第03話 あの日をもう一度繰り返せるのなら
初めに漂ってきたのは、ひどくむせ返るほどの血の匂い。ヒロはとっさに粒子によって自らの口元を覆って、絶刀を抜く。
何が起きるか分からない状態で、片手を塞いでしまうのは悪手だ。
足元には、無数の死体。そして、肌が裂けそうになるほどの殺気。ヒロはとっさに地面を蹴って、後ろに跳んだ。
バッガァァアアアアアアアアンンンッ!!!
地面が砕け、周囲の木々が根こそぎひっくり返される。
「ん、誰だ。お前」
そして、目の前の魔物が喋った。身長は三メートル。肌の色はほとんど黒に近い、緑色。手には岩そのものとも思われる巨大な石塊。
「エンペラーオークかッ……」
ということは、ヒロは思っていた場所にたどり着いたのだ。少しばかり出てきた時間が悪かったみたいだが、そんなことは関係ない。
「胸にかけているのが白いな……。お前は強いのか?」
淡々と目の前のエンペラーオークが語り掛けてくる。その後ろで、イグレスが血の池で滑ったのが見えた。
……なにやってんだ。
ヒロはエンペラーオークの問いには返さず、周囲を見回した。すると、遥か遠くにガウェインと、ロザリアを担いで森の奥に逃げているリリィと、ヒロの姿が見えた。
四年前は、手も足も出なかった相手がこうして目の前にいる。
ということは、これはエンペラーオークがヒロたちが最後と言い残して去った時なのだろう。
「いや、お前。強そうだな」
「そうでもないさ」
エンペラーオークの顔はひどく嘆いている男の顔が張り付いているが、その顔の下にある口の口角が驚くほどに上がった。
「へえ、なら楽しめそうだな」
「そんなつもりは無いんだけどな」
ヒロがそう吐き捨てた瞬間に、両者がぶつかり合った。絶刀と石塊がぶつかり合って、生み出された衝撃波によってイグレスがゴロゴロと森の奥に転がっていく。
……遊ぶなら、消えてほしいんだけど。
「お前はよそ見をするのか?」
エンペラーオークが地面を蹴って空に飛ぶ。そのまま回転して、勢いづけてヒロの頭上に石塊を叩きつけた。
こいつは、ロザリアを殺した。
こいつは、ガウェインを殺した。
無論、避けることも考えた。だが、エンペラーオークのしたことを考えると、それでは足りない。生ぬるい。
ヒロは20%の力を出すと、上から降ってくる石塊を掴んだ。森中に衝撃波が飛ぶ。こちらに走って戻ってきたイグレスが再び飛ばされていく。
「……むっ?」
「お前じゃ俺には勝てねえよ」
「そうらしい」
エンペラーオークは驚くほど素早くヒロから手を引くと、後ろでようやく腰を上げたイグレスめがけてドロップキックをかました。
「やれやれ、僕は戦闘職じゃないんだけどね」
そう言って、イグレスは困ったように目の前に指で丸を描いた。そこに僅かに遅れてエンペラーオークが飛び込んできた。そして、少しばかりの魔力が動いて、
「ん?」
そして、空中で止まったままのエンペラーオークが疑問の声を漏らした。エンペラーオークは確かに蹴りを放った。そして、その勢いは滅していない。滅していないにも関わらず、エンペラーオークの身体は一ミリたりとてイグレスに触れることは叶わないのだ。
「困るよ、英雄君。君の相手だろ?」
「分かってるよ」
「お前ら、不気味だな」
「どうした、今まで自分よりも強い相手は見た事なかったか? エンペラーオーク」
「その呼び方をされたのは初めてだが……まあ、そうだな」
エンペラーオークは石塊を担ぎ上げて、困ったように首をすくめた。
「なら、どこまで通用するのか。試してみたいな」
そう言って、エンペラーオークは腰から取り出した何かを手に取って口に入れた。
「何を食った」
「ん、貰ったのさ。人間から」
人間から? どういうことだ。
エンペラーオークが喋っているのは、偽人種と呼ばれる特殊な個体だからと思っていた。しかし、よくよく考えるとエンペラーオークに言葉を教え込んだ人間がいるはずだ。
何かを食べたエンペラーオークの身体がどんどん赤くなっていく。そして、わずかに身体が出るのは蒸気だろうか。エンペラーオークが苦しそうに身体をよじらせて、石塊を手放した。
