第二話:主役は、いつだって遅れて登場する
処刑場から出た直後にぶっ倒れた俺は、ディンが所属するギルドへと運ばれたらしい。
三日間を経て、ようやく目が覚めたのはほんの一時間前の事だ。起床時、隣でゴブリンが身の回りを世話してた姿を見た際はショックでまたまた倒れそうになったが、直ぐ駆け付けたディンにより何とか精神が静まった。
…… まったく、異世界というもんは心臓に悪い。起きている時間より倒れている時間の方が圧倒的に多いのはおかしい。
「ここよ、コウハク! せっかくの主役なのに、遅れちゃったじゃない!」
数歩先からディンが呼びかける。彼女の「コウハク」という呼び方は聞き馴れている「紅白」とは若干違う訛りがあって、未だにしっくりこない。
ディンドン・レイズ。通称、俺の「異世界の彼女」。
つまり、俺はこの世界に来た事がある――― となる。
そんな訳はない、と俺は頑なに思う。これまでの人生二十三年間、俺は確かに一貫して日本で過ごした。外国にすら行った事がない。
もしかして、記憶喪失でもしたのか?
ディンに説明を求めたが、ちゃんと話をする前に腹ごしらえするべきだと主張した彼女はギルドが贔屓にしている酒場で軽く飯を食おうと誘ってくれた。今はその道中だ。
難しそうな顔をしている俺を気にかけ、ディンはここまで話しかけてこなかったが、どうやら目的地に着いたらしい。
『ファミリア・バー』。年季の入った看板が酒場らしき建物の名称を明らかにする。
いや、建物と呼べるかどうか。大きさはあるが、四方を薄い木の柱で支えられた鉄製の建物。鉄製と言っても、軸となっている木製の骨格を数センチのアルミ製らしきプレートで覆っただけの即席改造に過ぎない。
他に人の気配がする場所は、地平線を見渡しても一切見当たらない。人で溢れ返っていた中心街と処刑上の広場とかけ離れた、まるで隔離されたような空間だ。
電気の恩恵を受けない反面、代わりに無数の星が曇りなく真上に輝く。残念ながら、そんな幻想的な風景を楽しめる精神的余裕は俺にはない。
「ほら、はやくはやく! みんな待ってるわよ!」
半ば強引に、ディンは俺を建物内へと押し込む。その先の景色に、心が大いに躍った。
外見が想起させる質素で古ぼけたイメージを裏切る、立派な西洋風の酒場が展開されていた。
入って間もなく、俺を外へと押し返さんばかりの歓声が沸き起こる。
「お帰りなさいませ、コウハク殿! 戻られたのですか、お待ちしておりましたよ!」
「コウハク様、お戻りになって安心致しました! あなたがいなくなって以来、ここ最近店番が退屈で仕方ないんですよ…… どうですか、再開を祝してここで一つ、入荷したばかりの新装備をぜひ――」
「お前さんの為に、北の山脈で立派に育て上げられた『主』を狩ってきたんだぞ、小僧! 存分に楽しんでいけ!」
「先程の処刑場ではあれだ…… 申し訳なかったな。お詫びに、今日は好きなだけ食え! 全部無料だ!」
人間と人外生物、誰一人も熱量に差別はなく歓迎の言葉を俺に向ける。処刑場の広場で見かけた者も大勢見当たる。
疲れがまだ十分に取れていないせいか、頭が一瞬くらっとなるが、拳を強く握りしめつつ根性で持ち堪える。倒れるのは、もううんざりだ。
「みなさーん、席にお戻りください! 彼と話したいのはわかるけど、まずは祝杯を!」
ディンの手拍子と指示を合図に、和気あいあいと仲良く席に戻る群衆。全員着席して間もなく、一挙数十杯に及ぶジョッキが空中へと掲げられた。
「では、皆さん。我ら転生者狩りの今後に――― そして我らの英雄、コウハクの帰還に―――」
『乾杯!』
無数のジョッキが宙を舞い、飛び散る泡が紙吹雪の様に祝杯を飾り付ける。それまで手付かずだった卓上の料理に、全員一斉に手を延ばしていく。大男達と魔物達は仲良く肩を組み、豪快に酒を飲み干したら幸福に満ちた溜息を吐き、食の山を食い尽くしながらむしゃむしゃと下品な音を散らす。
周りのどんちゃん騒ぎに追いつけず、俺は奥の席へと座り込み、一休憩する。
兎に角、考えを纏めたい。現状を理解したい。
処刑場でディンに救われてから数時間。何度も聞かされる「久しぶり」、「お帰りなさい」の意図は、一体何か。
そして、知りたい最重要事項は三つ。
「彼女」と名乗る隣りの少女は、何者なのか。
この世界では、「俺」は何者なのか。
そして、武崎芽吹、あるいは転生者達が何故狙われているのか。
…… 三つ目に関しては、どうしたらいいか分からない。
先日の出来事から、転生者に関する質問をするのは少々危ない気がする。
そもそも、「異世界の彼女」と言い張る女性に、「日本で彼女がいました、浮気してました☆」的な事を言えるわけがない。
せっかく処刑免除になったのに、あの広場に逆戻りするような真似は避けたいところだ。うまく誤魔化して、情報を引き出すしかない。
「ふふっ、ごめんね……色々と急すぎて、びっくりしてるでしょ?」
