す。
「この真下だ。妨害を掻い潜るよりこっちの方が断然早い」
魔法により重力を制御し、ビルの外壁を駆けながら彼方が言う。
「むうーっ、今日はスカートは止めておけばよかった!」
ひらひらと舞うスカートを押さえながら、顔を赤くしたクラリーチェもそれに続いた。
「大丈夫だ、俺は先んじていて見えないし見ない」
「逆にその反応も悔しいけど」
後ろで少しだけ不満げな声を漏らすクラリーチェを引き連れて、彼方は壁面を蹴りつけて真横に大きく飛び上がり、三階の窓を突き破って部屋へと侵入する。
「ここだ」
窓が突き破られたことで緊急のアラームが鳴り響く中、彼方は部屋の中を入念に見回す。
急く必要はない。アラームが鳴ろうが鳴らまいが正気を失った人々が駆け付けてくるのは同じだ。
「カナ君、中継器あった?」
「見当たらないな……。そこそこ大きくて重たい立方体の機械なんだが」
中継器が本来設置されていただろう場所には何もない。
やはり中継器は事前に持ち出されており、恐らくは七荻ビルとロウフェラービルの中間付近の何処かに設置されている。
「となるとセキュリティがある中、一人二人で運べるものじゃないよね。ロッドを使うか……ウィッチでも連れてなければ」
含みのある言い方をするクラリーチェ。
「気を使わなくてもいい。ウィッチを連れていた七荻源十郎が持ち出したと言いたいんだろう」
昨日、源十郎がわざわざ出向いたのはその為だろう。
パフォーマンスで彼方と遥の動きを引きつけ、裏では権限とウィッチを使って小細工を弄する。実に源十郎が好きそうな立ち回りだ。
「感心感心、ご明察。けど手を打つには少し遅かったねぇ」
扉から我が物顔で入って来たのは三人のウィッチ。その服装は魔法騎士団のものだった。
「魔法騎士団はライバル企業のスパイもするんだな」
「いやいや、うちのボスは馬鹿真面目だからそんなことはしないって。これはファントム案件による正当な権利ってお題目だよ。"自称"次期七荻総帥もその為の協力だと言ってたしね」
中央に立つ赤毛のウィッチが愉快そうに笑う。
「全く、そう言う企みを平然と言いふらせる神経が分からないな……」
呆れ顔を作った彼方が小さく首を横に振る。
「同感同感、大いに同情はするよ。でもこれボスの命令なんだよね、こっちもそれを存分に利用させてもらうしかないんだけどさ」
赤毛のウィッチ鋭くした視線をクラリーチェに向ける。
「さ、今夜こそはファントムの仮面を剥がせてもらおう! リズ、プラム、お仕事だ! ウィズダリアエースチームらしく派手に行こうか!」
クラリーチェが身を強張らせると同時、脇に控えていたウィッチが左右に跳ねる。
「いえぁーーっ! パーティだーっ!」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、プラムせんぱぁい! ヒルダ隊長と連携しましょうよ、連携!」
「クラリーチェ、じっとしていろ!」
室内で戦うのは不利と判断し、彼方はクラリーチェを抱きかかえて窓から飛び降りた。
目の前をリズと呼ばれた少女の短刀が通過する中、彼方は夜の道路へと着地する。
「クラリーチェ、大丈夫か?」
「うん、この前と同じで少しドキドキしたけど」
クラリーチェは彼方の首に手を回したまま地に足を付け、
「ほら、カナ君って普段は恥ずかしがり屋さんなのに、こういう時は平気でお姫様抱っこしてくるから」
回した手を離す間際、いつもより更に甘い声音でそう囁いた。
「いや、それは……」
言われてみればロウフェラービルの時もそうだったな、と彼方が思い返す。
「ほっしゃーっ! 一番槍は武士のほっまれ、だっけーっ!?」
