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午後十一時1


 プロローグ


「はあっ、はあっ……」


 午後十一時四十五分、街の大半がそろそろ眠りにつこうかと言う時刻。

 少女は息を切らせ、人気の無い通りを走っていた。

 すぐ近くには夜を忘れて人々が行き交う大通りがあるというのに、少女が走るこの通りだけは魔法でも掛かっているかのように人の気配がない。


 そこに居る人間は息を切らせて走る少女一人だけ。

 しかしそこに人は居なくとも、少女の後ろにはひたひたと忍び寄る怪異の影。


 その怪異はにやけた仮面に白いタキシード、その体は乱れた画面のように揺らめいてその輪郭さえも分からない。正体不明、神出鬼没、されど怯える少女の脳裏に浮かぶ名前がひとつ。

 それは誰もが知っている怪異の女王。国をも蹂躙して退ける最強の代名詞。新人類とも呼ばれるウィッチの頂点。


「ファントム……。どうして、どうして!?」


 春休みだからと夜遊びをしてしまった自分も悪かった。それは認めざるを得ない。

 でも、でも、いくら何でもその代償がこれだと言うのならあんまりだ。


 ファントム。そんな存在がどうして何の変哲もない自分を襲うのだろう。

 知らぬ間に何か怒りを買うようなことをしてしまったのだろうか。

 混乱する頭で幾ら考えてもその答えがなど出るはずもなく、怪異が手にする抜き身の刃が、追いつかれてしまった時の運命だけをはっきりと教えてくれていた。


 だから少女は必死に逃げる。もう春のはずなのに、吸い込む息は冬の名残を感じさせ、恐怖と共に少女の体を寒々と冷やしていく。

 少女は細い裏路地に逃げ、途中横目でその怪異がまだ居ることを確認して絶望、助けを求めて必死に走り続ける。

 怪異は人の居るだろう通りへの逃げ道を巧みに塞ぎ、少女は闇の深淵へと追い込まれるような錯覚すらしてしまう。


 そして逃亡の果て、裏路地の先には一人の少女が立っていた。


 クセっ毛気味の金髪をくるくると豪奢に巻いたその少女は、一目で分かる高貴さを醸し出していた。

 これが日中の往来ならば近づき難いと思ったかもしれない。だが、今は非常事態。少女は迷うことなくその少女に縋り付く。


「お、追われてるんです! 助けてください!」


 縋られた金髪の少女は冷ややかな眼差しで自らの胸に泣きつく少女を観察し、


「ふむ、これより先は信仰時計の範囲外じゃからの。逃げられても厄介じゃ、娘よ悪く思うでないぞ」


 とん、と縋る少女を突飛ばした。


 突飛ばされた少女はバランスを崩して道路に尻餅をつく。

 その背後、因果の刃が肩口から少女の体を貫いた。


「あっ……」


 少女は悩ましげに息を漏らし、びくりと体を仰け反らせる。

 直後、少女の体が糸を解かれた人形のように紐解かれ、夜の世界に真紅の花が咲く。

 その身を紐解かれた少女は細切れとも呼べないほどバラバラに分断され、その場に紅く広がった。


「どうじゃ?」

『……手応えは何もない』


 血溜りの上、返り血ひとつない純白のタキシードを着た怪異が、抑揚のない合成された機械音のような声で答える。

 どう見ても凄惨で生々しい光景、しかし不思議なことに漂う血の匂いは全くない。


「そうか、僅かな足掛かりにでもなればと思うたが、只人を解析しても事はそう容易くは進まぬか」


 金髪の少女は残念そうにそう言うと夜空を見上げる。

 月と共に夜空に浮かぶのは黄金の懐中時計。時刻は十一時十一分を指し示していた。


「やはり次世代種計画を完遂させるのに必要なのはウィッチの解析……可能ならば"本物"の解析が望ましいのじゃろうな。さて、どうやって引きずり出すか」

「…………」


 目の前の惨状を凝視して考えこむ少女だったが、無言で佇んだままの怪異に気が付いて苦笑いをする。


「そう気に病むでない。ワシはお主に未来を与える、他の何を踏み台にしてもじゃ」


 少女は決意を新たにするようにそう言うと、怪異と共に闇の中へと消えていく。



 ──やがて日付も変わった頃。


 少女"だったもの"だけが広がる裏路地で、紐解かれていた少女が時間を巻き戻したように元の姿に再び組みあがった。


「あれ……? 私はファントムに追われて……」


 少女はその場に座り込んだまま寝ぼけたように頭を振る。

 そして目の前に立っている人物に気がついた。


「気がついたようですね。もう心配しなくても大丈夫です、今後あれが貴方に関わることはないでしょう」


 お供を伴い目の前に立っていた黒髪の少女、遥が少女を見下ろして言う。


「貴方は……七荻魔女担当大臣!? 貴方が助けてくれたんですね!」


