二章終話 そして彼は冒険者をやめた
ドラゴン。それは、絶対的な支配者のことだ。
最強種に数えられる竜は、どれだけ弱くともA級の魔物に該当する。生まれ落ちた時点で全ての生命の頂点に立つことが可能なのだ。
ヒロは竜を見上げながら、そんな当たり前のことを思い返した。
……人?
ふと、竜の上に人間の影を見た気がした。
「ヒロ殿、ここは拙者が殿を務めよう。リリィ殿、ヒロ殿を連れて逃げるでござる」
「ば、馬鹿言うな。竜と戦う気か?」
「私は別に戦う気はござらんが、向こうがやる気でござる」
『相談か? うむ、良いぞ。余は寛大だからな。それくらいは待ってやる』
「いや、それは終わったでござるよ」
ナナがそう言い残して消えた。次の瞬間には竜の顎に大きな一撃が加えられる。宙に浮かんだまま剣を引き抜くと、そのまま竜の左目を断ち切った。
ドラゴンがその巨体を揺らしてわずかに後ずさる。すかさず、その瞬間に頭上からの踵落としを竜に叩き込む。
「……すげぇ」
ヒロがナナの本気を見るのはこれが初めてだった。最強種VS最強種。おとぎ話の中でも存在しない幻の戦いが目の前で繰り広げられていた。
リリィとヒロは最初それに見とれていたが、リリィはすぐにヒロの身体を担ぎ上げると、その両者の戦いを後にした。
「うむ、安全圏まで逃げるがよい」
『ほう、吸血鬼が人間を守るか』
「大切な仲間でござるからな」
ナナの剣とドラゴンの爪がぶつかり合った。生まれた衝撃波が帝都を駆け巡り、今なお残っていた建造物を吹き飛ばす。
競り合いに勝ったのは、果たしてナナであった。ナナの後方にへし折られた爪が転がると、それに一瞥もくれずナナが再び加速。竜の身体を真中にて、斬る。
『くかかっ! この鱗の身体に傷をつけるか!!』
「大婆様の皮膚に比べれば柔肌でござるよ」
『流石に吸血鬼の真祖と比べられると我が自慢の鱗も紙に等しかろう』
「観念するでござるよ」
『だがそれも、あくまで相手が真祖の話だ』
ドラゴンの姿が消えた。
ナナの瞳にはそう見えて――違う。人型を取ったのだ。
『こちらの方が随分とやりやすかろう』
「む? いや、こちらに合わせなくとも十分でござるよ」
ナナの影が無数に広がっていく。闇属性上級中位魔法『深淵』がそこに発動していた。式の厚さはわずかに0.02μmm。だが、それはあくまで扉に過ぎない。この魔法は異世界と影をつなげることによって他者を別世界に送り付ける魔法なのだ。
『貴様。第四真祖の子孫か!!』
「む、まだ名乗ってなかったでござるな」
ナナはそう言うと、影に腰半ばまで沈んでいく人型のドラゴンを見ながら、優雅に一礼した。
「ご名答。第四真祖の来孫が一人『血喰』のナナ。貴殿を殺す者の名でござるよ」
『なるほど。ならば相手にとって不足なし。『従一位のガルリュート』お相手致す』
「かなりの大御所ではないか」
ナナが感嘆に目を丸くした瞬間に、『深淵』の術式が破壊された。
『かかっ! 中々どうして強いではないか。破壊するのに足を使ってしまった』
「ふむ。なら、これはどうでござる?」
その言葉とともに、ガルリュートの身体に掛かるのは遥かなる重力。人の姿を取ったガルリュートは常に笑みを浮かべていたが、ここで初めて顔が真剣な表情を取った。