「……武器を捨てるのか」
「ォォぉぉォオオおおおおオオオオオッ!!」
オークの口から洩れたのは、知性を感じさせないうめき声。知性を投げ捨てて強化する丸薬か? しかし、そんなもの聞いたことが無い。
ヒロが戸惑っていると、エンペラーオークが地を蹴った。その動きはかろうじて認識できた。ヒロはすかさずしゃがみこむと、エンペラーオークの跳び蹴りを真下に避けて回避することで、無傷で済んだ。
「セイッ!!!」
ヒロは直上に来たエンペラーオークめがけて絶刀を振りぬく。しかし、重たい金属音が響いて、その肌に傷一つつけることが出来なかった。
【武装展開:切断強化】
「そういうのは、速くしろ」
ヒロの言葉に、すまねえと絶刀が詫びを入れてきた。
「ここで狩るぞ、エンペラーオーク」
ヒロの言葉に返ってきたのは耳をつんざく咆哮。奴にも負ける意思が無いということか。
「それも、当然か」
ヒロはそう言って少し笑うと、構えた。ここからは白色冒険者の戦いだ。
「往くぞ」
ヒロの纏う空気が変わる。一年半、何も『吹き溜まり』で腐っていたとしても、元はアレアの街と皇国、そして吹き溜まりを救った英雄なのだ。
そして、ヒロが飛び込んだ。
ヒロは、地面を踏み込んで左手の拳でエンペラーオークの脇腹を捉える。ズン、とまるでトラックが衝突したかのような重たい音を響かせて、エンペラーオークの身体が揺れるとヒロはそのまま流れるように絶刀をエンペラーオークの身体に這わせた。それだけで、先ほどは文字通り刃が立たなかったエンペラーオークの皮膚が、柔肌のように切れていく。
そして、そのまま腕を断ち切った。
「遅いッ!」
ヒロはとどまることなく、逃げ出そうとしたエンペラーオークの足を踏みつけると、背中に深く絶刀を差し込む。引き抜くと、エンペラーオークの咆哮。まだだ、まだ足りない。
右のジャブが、追い打ちでエンペラーオークの身体に吸い込まれていく。全身の骨と内蔵をぐちゃぐちゃにされながら、それでもエンペラーオークはなんとかヒロの元から逃げ出した。
目指すは森の奥。追い詰められた時のヒロたちと同じ判断か、それとも逃げ出したヒロ達を狙うためか。
そんな目的など、露も知らずヒロは刀身を伸ばしてエンペラーオークの首を断ち切った。
「結構あっさりいったね」
「まあ、アンタは見ていただけだからな……」
「まあ終わったことは置いておいて、一つ疑問があるんだ」
「疑問?」
「ああ、僕は君が言った通り『アレアの惨劇』。その一日前にキチンとセットしたはずだった。けど、現実は『アレアの惨劇』のど真ん中に出たわけだ。これで、僕たちは死にかけた」
「ミスっただけじゃねえの? 幾ら闇属性魔法の権威と言っても人間ならミスもするだろ」
「いや、流石に歴史上はじめて時間を渡るんだ。そんなヘマはしないさ。目を皿にして、確認作業は行ったよ」
「……それすらもミスったとか?」
「いや、それは流石に……。僕も一応研究者だからね、それなりの確認作業は行ったのさ」
「ふうん?」
「一応、可能性として二つ。一つ目は、時間を渡る魔法が完璧ではなくどうしても時間の差が生まれてしまう」
「それじゃねえの」
「ああ、僕もそう思いたいんだけどね。それにしても、不思議じゃないか? 場所だってアレアの街にしたのに、森の中に移動しているんだ。まるで、誰かが『惨劇』の中心に僕たちを呼び込んで僕たちを殺そうとしているかのようじゃないか」
「……まさか」
「そう、二つ目は時間を渡るときに世界が魔法に補正をかけて最も死にやすい状況に置くという可能性」
「おいおい、俺は次に飛ぶ場所を言ったよな? もし、二つ目の方が正しければ、今より危ないってことかよ」
「そうなるね」
「あっさりいうなぁ……」
「それで、死人が蘇るなら安い話だ。さて、飛ぼうか」
「……ここでか? 門も何もないぞ?」
「一度やったらコツをつかめた。さ、飛ぶぞ」
「待て待て、心の準備が」
ヒロの静止を聞かずに、イグレスは新しく時間魔法を発動するのだった。
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