だが、そんな雑念を抱いている暇はない。
彼方を追って飛び降りてきたプラムが脳天目掛けて槍を突き下ろしてくる。
クラリーチェがトンは彼方の体を押し、自らも反動を利用して彼方と逆方向に飛び退いた。
「ごめん、ちょっと君に雑念抱かせちゃった」
彼方とクラリーチェの間にプラムが割って入り、道路に槍が突き刺さる。
「次からは気を付けてくれ。どうもそっちが絡むとペースが乱れる」
態勢を立て直すと同時、彼方は全断の剣を構える。
「そうだね、もっとムードのある時にするよ」
ぐるんぐるんと槍を振り回すプラムから距離を取りながらクラリーチェが言う。
「プラムせんぱい出過ぎですからーっ!?」
続いて、両手に短刀を構えたリズが涙目で空から急襲してくる。
彼方は大きく一歩後退して小剣の射程から逃れる。
その目の前で小剣が十字に閃いた。
「動きが速い──!」
リズは着地と同時に身を屈め、飛び上がって右へ左へ短刀を閃かせる。
彼方はバックステップでそれを躱し、その態勢が立て直されないうちにリズが彼方の懐へと飛び込んでくる。
「ちぃっ、すばしっこいな!」
彼方は短刀に全断の剣を当てて相手のリズムを小刻みに崩していく。
「カナ君! 上、三人目が何か企んでる!」
その言葉に、リズを見据えたまま彼方が視線を滑らせる。
三人目、隊長と呼ばれていたヒルダが手にした棒を真横に振りかぶっていた。
「さぁて、先手必勝といきますかっ!」
「届くのか、あそこから!?」
彼方達との距離は優に数十メートル、届くのならば大問題だ。あのウィッチがかなり強いということになる。
因果調律鍵は投擲することもできる。しかし、世界干渉の起点となっているウィッチから離れればそれだけ威力は減衰されてしまう。投擲した場合の射程は精々十メートル程度だろう。
完全な遠隔攻撃は特殊な武器を用いれる上位ウィッチの特権。それでもクラリーチェのように自らと武器の発生地点をを完全に分離できる者は居ない。ファントムが未だに化け物と呼ばれ続ける所以だ。
「チェストぉぉっ!」
棒が一気に伸び、それと同時に手にしたウィッチが薙ぎ払う。
「なるほどそう来たか! それなら投擲する必要はないな!」
彼方は全断の剣でリズの短刀を大きく弾くと、ロッドによって強化されている身体能力を最大に活用して横に跳んだ。
彼方の真横を伸びた棒が通過し、背後にある雑居ビルに直撃する。
「さぁて、ここまではただの肉弾戦。ウィッチだったらここから先があるんだよねぇ!」
棒が直撃したマンションが巨大な手のような形に変化し、逃れた彼方を捕まえるように大きくその手を広げた。
「滅茶苦茶な!」
彼方は魔法を使って急ブレーキを掛け、巨大な手となったビルから逃れようとする。
しかし、そこに短刀を構えたリズが超高速で肉薄してくる。迂闊に動けばそのまま懐に入り込まれて縦横無尽に切り裂かれてしまう。
「おっとー! 盛り上がってるのはこっちかー!」
クラリーチェを追いかけていたプラムがこれ好機とばかりに身を捻り、彼方へ目掛けて槍を投擲しようと試みる。
「四つまとめては流石に──!」
集中砲火に晒された彼方が歯噛みする。こうも見事に連携されては反撃の糸口すら掴めない。
「大丈夫、カナ君! 飛び退いて!」
彼方が飛び退くと同時、手のように変化したマンションが蜃気楼のように揺らめいて元のビルへと戻る。言うまでもなくクラリーチェの庭園だ。
直後、彼方の目の前でひゅうと吹き荒れる白い風一陣。
飛び退いた彼方の懐に飛び込もうとしていたリズが景気よく吹き飛び、その横で再び槍を構えていたプラムが白い嵐に飲み込まれて世界への干渉権を失った。




