プロローグ前半:告白、のち転生
「無理…… 私、これから異世界に召喚されるの」
こんなフラれ方、聞いた事あるだろうか?
この瞬間、俺・朝日紅白は多分、人類史上初めて「異世界召喚」を理由にフラれた男となった。
「ごめん、芽吹さん…… マジで意味不明なんですけど」
直球すぎるかもしれないが、至極当然の返答だと思いたい。なにせ、ガチ真剣な告白に対して、こんなふざけた返事が許される訳ないだろう。
二〇二〇年、クリスマスイヴ。あと数分で真夜中を迎える時刻。
「聖夜の夜」と巷で呼ばれる、世界中の男女が一斉に愛を囁く輝かしい時間帯。
あるいは聖夜の加護を活かせず、玉砕した男どもが慙愧の念を唱える悔恨の夜。
例年であれば、俺は六畳間足らずの社員寮部屋で、後者の姿で過ごしていた。
だが今日こそは、今年こそは違う、と淡い期待を抱いていた。
俺は今日、武崎芽吹と共にゴールインできると信じていた。
合コンをきっかけに、お付き合いの試し期間を初めてはや二ヶ月。この数週間、彼女が奇跡的に与えてくれたチャンスを逃さない為、俺は出来る限りの人事を尽くしたつもりだ。
本日のデートに関しても問題なく進行。天気も一日中、雲一つもない快晴。現在地はみなとみらいの大観覧車『コスモクロック21』前。夏に限らず、一年中空を舞う花火のように来訪者を歓迎する横浜の象徴。周りに群がるデパートと数々の屋台は季節に添った限定商品を餌に、常連客だけでなく多くのカップルを呼び寄せている。クリスマスにふさわしい、上品な港町風景。
人生二十三年間、一貫して彼女を持った経験のない自分にしては、良いシチュエーションを演出したつもりだった。
なのに、この返答。
納得できない。
「正直に、本当の理由を述べているんだけど……」
「隠れオタクとして、好きな女性が異世界召喚を口にするのは限りなくアツいんですけど、それよりまともな理由を聞きたいです」
「あ、紅白君ってやっぱりオタクだったんだね? 道理で、時々スケベっぽいんだね」
「オタクとスケベって、同義語じゃな…… って、話逸らさないでください」
沈黙。
本題を投げ返したのに、返球がない。不可視の壁が遮っているかの如く、俺の言葉は届かないまま周りへと散らばったようだ。
言いづらい理由でもあるのか。芽吹は依然として地面に目を逸らしたまま、無言を貫き、不穏な静けさが俺たちの間を取り巻く。
「もしかして、親が反対しているとか? 事情があったら、相談に乗りますよ……?」
首を力強く横へ振る芽吹。本来ありえない事だが、どうやら「親の反対」が交際拒否の理由である可能性は、「異世界召喚」より断然低いようだ。
声を発しないものも、彼女の唇は幾度も開閉を繰り返す。目線は相変わらず正面を向かず、逃げ道を探すかのようにせわしなく左右へと交互する。
試しとはいえ、一応数週間は付き合っているわけだ。お互い腹を割って話をしたいが、男女の間には秘密と言う名の壁は常に存在する。無理強いして、築いてきた関係にひびを入れたくはない。
「…… 色々と遊び過ぎて、お互い疲れている訳だし、この話はいったん置いといて飯でも行こっか」
と、無理矢理な笑顔と明るい話し方で気まずい雰囲気を払拭しようとする。同時に、移動する意思を伝えるべく、最寄り駅の方向へと一歩進むが、芽吹は変わらず静止したままだ。
「…… 本当に、ごめん」
やっと返事をしてくれたと思えば…… と、堪忍袋の緒が切れたその途端。
芽吹は背を向け、反対方向へと駆け出した。
「ちょっー …… おい、待て!」
彼女の背中を目掛けての全力疾走。胸奥から湧く苛立たしさの熱気は、真っ向から顔面へと突き刺さる寒風でさえ収められない。
「なんで付いてくるの? ほっといて!」
「んな訳分からん事を言われたら、ほっとける訳ないでしょ!?」
「あー、もう! 何言ったって、どうせ信じてくれないでしょ!」
「異世界召喚以外なら、意外と理解できる自信あるんですけど!?」
「その異世界召喚を信じてくれないんじゃ、どうしようもないの!」
「んな馬鹿な!」
…… 何故だ。何故、本音を言ってくれないんだろうか?
