幕間 夜更けの密談はワインと共に 下
「悪かったって」
一言だけ謝罪をして空いている一人掛けのソファーに座る。
エルネストも扉の鍵を閉めると、同じように空いてる場所に座った。
ここは金猫の秘密部屋と呼ばれる場所だ。
主であるマダム・アンジュが許した常連だけ使用できる隠し部屋となっている。
防音設備も万全で、他人が簡単に入れる仕様でもないので密談をするにはもってこいの部屋だ。
「それで、どうだった?」
主語もないウィルからの質問。
だが、俺はその答えを渡すためにここへ来たのですぐに彼の欲しいものを渡すことにした。
懐から一枚の紙を出して机の上を滑らせるように投げて差し出す。
そこに書かれていたのは俺が調べた「一人の少女」についての情報だった。
「まー、見た通りひどいもんだ。アートルムでもホットなゴシップニュースになってるよ。『妹に恋人を取られた悲劇の令嬢』だって」
マイア・シモンズ。
緋色の小鳥亭に新しく店員として働くことになった少女だ。
数日前、エルネストから連絡を受けた俺は彼女が住んでいたと語るアートルム王国に向かっていた。
理由は彼女の身辺調査だ。
といっても、隠れて調べることもなく販売されていた新聞を見れば堂々と調べたい人物の事が事細かに載っていたから驚きだ。
彼女はシモンズ侯爵の長女であり、アートルム王国第三王子――アダム・クライブ・アートルムの婚約者だった。
しかし突然の衆人の目の前で婚約破棄を宣言され、そしてアダムは以前から噂があった彼女の妹を新たな婚約者として迎えたという。
そして婚約者を失ったマイア・シモンズは悲しみのあまり現在体調を崩し『領地にて長期療養している』とニュースは伝えている。
「第三王子……ねぇ」
ウィルが俺の調べてきた資料に目を通す。
勿論新聞の情報以外にも自分で調べたものも記載されている。
新たに調査で知った事柄は調べていた俺自身でさえ怒りを覚えるような内容だった。
幼少期の両親による育児放棄。
肉体的な虐待は無かったが、両親の愛情は異母妹ばかりに注がれていたようだ。
社交界でも当時の妹の事は知っていても姉と会った人はあまり多くなかった。
そんな彼女の名が知られるようになったのがアダムとの婚約だった。
彼女が選ばれた理由は王子の年齢に一番近い令嬢が彼女だった。ただ、それだけの理由。
しかし、その婚約も王子からの婚約破棄で消えてしまった。
その理由がまさかの婚約者の妹と結ばれたいからだなんて破棄された側は溜まったものじゃなかっただろう。
それで家を出たと考えれば、実行したことはどうあれ納得の理由ではあると思う。
現在のアートルム国内は婚約破棄した彼女に対して同情の意見はあるものの、それ以上に改めて結ばれた殿下の婚約に、国中が祝いモードで盛り上がっていた。
他国の人間である俺としては、一人の人間の苦しみの上にある幸せがどうも胸くそ悪く感じてしまい、調べてすぐに帰路に就いたのだった。
そして、レーベンに帰って店に行くと見知らぬ可愛い子が居て声をかけてみれば、そのマイア・シモンズ本人であった。
昼に初めて逢った彼女はそんな報道のように悲しみを抱えているようには見えないほど明るく、寧ろスッキリしたような表情を見せていた。
でも見えない部分、心の奥に潜む悲しみまでは分からない。
俺の調べた情報が間違いだった、で済むならどれほどいいかと思った。
もしも、自分の手に入れた情報が事実で、悲しみを隠すように明るい笑顔を見せ、この店の為に頑張っているのだとしたら……その健気さに心が打たれそうだった。
「ひどいですね。親による育児放棄ですか。前妻の子供とはいえ父親は血の繋がりがあるのに……」
エルネストの忌々しげに呟く声で自分が思考の渦に飲まれていたことに気付く。
俺より先に彼女と出会い、数日とはいえ共に過ごしていた彼らだ。
俺の抱く気持ちの何倍も、戸惑いを強く感じたのだろう。
「今日逢ったときすごく明るい子でびっくりしたわ。めちゃくちゃ可愛い子だし……なぁ、ウィルー?」
先程から真剣に彼女の資料を眺めているウィルに声をかける。突然声をかけられて驚いたのかこちらを睨み付けてきた。
思わず重くなってしまった空気を変えるために少しからかってみる。
「な、なんだよ……」
「だから、マイアちゃんって可愛いよなって話」
「か、かわ!?」
まるでゆで蟹のように顔を真っ赤に染めるウィルを見て俺とエルネストは思わず顔を見合わせる。
思いも寄らぬ、まさかの反応だった。
(これは、もしや……)
(面白いことになりそうじゃねえか?)
