プロローグ後半:転生、のち告白
その後の記憶は断片的だ。
その夜、俺は何とか四肢五体欠かさずに寮へと戻れたらしい。だが武崎芽吹消滅の余波は、次の日から容赦なく押し寄せてきた。
娘の行方を必死に突き止めようと、激情をぶつけながら胸を掴んでくる芽吹の親族。
調査の為、大粒のつばを顔面へと飛ばしてくる厳つい刑事達。
鳴りやまない電話の通知音が俺をノイローゼの世界へと誘う。
そりゃ、行方不明になった日を共に過ごした俺に疑いがかけられるだろう。
必死に弁明を考えたが、脳が正常に働いてくれない。そもそも、無理に決まっている。異世界へ召喚されたなんて、どう信じてもえるんだ? 逆に精神不安定者と見なされ、更に疑いが深まるだけだろう。
芽吹もあの夜、こんな気持ちだったのか?
辛かったんだな……
それから更に数日。脳内の喧噪は止むことなく、朦朧とした意識で俺は警察署へと向かっていた。
どうやら、芽吹に関して新しい発見があったらしく、確認してほしいとの事。先日の半ば強制的な任意同行とは違う感じがするが、何らかの理由で疑いが晴れたのか?
正直、どうでもいい。疑いが晴れても、この憂いだけは晴れない。
警察がどんなに頑張っても、異世界から芽吹を取り戻せる訳ないから。
真っ暗な部屋に長らく籠ってたせいか、外界の彩りが刃物の如く目に刺さる。最近、食べ物を消化する機会を頂いていない腹から酷烈な悲鳴が鳴り、内臓が軋んでいるように感じる。
「芽吹……」
そう呟いた直後。
車のクラクションが耳を唐突に通り過ぎ、意識を現実へと引き戻してくれた。
そこでようやく、下を向いたままだった視線が灰と白のストライプを認識する。
「君、危ない!」
横断歩行のど真ん中。
叫ぶ外野。
急速で迫ってくる、真っ赤のスポーツカー。
状況を理解した時には既に時遅く、目の前がブルースクリーンと化していた。
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「これより!無法転生者、朝日紅白の処刑を実行する!」
耳の奥底まで鳴り響く、荒々しい咆哮が脳を叩き起こす。
最悪の目覚めだ。
大学時代、幾度も経験した二日酔いが可愛く感じる、猛烈な痛みが頭の裏側を叩く。
関節からの怪しげな軋み音が腕から全身へと不快感をひしひしと伝染し、唸り声を出そうとしても乾ききった喉が発声を頑なに拒否する。
目もまた、脳からの伝令を無視し、瞼と言う寝床から出たがらない。
喉が痛い。
咳き込もうとすると同時に、手を口へと運ぼうとするが……
ガシャ。
そして、鋭い痛みが手首を襲う。
「い、ってなあ……!」
手が、動かない。
手錠でも掛けられているのか。警察のやつらめ、新情報の確認とか言いながら勝手に逮捕しやがったのか?
取り敢えず、状況が知りたい。
「あの、すみません…… 状況だけでもー」
「黙れ罪人! 貴様は死人同然、喋る権利などない!」
…… 死人だと!?
どういう事だ。何が起こっている。
身体がようやく緊急事態に気が付いたのか、瞼の筋肉が重い腰を上げてくれる。暗闇からの突然な外出に耐えられず、視界が白くぼやけたまま開くが、徐々に色が戻ってゆく。
罪人? 既に判決が出ている?
弁明の余地もくれないなんて、めちゃくちゃ過ぎる。日本の司法はどこまで落ちたというのだ。
視界が晴れ、やっと五感の世界へと帰還する、が。
今度は脳が、視覚からの情報を拒否する番が回ってきた。
視線の右端から左端まで満遍なく広がるただならぬ群衆。いや、「ただならぬ」では表現が甘すぎる。
見慣れている黒髪を持つ者は誰一人もいなく、金髪から銀髪、赤色までありとあらゆる色彩の髪色を持つ者が大半を占める。顔立ちも身体の骨格も明らかに日本人離れしている方が多く、身を包む鎧や洋装とうまく調和する。
一瞬だけ、外国かと思ってしまうが、それも違う。
二足歩行のリザードらしき爬虫類、大男三人分の肩幅を誇るゴーレムに、可愛らしい耳が頭から突き出る獣人類。同じく、耳の形で正体がばれてしまうエルフらしき者もちらほら見当たる。
彼らの頭上は、壮麗な翼を緩やかに揺らすフリューゲルに、豪快に徘徊するドラゴン。見間違いかもしれないが、蛍みたいに空を舞う小さな光は妖精のように見えた。
ざっと見渡したところ、半数以上が人外生物。
間違いない。群衆を囲む中世ヨーロッパ風のレンガ造りの建物も見れば、一目瞭然だ。
ここは、異世界だ。
思い返せば警察署への道中、俺は轢かれたんだ。謂わば、異世界転生ってやつだ。
そして俺はどうやら、これから処刑されるらしい。
首が固定され自分から確認できないが、目上の断頭台の刃から滲み出る殺気がうなじを強張らせる。
「待ってくれ、どうしてなんだ!? 何が起こっている!?」
ここは日本ではない。芽吹消滅の件で罪を問われている訳ではない。そもそも、彼女に何もしてない訳だが。
それは置いといて、異世界転生早々、何故このような状況に?