「吸血鬼の中では常識でござるが」
ナナが剣を構えてガルリュートに近づいていく。気が付くと、ガルリュートの影が増えていた。
「影とは異界をつなぐ門でござる。故に、貴殿の影を媒介にして貴殿には異世界に存在する貴殿の重みがかかるでござるよ」
闇属性特級魔法『異重呪界』。
第四真祖の血縁者のみが可能な影を使った魔法の最上位魔法だ。
「貴殿は人間になるときにだいぶんの体重を捨てたように思われるでござる。推定体重は80kgといったところでござろうか」
「今、貴殿には三つの世界の貴殿が重なっているでござるよ。つまり体重は240kg。竜の姿に戻っても良いでござるよ? まあ、その時はその分の体重がかかるだけでござるが」
「おっと、さらに五つの世界が重なるでござるよ。さぁ、歯を食いしばるでござる」
刹那、竜の影が五つ増え八つになると、ガルリュートにかかる体重は640kg。
「さて、ここであと七つ同時に加えてどこまで耐えられるか試してみるもよかろう」
『なるほど。流石は真祖の血縁者。余と同じ最強種に数えられるだけはあるな』
「喋っていると舌を噛むでござるよ」
ナナがそう言ってほほ笑むと、ガルリュートの影が15になった。ガルリュートにかかる重さは1.2t。大体自動車一台分を自らの筋肉で支えていることになる。流石のガルリュートも、これには喋っている余裕もないと判断したのか、黙り込むとゆっくりと付いた膝を上げ始めた。
ナナは退屈げにさらに影を重ねようとして……。
「誰でござるか?」
その場に現れた乱入者に首を傾げた。
『もっと遠くに行ったと思っていたが、そこまで逃げていないようだな』
リリィに担がれて逃げること十数分。背後にて、そんな声が響いた。
「……ナナが負けたのか?」
「ヒロ君、加速するぞ!!」
リリィが自らにかけたのは中級下位の身体強化魔法。羽のように軽くなった身体を動かして、ドラゴンの吐息を避ける。
だが竜は二人の進行方向上に自らの足を落とすと、リリィの動きを塞ぎ自らを人間の形へと変化した。
「人型になった!?」
『驚くでない。先ほどの吸血鬼の女は何も言わなんだぞ』
「それで、その吸血鬼はどうした!」
『余がここにいるということは、そういうことだ』
「ヒロ君、立てるか」
激昂するヒロを、リリィはどこまでも冷静に静止しヒロの身体を下ろした。
「逃げろ。ヒロ君」
「……馬鹿言うな。俺も戦う」
「無理をするな。私には分かるぞ、立っているのもやっとなんだろう?」
「……嫌だ。俺はお前まで失いたくない」
「そういうな。生きていればいろんなことがあるさ。せめて、私たちの命に意味を持たせてくれよ」
そういって、リリィは微笑んでヒロの身体を押した。
「……絶対死ぬなよ!!」
そしてそれに任せるままにヒロはゆっくり走り始めた。
「死ぬな、か。リーダーも無茶を言う」
リリィは目の前の竜を睨む。
勝てるか? 勝てるわけがない。
だが、ヒロなら。万全の状態のヒロなら、仇を討つことも出来るだろう。そもそも自分はヒロの取り巻きで白級冒険者になったような人間だ。生き残るならば、ヒロこそがふさわしい。
『名乗れ、人間』
「リリィ」
『そうか。勇敢な人の子よ』
勇敢? 自分が?