言葉は交わさずとも同じ事をエルネストも考えたのだろう。
悪巧みをしているにやけ顔が視界に映る。きっと俺も同じような顔をしていたに違いない。
「おほん!」
己自身に危険を感じたのかわざとらしい咳払いをするウィルを見て、この場ではこれ以上の追求はしないことにした。
(俺はおいしいものは後に食べたい派だからな)
――なおこの翌日、俺達が彼に内緒で立てたマイアと二人きりで市場に送り出す計画を実行することを、この時のウィルは知ることもなかっただろう。
一通り資料を目にしたのかウィルは大きくため息をつき、目の前のテーブルに置く。
「どうしましょうか、ウィル」
エルネストが静かに問いかける。
彼女をこのまま店で働かせてもいいかという問いかけだ。
本来、怪しい人物は調べてから懐に入れるだろうに……と心の中で呟く。
エルネストが森で遭難していた彼女に同情して働くことを決めたと聞いた時は驚きを隠せなかった。
しかし、どんな人物かわからない者をこの店で働かせるわけにはいかない。
だから連絡を受けた俺は急ぎアートルムへ向かい、マイアのことを調べることになったのだ。
ただし、俺達が一番知りたかったことは彼女の過去ではない。
――ある国が彼女の背後に関わっていないか、だった。
「少なくとも資料を見た感じ、帝国と繋がりがあるようには見えない。ましてや侯爵家を捨ててきた人間だ。昨日今日のアイツを見ているとアートルムに戻りたい様子も無さそうだし。……このまま働かせても問題はないだろう」
「ああ、よかったです。誘った自分が言えたことではないですけど……」
「まったくだよ。犬猫拾うみたいに人間拾ってきて。調べるこっちの身になってほしいもんだね!」
苦言を言葉にするも、俺自身も彼女が来てくれてよかったと思っている。
昼間の彼女との出会いを思い出して思わず笑みがこぼれる。
「俺はいい子だと思うし、このまま働いてくれたら嬉しいなー。やっぱり女性店員は華があるもんな!」
「数日間の働きを見ても、お店のために一生懸命働いてくれてますし。私も、是非このまま働いて欲しいと思います」
俺もエルネストも言葉にしないが、マイアという少女がとても気に入った。
きっと隠しておきたい過去を知ってしまったからこそ、マイアには幸せになってほしいと思ってしまったのだ。
そして、願わくば――……。
「……わかった。ではマイアにはこのまま働いてもらうことにする。ただし、随時アートルム国内の情報は調べ続けろ。あと、今後彼女の周りには注意すること。問題が発生すれば身の安全と保護を優先してくれ。以上だ」
今後の指令を命令され、普段言葉にしない本来の関係性を意識して敬礼をし、了承の意を言葉にする。
――目の前の主に対して。
そして、今は呼ばれることのない彼の真の名を言葉にした。
「――畏まりました、ウィリアム・フレイ・ヴィンターク殿下」
「……その名前で呼ぶな」
「たまにはいいじゃないか、口に出しておかないと本名忘れそうになるんだよ」
相当嫌なのか普段は隠している『紫』の瞳が忌々しく俺を睨み付ける。
ヴィンターク帝国第二皇子、ウィリアム・フレイ・ヴィンターク。
――暗殺説、病死説が流れ続ける行方不明の皇子。
彼が何故ここにいるかは、俺が語ることではない。
ただ、今のコイツは『緋色の小鳥亭店主のウィル』。
幼い頃から親友の、料理が好きな一人の男だ。
不機嫌を隠すこともしない年相応の姿を見て皇子様だとはとても見えないだろう。
それでも俺にとっては一生を捧げると決めた唯一の主だ。
(その男に春が訪れたかもしれないと知ったら、そりゃ俺も頑張るしかねえだろ?)
どこか似たような境遇の二人が、森の中で運命的に出会い愛を育む――なんて物語のような話だろう。
――叶うなら彼も彼女も今だけは過去を忘れて自由を、幸福を堪能してほしい。
これは俺が友に想う心からの願いだ。
嗚呼、折角だからこの後話し合いをするならいい値段のワインでも空けてしまいたい。
素敵な恋の話をするならやはり酒は必須だろう。




