出逢いの野菜スープ 3
「私は、本当の愛を知ってしまった。マイア、お前と婚約破棄し、愛するリリアを私の婚約者とする!」
麗しい衣装を身に纏う人々が沢山集まる夜会の最中、その言葉は広いホールに響き渡った。
突然、婚約破棄を宣言した存在は隣にいる少女を強く抱きしめ、互いに見つめあって二人の世界を作り出している。
あまりに唐突な事態に、私は言葉を失う。
混乱の中ざわつく会場。周りの人々の好奇の視線が次々と私へ突き刺さる。
何故ならその婚約破棄を宣言したのは、このアートルム王国第三王子、アダム・クライブ・アートルムなのだから。
今までの生活に転機が訪れたのは私が十三歳のときだった。
部屋でいつもの様に本を読んでいると、勢いよく扉が開かれた。
そこには血相を変えて私の部屋を訪れた父親の姿があった。
普段、自分の部屋に父親が来る事はなかったため、酷く驚いたことを覚えている。
「マイア、お前の婚約が決まった」
その相手こそがアダム様だった。
王子と同じ歳で、未だに婚約者が決まっていなかった私に白羽の矢が立ったらしい。
それまで王家主催のパーティーで挨拶をする程度だったにも関わらず、婚約者に選ばれたのは私にとってまさに青天の霹靂と言えるだろう。
それから、私の日々は一転した。
何せ王家に嫁ぐことになったのだ。
今まで無関心だった両親が今までとは比べ物にならない位、私に対して精力的に接するようになってきた。
一人で過ごしていた時間は家庭教師と共に勉強する時間へと変わった。
遅れていた分を補う位に朝から晩まで、アダム様の妻として恥ずかしくないように必死で必要な様々な知識を学んだ。
立ち居振る舞いもダンスも、本来は幼い頃から身につけなければいけなかった事も、私はひたすら勉強し覚えていった。
そして一人で行なっていた食事も、三人と同じ時間に食べるようになった。
しかし、楽しげな三人の会話には入れず、ただ相変わらず味の濃い料理を黙々と食べる時間となっていた。
一に勉強、二に勉強。休まず勉強する日々。
弱音なんて吐く余裕さえなかった。
全てはこの家を出て、新たな人生を歩むため。
それだけを期待して、生きていた。
そして、その期待は脆くも崩れ去ることとなった。
目の前で抱きしめ合う、二人によって。
言葉が出ない、とはこの事だろう。
数年間、死に物狂いで頑張ってきた努力は本物の愛によって全て消えてしまった。
怒ればいいのか、悲しめばいいのか、どうしていいか分からない。
ただ、少しでも冷静になろうと私は問いかけた。
「あ、アダム様。それは……国王陛下の許可を頂いた上での発言でございますか?」
「許可など要らんだろう。父上も私が愛する者と結ばれる事を喜んでくれるに違いない」
つまり無許可で、勢いに任せた発表だったらしい。
警告を出しているような頭痛を感じつつ、これからどう対応しようか躊躇っていると、追い討ちのように彼の隣にいる妹が大きな瞳を潤ませながら私に訴えかけてきた。
「お姉様、ごめんなさい……! お姉様が頑張っていたのは分かっています。でも私、アダム様の事が好きになってしまったのです! どうか許してくださいませ!」
「リリアが謝る事など何一つない! 私はお前との愛を選びたいだけだ! 何も悪いことなどしていない!」
涙を浮かべる愛しい人を優しく慰める王子。
傍から見れば美しい光景だろう。
こっちの身にもなって欲しい。
ただでさえ大人数の夜会の場で、婚約破棄されて恥辱に耐えているのだ。
二人きりの世界はどこかでやって欲しい。
そんな私の気持ちを知らない妹は更に追い打ちをかける。
「それにお父様もお母様も許してくれたわ! リリアならアダム様の素晴らしい花嫁になれるだろうって!」
つまり、我が家で既にこの結婚破棄は決定事項になっていた、ということだ。
あれだけ努力をしていた事も、両親にとっては可愛い娘の結婚の方が大事だったらしい。
心の中で何かが切れる音がした。
「アダム様からの婚約破棄、承りました。私はこれにて失礼致します」
口から出る言葉が自分でも驚く位に冷めたものだった。
必死に学んだカーテシーを披露し、私はその場を後にする。
帰ってきた私が最初に行なったのは着替えだった。
ただし、いつも着ているドレスでも寝間着でもない。
もし、いつかがあればと用意していた町娘が着るような粗末な衣服だった。
鞄の中に僅かの小遣いときっと売れるだろうとアクセサリー、愛用書を投げ入れる。
鏡を見ると、そこには覚悟を決めた表情の私がいた。
「こんな家、出ていってやる」
そう、私は家出する事を決めたのだ。
我慢なんて馬鹿馬鹿しい。数年間の努力も水の泡に消えて、少しでも残っていた家族の情も何もかも消えてしまった。
きっと両親も妹もまだ帰ってこない。
何せ、今宵は幸せの婚約発表会なのだ。今頃元婚約者と共に素敵な時間を家族水入らずで過ごしていることだろう。
出ていく準備も整い、私は最後に長年使っていた椅子に座りペンを取り手紙を書き始めた。
子として、姉として、最後の言葉を綴るために。
『父上、母上、リリアへ
突然この家を去ることをお許し下さい、
もう、私はここには帰りません。
マイア・シモンズは、死んだものと思ってください。
お世話になりました。 マイア』
「これで、よし」
簡単に綴った手紙を封筒に入れる。
短い手紙だけど、それだけしか伝える事がなかった。
(これからは自由に生きよう。令嬢生活はこれでお終い)
不思議と歩く足が軽く感じる。
こうして私は十七年間住んでいた屋敷を飛び出したのだった。
家を出て最初に考えたことはこの国を出ることだった。
何故なら私にとってこの国の食事は合わない。
せっかく自由になったのなら美味しいものが食べたいと思ったからだ。
「こうして家を出たんだもの。きっと世界は広いんだから美味しい料理も食べられるわね」
記憶を取り戻してから七年間、前世では楽しかった食事が苦行だと感じる程苦しい生活だった。
家を捨てた今、もう私は好きに生きようと心に決めていた。
持っていたアクセサリーを町で売ってお金にして、待合馬車に乗り移動を繰り返す。
きっと普通の令嬢だったら苦痛に感じるこの旅も、私にとっては自由を感じられて楽しいものだった。
ただ、世の中はそんなに甘くない事を、前世でも学んでなかったな、と今は思う。
私の住むアートルム王国から目的の隣国であるエアリーズ王国へ向かうには月隠の森を通るしかない。
私は国境越えをする為に単身森へ、そして見事に迷子になった。
ただ真っ直ぐ歩けば、森を抜けるだろうと甘い考えを持った結果である。