 自らを襲った災難を思い出し、少女が明るい表情を作った。

 ウィッチである彼女達がファントムを追い払ってくれた。そう少女は考えたのだ。


「いいえ、違います。そしてあれはファントムではありません」

「じゃあ、あれは……」

「今後貴方が関わることはないだろう出来事です。夜遊びの報いとして忘れなさい、それが貴方のためです」


 遥の威厳に気おされ、少女は頷いて押し黙る。


「綾音、彼女を送って行ってあげなさい。こちらはどうせ何も起こらない、私一人で十分です」


 遥は自らの後ろで珍妙なポーズを決めていたウィッチに指示を出し、少女はウィッチ先導の下に裏路地から大通りへと戻っていく。


 そうして一人残った遥は苦々しい表情で夜空を見上げる。

 夜空では月と星が瞬くだけで、先程有った黄金の懐中時計は影も形もなくなっていた。


「今回も午前零時をもって信仰時計は消失。しかし起動時間は日に日に増えている……。偽ファントム、お兄様の耳に届く前になんとしても解決しなければ」


 遥は空を見上げたまま大きくため息をつくのだった。




 第一章  午後十一時




「ねえ、彼方さん。大変な話を小耳に挟んだのだけれど」


 昼下がりのマンション。のどかな日差しが部屋を暖める中、エリスが落ち着きのない様子で彼方に話しかけてくる。


「すまない、仕事中なんだ。一刻を争う事態でなければ少しだけ待っていてくれ」


 デスクトップコンピュータの前に座った彼方は、手慣れた様子でマウスを弄りながらエリスの話を遮る。

 エリスはきょとんとした表情で動きを止めると、そっとディスプレイを覗き込む。

 画面にロッドの立体図が映っていることを確認すると、エリスは納得したように彼方から離れた。


「おいでエリス、あと少し待てば終わるらしいから。カナ君ったら仕事中は押しても引いても全然構ってくれないんだよ」


 最近の定位置となっているソファに腰掛けたクラリーチェは、胸元から取り出した小ぶりの懐中時計を見て時間を確認し、ソファの空きスペースをぽんぽんと叩いた。


「仕方ないわ。彼方さん、大昔に一度だけロッド関連のお仕事で失敗して、もう二度とお仕事で失敗はしないって心に誓ってるらしいのよ」

「へぇ、カナ君らしいねぇ」


 エリスがソファに座ると、クラリーチェはそれと入れ替わりに腰を浮かし、テーブルの上に広げられた情報誌の山から一冊を手に取った。

 テーブルの上に乗っているのは『春の行楽大特集』『絶景桜探訪』『恋人と行きたい春レジャー』などなど、彼方に構ってもらえないクラリーチェの露骨なアピールだ。


「そう言えばクラリーチェ、今日は懐中時計を持っているのね。お洒落だわ」

「んー、唯一の親の形見だから一応いつも持ってるんだよ。ただ、懐中時計を見せるコーディネートって結構難しいから、普段はバッグの中に入ってたりしてるの」


 言って、クラリーチェは再度懐中時計を取り出す。

 その古めかしい黄金色の懐中時計は小さいながら各所に精緻な細工が施され、美術品としても高い価値を持つことが一目で分かるような逸品だった。


「クラリーチェってそんなことまで考えてお洋服を着ているのね。私はそう言うのばあやに全部任せきりだから」

「もう、せっかくの美人さんが勿体ないねぇ。まあエリスらしくはあるけれどさ、もう少しそう言うことに気を遣ったらどうかな?」


 感心するエリスに、クラリーチェは仕方ないといった表情で苦言を呈する。


「うーん、そこは別に間に合っているからいいわ。それよりも私が気にしているのは、彼方さんに言おうと思っていた大変なお話なのだけれど」

「はいはい、大変なお話ねぇ。いいよ、私が先に聞きますよ。本当に大変なら横に居るカナ君も手を止めてくるかもしれないもんね」

「そうして貰えると助かるわ。丁度クラリーチェにも関わる話なのだし」

「ふぇ、私に?」

「ええ、ファントムが指名手配されたそうなの」


 真剣な面持ちをしたエリスの言葉に、情報誌のページをめくるクラリーチェの手が止まる。


「はあ、義妹さんったら何考えてるんだろうねぇ。何か要件があるなら私に直接言えばいいだろうに」


 そして、大して焦る様子もなく一笑に付した。

 ウィッチに関連する全ての事件は法の外にあり、国所属のウィッチ組織である魔女議会の管轄となっている。

 そして、そのトップである遥はファントムの正体がクラリーチェであると知っているのだ。本当に捕まえる気があるのなら指名手配など回りくどいことはしないだろう。


「ファントムを指名手配したと言っても、それは恐らくお前のことじゃない。最近噂になっている奴の方だろう」