考えただけでも胸が裂けそうになるが、付き合いたくなければ普通に拒絶すればいい話だ。
なんせ俺みたいな取り柄もない、二流会社に勤めるひねくれ野郎がここまで来れたのが奇跡だ。どんな結末でも、まともな理由であれば何とか処理して見せるさ。
だが何故、彼女は「異世界召喚」などと言うふざけた理由にこれほど固執するのか。
「ったく、恋愛って難しいな……」
眉間にしわを寄せ、文句を垂らしたところで、数十メートル先に公衆トイレらしき建物を目視する。芽吹はそこを目的地と定めたらしく、一気に足のギアを早める。
積年の怠慢のせいか。俺のなまりきった身体は芽吹に追いつけず、トイレへの避難を許してしまう。だが、困惑で理性を失いつつあった俺も本能に従い、なりふり構わず突入した。いざ、女子トイレ内へ。
流石に、極寒での数百メートルに及ぶ逃走が身体に響いたのか。肩にのしかかる疲労感に降伏し、芽吹は背中を薄汚い壁にひき釣りながら下方へとこぼれ落ちた。
同じく、俺も荒い呼吸を吐き続けながら身体を降ろした。鼻と耳の先に痛烈な麻痺が生じ、背筋に悪寒という形で身体の防衛本能が脳へと警告を与える。
「…… 付き合いたくないんなら、正直にそう言ってください」
痛い。苦しい。嫌だ。
自分の言葉が、こんなにも自分自身の胸を抉れるのか。ほぼ、自傷行為じゃないか。
だが、このまま振り回されるよりはマシだ。
運命の返事を前に、俺の目は反射的に閉じ、全身が強張る。数秒後、弱々しく、少々震えた声で芽吹が言葉を返す。
「付き合いたくない訳ではない…… むしろ、有難く了承したいところよ」
予想外の返答。しかし、安堵する暇もなく、望んでない追記が続く。
「でも、ほら…… 無理なのよ」
「だから、どういう事なんー……」
目を開けたら、芽吹の手が目線を遮っていた。反論の弁は、薄い網膜の様に彼女の肌を覆う妙な光を前に、勢いを失う。
一瞬、窓から照らされる月明かりを浴びているだけかと思った。だが、徐々に増幅する輝きの強さが発生源は別である事を示す。
輝きの正体を探るべく、瞬きをせず、俺は彼女の手を凝視した。
「これ、は……?」
目が捉えた現実と脳が押し付ける常識の矛盾が身体に違和感を悟らせ、硬直させる。
絶句。瞬きを一回、二回。
あり得ない。あり得ないが、
華奢なその手は、半透明化していた。
「まさか、本当に……」
「言ったでしょ、異世界への召喚」
身体は寒さと疲労を一瞬で撥ね退け、気付いたら両腕が彼女の身体を抱えていた。
一度、二度、三度。何度も視線が無意識に彼女の手と顔へと上下する。
彼女の目元から垂れる雫が少しずつ膨れ上がるのと共に、俺の胸奥から騒ぎ立てる焦燥感は急速な膨張を続ける。
「……ごめんね、こんな別れ方はしたくなかったわ」
消え去っていく身体の色合いと同行するかのように、芽吹の口から紡がれる言葉の一つ一つが掠れていく。体を覆う光は更に強烈なものとなる一方、はっきりと視認できる身体の部位が刻一刻と減る。腕にかかる負担も、殆どなくなっていた。
「…… なら、俺も連れていってください」
俺の左手と彼女の右手。お互いの指先が重なる感触はまだ微かにあるが、伝わる体温がみるみると薄れていく。
涙が潤む黒色の瞳と、清々しい泣き笑顔がもう一度視界に。
「ありがとう…… 好き」
哀愁に満ちた彼女の微笑みは闇へと溶け、光の残滓だけが手元に。
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数分か、数十分か。長い間、放心を覚えずにいられなかった。
まるで、魂があの瞬間に置いてけぼりにされたかのように。
人生二十三年間待って、ようやく漕ぎつけた恋愛関係への扉。
こうも呆気なく、終わるのか。
この世界は理不尽だらけだ。生まれた時からモテる人がいて、俺みたいに長年モテなかった人がいる時点で、神が不平等なのは分かっている。
だが、「有り得ない」事を使ってまで俺を不幸にさせたいって、神様も酷いもんだ。
初めて頂く「好き」の言葉がこんなにも切なく、苦しいものになるとは。
「め、めぶ……あ、あああああああ、っ」
完全停止してた思考が突然の刺激に耐え切れず、不意に意味を成さない叫びを漏らしてしまう。