ここにきてから罪に追われるようなことはしてない筈だ。なんせ、今初めて覚醒した訳だから。
頭が動転しているあまり、反論の弁が纏まらず、首を処刑人の方へと向け眼力で必死の懇願を試みる。
「…… ぬかせ。貴様ら転生者は全て、駆除するべき存在だ!」
処刑人は拳を高く宙へと掲げ、同時に群衆のボルテージが一気に上がる。
「そうだそうだ! どいつもこいつも、貴様ら転生者はいつだって略奪しか念頭にない!」
「てめえらはいつもハーレムやら楽園やら、くだらない野望の為に女性を攫いやがって!」
「おいらの家族を返せ! お前らのせいで、おいらはもう一人ぼっちだ!」
「リザードにも人権はある、防具の素材なんかではない!」
「各地のドラゴンを退治しやがって…… 俺たちの守り神に何をしやがる!」
「日本へとー…… いや、地獄に落ちろ!」
肌が空気の振動を鮮明に感じるほどの怒号の嵐。民衆の表情は一人残さず怒りを前面に出し、俺の精神を屈服させようとする。
処刑人は誇らしげな笑みを浮かべ、歓声と野次を煽りながらゆっくりと俺の隣へと歩む。
「いや、待て! 俺は無関係だ! 今起きたばかりだ、何もしてない!」
「いいや! まだ何もしてないだけだ、野放しにできる訳なかろう!」
やばい。本当にやばい。
不当裁判というものは、こんなにも理不尽なものなのか。
神様はどれほど俺の事が嫌いなのか。
首と手首に不穏な揺れを感じる。恐らく、処刑人はギロチンを降ろす手筈を始めたのだろう。
「ち、違うんだ…… 俺は――― 」
人は死ぬ前、走馬灯と言うものを見ると聞くが、本当の事だろう。
脳も筋肉。火事場の馬鹿力なのか、走馬灯本来の姿である過去の記憶も混ざりつつ、フルスロットルで脳が打開策を探そうとする。
そこで、不意に、俺はこう叫んだ。
「転生者を殺す為に、転生してきた者だ! 味方だ!」
「…… 何を言う、貴様」
正直、俺も自分が何故こんな弁明をしたのか分からない。
転生者を、殺す為に来た?
考えつく全ての選択肢の中から、何故かこれが自然と口から漏れた。勿論この場で思いついたただの戯言の筈だが、不思議にしっくりとくる。
「証拠も説得力もない…… 信じる訳ないだろう」
最後の言い訳も通用せず。流石に意味不明すぎたか。
返事をわざわざ聞かなくても、処刑人の冷徹な瞳だけで俺の人生は終わったと悟った。
「さらばだ、転生者」
「や、やめ…… 辞め、ろ……!」
言葉を必死に紡ごうとしても、壊れたレコードの様な残響しか出せない。出せたとしても、容赦なく放たれる野次に掻き消されただろう。
やがて荒れくれた観客の眼差しから滲む威圧感に耐え切れず、目の端から涙が湧き始める。
先程とは比べ物にならない振動が首元へと伝わり、頭上からの軋み音が急速に耳元へと迫る。
もう、終わりだ―――
と、思ったその瞬間。
ポニーテールが目線を通り過ぎた。
白く、太陽光が反射する艶で飾られたそれは、僅かに俺の目元をすっと撫で、涙を優しく拭き取る。
鈍い金属音が響き渡り、それを合図に絶え間なく聞こえた怒号の嵐が止む。一秒後、ギロチンの刃と、断頭台の上部分が目の前へと崩れ落ちる。
剣先が目線に映り、一瞬ビビるが、自分へ向けられたものではないと気付く。
「この処刑、無効よ」
透き通った、可憐な声。耳の中へとすっと入り、それまでパニック状態であった脳を優しく包み、安らぎを与えてくれる。
「ディン様、これは――― ?」
「彼の言った通りよ…… この男は我々の味方です」
温かく柔らかな指五つが俺の右手に絡まり、身体を引き上げる。
そこで初めて、救世主の顔を拝む事が叶った。
頭から腰へと緩やかに流れる、雪道の様な白髪。サイズ感ぴったしの軽装の鎧が綺麗に体のラインを引き締め、隙間から覗き出る肌は滑らかな光沢を輝かせている。顔は小ぶりだが、深い碧色の瞳は自然と俺の視線を彼女の顔へと引き寄せる。
その壮麗なる美貌に感嘆の意をこぼし、照れを隠せぬ歪な笑顔で慌てて返答を返す。
「あ、ありがとうございます…… どう、お礼したら―― 」
「あはは、そんなのいらないよ! お久しぶりね、コウハク」
―― 久しぶり? その一言に一瞬戸惑うが、後回しに。今はただ、眼前の美姫の正体にしか興味はない。
「君は――― ?」
俺の返答が気に入らなかったのか。少し目線を横へと逸らし、どこか悲しげな表情をしながら溜息をこぼす少女。
「二十年以上再会を待ちわびたのに…… 悲しいわ、コウハク」
今度は深い息を吐き、彼女は緊張と高揚感が交じった一声を――、
「ディンドン・レイズ…… あなたの彼女よ」
日本の彼女と異世界の彼女が登場し、プロローグは以上です!
今後、ストーリーの第一章を始めます!