「おんやぁ、カナ君お仕事はいいの?」

「ああ、ようやく終わった。待たせたな」


 仕事を終えた彼方はテーブルに積み重なっている情報誌を片付け、代わりに紅茶とクッキーをソファ前のテーブルに置きながら言う。


 近頃まことしやかに囁かれている噂話にこんなものがあった。『午後十一時十一分、血を求めたファントムが手にした剣で少女を見るも無残に解体していく』と。

 根も葉もなく無礼極まりない。初めてその噂を聞いた時、彼方はそう憤ったものだ。


「そうそう! いとこもその噂話をしていたわ」


 用意されたクッキーと紅茶を早速手に取ってエリスが頷く。


「いとこ? 義妹さんが指名手配の話をしていたんじゃなくって?」

「ウィズダリアのいとこが遊びに来た時そう言っていたの。遥ではないけれど彼女も魔法騎士団の団長をしているから信憑性はあるわ」


 北欧の国ウィズダリア。エリス母方の母国であり、エリスが王位継承権を持っている国でもある。

 そして魔法騎士団団長と言うのは、この国で言えば魔女議会の魔女担当大臣に相当する役職。つまり国に所属するウィッチを統括する立場ということだ。


「魔法騎士団長……ソフィア王女が来ているのか」


 ウィズダリアは奇跡を起こす初代女王が迷える民を救うために興したと言われている。

 最近の研究によるとその奇跡は因果調律(まほう)であり、初代女王は人類がウィッチとなる過程で現れた異能者であると言うのが定説だ。

 つまり王家からウィッチが誕生すると言うことは初代の再来を意味し、ウィズダリア王族はいつか自らの一族からウィッチが誕生することを心から望んでいる。


 しかし、現在王族内にウィッチは居ない。

 ……ということになっているため、ウィッチ覚醒の可能性がある年齢かつ最も王位継承権が高いソフィア王女がその役に就いているのだ。


「ええ、三週間ぐらい前からこの国に来て色々とお仕事をしているそうよ」

「エリス、さっきの話、遥には聞きに行ったのか?」

「行ったわ。でも私に言ってしまうと彼方さんに筒抜けになって、色々首を突っ込みたがるだろうから何も言わないって」


 エリスは拗ねるように頬を膨らめてクッキーを頬張る。

 エリスにしてみれば不服だろうが、現にその話も筒抜けになっているので遥の見立てに反論はできないだろう。

 そして、遥がそう回答をしたということは、実際に何か事件が起こっているという意味でもあった。


「たかが噂だと思っていたが……遥に魔法騎士団まで動いているとなると実害があるのは間違いないな」


 彼方は深刻そうな表情をして考え込む。ファントムとしてのクラリーチェと幾度となく共闘した彼方にしてみれば、ファントムの名を騙り悪事を働く者は見過ごせない。

 ここはファントムを騙る不届き者について独自に探りを入れるべきだろう。彼方は心の内でそう決意する。


「まあ、義妹さんに任せておけばいいんじゃないかな?」


 そんな彼方の決意を察したのか、絶妙なタイミングでクラリーチェが釘を刺した。


「私の所に義妹さんが来てないんだし、私は風評被害は受ける前提でファントムなんてものに扮してたんだからね」


 不服そうな彼方の表情を見たのか、クラリーチェはそう言葉を付け加える。


「むぅ……しかしな、ファントムとしてのお前とも行動していた身からすると、お前の功績が貶められているようで気分のいいものじゃない」

「私も彼方さんと同じ気持ちよ。クラリーチェはあんなに頑張ったのに、それが悪評で上書きされるのは愉快じゃないわ」

「んー、名声が欲しいんだったら、とっくの昔にこの星の支配者にでもなってるからねぇ。本当に私は気にしないから放っておこう、ね?」


 力説する二人にクラリーチェは苦笑いしながら言う。彼女にとってはありがた迷惑と言った所なのだろう。


「だが……」

「それよりも、ですよ。カナ君はお仕事で私をどれだけ放置したか知ってる? 私が気にして欲しいのはそっちの方です」


 それでも引き下がろうとしない彼方に対し、クラリーチェは威圧感を含んだ笑顔を向ける。


「それは……三日ぐらいだったかな。すまん、そっちも悪いとは思っている」

「そう? 私は大人しく待っていたんだもの。悪いと思ってくれているのなら、ファントムさんの話題よりもその埋め合わせが先決だよね」


 言って、クラリーチェは彼方が積み重ねて片付けた雑誌の束を横に滑らせて再び広げた。


「おでかけ、しよっか?」


 結局、クラリーチェの笑顔に押し切られ、彼方はクラリーチェとエリスを伴って出かけることになるのだった。


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