目の前の竜の言葉に笑ってしまう。自分は勇敢などではなかった。己がここにいるのはひとえにヒロとともに歩いてきたからだ。必死になって隣を歩んできたからだ。
『我はガルリュート。従一位のガルリュートだ。最後に言い残すことはあるか?』
死ぬ。自分はここで死ぬ。ヒロを逃がすためにここで死ぬ。
今なら、あの時ヒロをかばって死んだロザリアの気持ちがよく分かった。
「好きだよ。ヒロ君」
好きな人間には、生きていて欲しいのだ。
「はぁっ……。はぁっ……。クソ、クソクソクソクソぉっ!!」
ヒロは帝都の壁際まで走ると、自らの身体を壁に預けた。
「何が白級冒険者だっ!! 何が英雄だ!!!」
壁に拳を叩きつける。
「誰一人として守れなかったじゃないか!!」
どうして、自分だけがおめおめと生き延びているのだ。
どうして、自分だけが死なないのだ。
どうして、どうして、どうして……。
「ちくしょうっ……」
ヒロの頬を涙がこぼれる。
「誰か、俺を殺してくれよ……」
『ああ、いいぞ』
声をかけて来たのは、血だらけになったガルリュートだった。だが、その姿のどこにも傷は無い。だということは。
「お前、リリィを」
『うむ。強い、女であった。其方を守ろうという気概は誰にも負けておらなんだ』
「何が、目的だ。何でここに来たぁっ!!」
『ここに来た目的?』
竜はそういうと、きょとんとした表情を浮かべてから急に合点がいったという顔をした。
『忘れておったわ。いや何、ここに特壱級痕機を持った人間がいるからと来ただけよ。あれは人に過ぎた代物だからな。余が回収しに来たというわけだ』
「それだけ……?」
『おう、それだけだ』
「それだけで、俺の仲間は殺されたのか?」
『うむ。それは済まなかったと思っている。何しろ余が自らの仕事を忘れていたというのが悪いわけだからな』
「ふざけるなぁぁぁあああああああああああっ!!!」
ヒロは一蹴の加速。誰にも止めることなど出来ぬ一撃。
だが、後に響いたのはどこまでも純粋な金属音。
カラン、と音をたて根本からへし折れた絶刀がヒロの手元に残った。
「……なん、で」
『ああ、余の鱗は刃物無効の祝福を持っているからな。それのせいだろう』
ガルリュートは何でもないようにそう言って、
『いやしかし嬉しいぞ、お主が戦う気になってくれて。竜とは戦いが好きな種族だからな』
そういって屈託のない笑顔で笑った。
「一つだけ答えろ」
『うむ。一つと言わずに二つ、三つと聞いてくれても構わぬぞ』
「特壱級痕機を持った人間がここにいなければ、お前はここに来なかったのか?」
ヒロの言葉に、
『ああ、そうだが?』
ガルリュートはその通りだと何度も頷いた。
「そうか」
ラウラが死んだのは、ヒロが帝都に来たからだ。
アミが死んだのは、ヒロが暴れたからだ。
ナナが死んだのは、ヒロが特壱級痕機を手にしたからだ。
リリィが死んだのは、ヒロが弱かったからだ。
「分かったよ」
仲間が死んだのは、ヒロのせいだ。
……あぁ、冒険者なんてなるんじゃなかった。
『そうか? なら、始めても良いか』
「いや、終わっていい」
ヒロのその言葉に、ガルリュートは怖気を覚えて遥か背後に飛んだ。
今のヒロには、武器も体力も魔力も残ってはいない。けれど、ガルリュートは確かに今、身の危険を感じた。
『殺気……というわけではなさそうだ』
どうして、今まで忘れていたのだろう。
この世界は、弱者にはとても厳しい。弱ければ生きていくことなんて出来はしない。
この世界は、強者にはとても優しい。強ければ何をやったって許されてしまう。
だから、だからこそ。
「『強くなければ、価値は無い』」
ヒロの全身から闇が噴き出した。それが、ガルリュートの見た最後の景色だった。
その日、星の上から帝都という土地が消えた。
ぽっかりと開けた大穴は、まるで何かに喰われたかのように帝都そのものを消し去った。
帝都が消えてから月を跨ぐことなく、共和国という国が地図上から消えた。そしてまた、全てを失った英雄もまた誰にも知られずに消えた。
こうして、世界はまた平和にもどった。そして、一年と半分の年月が流れた。
ブックマークありがとうございます。
ヒロの物語も残すは最終章だけ、もう少しだけお付き合いください。