俺の困惑を察知したのか、少女は疑念を晴らそうと笑顔を絶やさない。
「私もすぐにでもちゃんと説明したいけど…… とにかく、まずはいっぱい食べて! 話はそれから!」
彼女が指さす先に広がる食卓は、まさに絢爛豪華そのものであった。
ボウルから溢れ返る、クリスマスツリーのように盛られたミニトマトとレタスのサラダ。半ば飲み干された無数のジョッキが囲む超特大盛りのチャーハンらしきご飯の山。トッピングや生地の彩りが各自異なる巨大なパイや、テーブルの真ん中に積み重なるパンの塔も魅力に欠かない。
まさに、漫画などでよく見かける「夢の食卓」が完璧に再現されていた。
その中、一際存在感を放つひと皿が正面、右腕一本ですぐ届くところから俺を呼ぶ。
盛りだくさんに積まれた肉塊。それを覆う琥珀さながらの滑らかな輝きを放つ黄金のベールは、おそらく醤油に似たソースによって施されたのであろう。肉の断面から緩やかに上昇する湯気に同行する濃厚な香りに、鼻が引き寄せられる。
未知な一品だが、食欲をそそるには十分すぎる初印象。日本食以外の料理をほとんど食べたことのない俺は、見かけによる偏見に頼るしかないが、直感を信じたい。
「ねっ、食べてみて」
腹の中心部から指の最先端まで発信される暴食の欲に理性が屈服する。喉から込み上がるよだれを呑み込み、躊躇いは一瞬、俺は皿へと手を伸ばした。肉塊から突き出るアルミホイルらしきものに包まれた取っ手を握り、ゆっくりと上げる。
少し持ち上げただけなのに、肉の重量感が指先から肩までずっしりと負担をかける。左手を添いながら、一口目。肉汁が口内を駆け巡り、とろけるような旨味が舌に沁みる。
「うまっ」
「ふふっ、相変わらずの語彙力のなさね♪ 作った甲斐があったわ、この岩砕き蜂蜜ソースのステーキって、あなたの大好物だったのよ」
――― 俺の大好物「だった」のか。
手を止め、俺は顔をしかめた。
「…… どうしたの? 冷えるわよ」
いちいち、ディンや周りの言葉に振り回されるのはもうご免だ。口に残る肉の一片を飲み込み、喉を開く。
「…… 教えてくれ。君は――― いや、俺は誰なんだ」
仕方ない、と言わんばかりの溜息をつくディン。
「私はディンドン・レイズ。言った通り、あなたがこの世界にいた頃の、彼女よ」
もう一度、深い息を吐き、覚悟を決めた目つきを俺の目線へと運ぶ。
「そして、貴方はコウハク。この世界有数の ―――」
「おいおいおいおいおい! 何か、おいしい匂いがするじゃねーか、この辺り!」
俺ってば、やはり神様に見放されているのか?
外からの騒音を引き金に、会話が急停止する。
念願の真実がやっと、手に入りそうだったのに。ディンは文章を完結する事なく、立ち上がった。手を素早く腰にぶら下がる剣の握りへと置き、緊迫した表情でゆっくりと鞘から刀身を抜く。
ディンの緊張感が伝染したのか、あるいは自分達でも状況を察知したのか、周りの魔物や異世界人の焦りの表情も一気に色強くなっていく。
「多分あのぼろい建物だぜ! まだ、あまり攻略されていない場所だな…… お宝の予感がプンプンするぜ!」
「可愛い女の子がいたら、俺のもんですよ! 領地の女どもには、もう飽きてしまってよぉ」
「女はくれてやりゃ、俺はとにかく魔物を殺してえ! 魔物の巣窟を所望する!」
品のない言葉が次々と連発される。
声の元は、酒場の入り口方向から。徐々に大きなっていく音量から、声の主たちは酒場のすぐ外まで迫ってきていると分かる。
「…… 皆さん、後ろに下がって」
ディンは手ぶりでも酒場後方へと引くよう、皆に指示する。剣を前方へと構えたまま前進し、後ろへと静かに後退する魔物達と位置を交換していく。
「あーらよっと!」
爆発音と共に、火種の燻りを纏う木の破片が飛んでくる。数秒前まで立派なドアとして機能していた、今ではただの木材の板が地面に倒れこみ、重量感のある衝撃音を鳴らす。
舞い上がった埃から、三つのシルエットが具現化し始める。
「何だこいつら、異世界人と魔物のくせに勝手に楽しそうにしやがって」
「今後、てめえらの領主になる俺らを誘わないって、失礼にも程があるだろう!」
埃のベールを大剣で振り払いながら、三人の内、二人が入室した。
両者ともに、軽々と持ち上げている大剣の長さは背丈の半分以上にも及ぶ。持っているだけで体が押しつぶされてもおかしくないサイズのミスマッチにも関わらず、涼しい顔で二人は剣身をずっしりと肩へと掛ける。
「今回は大漁っぽいすよ、隊長」
「ちっ、もっと早く見つけてたら飯も食われる前に横取りできたのに……」
中央から最後の一人が姿を現し、出口を完全に塞ぐ。
黒髪に、黒い瞳。異世界人とは違い、いぼや傷跡が皆無の健康的で滑らかな肌を輝かせている。目を悪戯っぽく細ませながら、真ん中の男は不穏な笑みを浮かべる。
「いいさ…… 主役はいつだって、遅れて登場するもんさ」