第19話 来訪者、飽きる
ヴェリムの魔石は大体7800万イルで売れたらしい。端数とか面倒なので全部ギルドに手数料として受け取ってもらって一人当たり1950万イルの収入、二千万近い金を手にすることとなった。
二千万である。つい一か月ほど前まで一日あたりの収入が1000イルだった人間が、二千万である。
「……随分遠いところまで来たなぁ」
しみじみとヒロがつぶやく。
「何か言った?」
「いや、何も」
ヒロ達がいるのは六階層。D+級の魔物を狩っている。いくら吸血鬼と戦って生き延びたとはいえ、実際にとどめを刺したのは『賢者』だ。ヒロ達は格段に力を伸ばしたわけではない。
変わったところと言えば、ヒロが中級中位魔法でヴェリムの怪力を模倣できるようになっただけだ。わずか五秒だけ、吸血鬼、それも真祖の血縁者の身体能力を模倣するとんでもない魔法である。何で五秒なのかと思ったら、ヒロが空中に吹き飛ばされて蹴り落されるまでの時間が五秒だったのだ。
いくらあの怪力を模倣できるとはいえ五秒では、大した攻撃も出来ない。故にヒロ達がC-級の魔物に挑戦するのはもっと強くなってから、というわけである。
ああ、あとロザリア以外が装備を新調したくらいか。ヒロもヒロで新しい防具を買っていた。結局リリィの押しに負けてあの灰色の外套を買うはめになった。だが、これが着てみると中々どうして素晴らしい。まず防御性能だが、オークに殴られてもちょっと痛いくらいで済む。身体強化の方はリリィの補助魔法が常にかけられている感じがする。この状態にリリィの補助魔法がかかると相乗効果で30%ほど全体的に動きが早くなる。そして最後の環境適性。これがすごいのなんのって砂漠の昼、暑くない。夜? もちろん、寒くない。
というわけで完全にお得な品物だったわけである。買ってよかった新防具。
それに外套を買っても魔石の残りが1300万ほど残るわけである。新しい短剣を買おうかとも思ったが、別に今ので満足しているのでやめておいた。
リリィも1000万ほどはたいてローブを新調し、三つの触媒……指輪とネックレスとイヤリングを買っていた。これで補助魔法と、治癒魔法の速度と性能が格段に上がった。
ガウェインの新しい盾は防御強化と注目という祝福持ちで、魔物の注意が何故だかガウェインに集まるという代物だった。ガウェインはそこいらの魔物の注目を一同に集めバッタバッタと薙ぎ払いながら嬉しそうにしている。
……これはこれで良しとしよう。
「なあ、そろそろ良いんじゃないか? 七階層に入っても」
ふと、ヒロが漏らした。いや、正確に言えば同じ魔物を狩り続けることに関して飽きたのである。ヒロは気が付いたが、このパーティーかなり強い。恐るべき速度で格上の魔物に対して順応している。
「いや、でもなあ」
「C級の魔物が狩れるようになれば、銀の冒険者証へ一歩近づくぜ」
銀の冒険者証は、B、C級の魔物が安定して狩れるようになったものに渡される一流冒険者の証である。金? あれは別格。A級を魔物を笑いながら狩るような超級の冒険者が貰うのである。ちなみにだが『暁の星』のメンバーは白の冒険者証である。分類不可能を安定して狩れるようになるのに加えて国家の危機を幾度も救った英雄に与えられる冒険者証だ。
「うむむむ……」
悩むガウェイン。ガウェインはグラディウスに対して追い抜くと言っていた。
それはつまり、グラディウスを上回る速度で強くならねばならないということだ。いつまでも、トカゲやサボテンを狩っているわけには行かないのである。
「なら六階層の階層主を見るだけ見てみるというのはどう?」
ロザリアの提案に、ガウェインの唸り声がいっそう大きくなる。
「確かに、ロザリアの言う通りだ。危なくなれば逃げれば良いんだし」
「いや、六階層の階層主は戦う場所が特殊なんだ」
どうやらそれが懸念材料らしい。
「特殊、ですか?」
「うん。大きなアリジゴクらしい」
「あー、なるほど」
それは確かに心配にはなるか。大きなアリジゴクと言ってもどのくらいの大きさなのかは分からないし、いざとなれば這い上がれないかもしれない。
「でも、いつかはやらなきゃいけないわけだぜ」
「そうなんだよなぁ……。うーん……。ちょっとだけ行ってみる?」
「よし、行くぞ」
言うが早いかヒロとロザリアはガウェインを担ぎ上げると階層主がいる場所へと足を進めた。ガウェインの持っている情報本に従って階層主がいると記されている場に向かうと、大きな石で出来たアーチが四人を待ち構えていた。
「ここかな」
「ここでしょ」
短いやり取り。好戦的な二人が飛び込んだ。
「待て待て」
ガウェインが遅れてやってくる。そして、かかるはリリィの補助魔法。
駄目だ、早く戦いたくて全体的におざなりになってる。
ヒロは少し反省すると、石のアーチをくぐった。
……何も、おかしいところはない。
別に普通に一面砂景色が広がっているだけ……。
と、思っているとぐるりと地面が円を描き始めた。ぐるりぐるりと、円は下へと落ちていく。それに巻き込まれるようにヒロとガウェインがアリジゴクに取り込まれた。
中から現れるのは口元に三メートルほどの巨大な鋏を持った、どでかいアリジゴク。
「さて、逃げるところも無いし。やるか、ガウェイン」
「ヒロ……。君はどんどん好戦的になっていくね……」
失礼な。
二人はゆっくりと待ち構える巨大なアリジゴクを見て、そして互いの顔を見合わせた。
「あいつの基本的な攻撃方法は?」
「あまり無いよ。今回みたいに巨大な蟻地獄を作って冒険者たちがそこに巻き込まれるを待つ。あとは防御魔法を使うくらいだ」
「なあ、ガウェイン。試してみたいことがあるんだけどやっていいか」
「あー、うん。大体察しがついているからやってくれ」
ヒロが使える最大火力は5秒しかない。ならば、
「ロザリアっ!」
ヒロの合図で八本の水の矢がアリジゴクめがけて降り注ぐ。アリジゴクはそちらに顔を向けるとにらみつける様にして土魔法を使って防御。ロザリアの魔法が岩にぶつかって岩石を散らす。
その間に、ヒロはアリジゴクめがけて走って近づく。そうだ、そのまま注意を引いていてくれ。
だが、アリジゴクは走り寄ってくるヒロに気がつくと岩の防御魔法はそのままにヒロへと顔向けた。だが、それでは駄目だ。ロザリアの中級魔法が発動。防御魔法を水圧カッターが断ち切って、アリジゴクの身体を薄く裂いた。体液がまき散り、アリジゴクが絶叫。
「『血と踊れ、さすれば汝は夜を彩る』」
ヒロの視界が一瞬で鈍化する。アリジゴクの身体がヒロへと向かう。
遅い遅い。全てが遅い。砂を蹴って跳躍。ヴェリムがそうしたように、大きく真後ろに砂が舞い散る。一瞬の斬撃。
ヒロが着地すると同時に、巨大なアリジゴクの身体は真っ二つに両断されて、地面に落ちる前に魔石となる。そして、魔石となった瞬間にぐにゃりと地面がもとへと戻った。
「なんかすげえ」
一瞬にしてクレーターからロザリアたちと同じ高さに戻ってきたわけである。
「なんかあっさりだったね」
「まあ、俺の生命力はもう三割くらいしか無いんだけどな」
「鍛えなさいよー、生命力」
「あの気絶トレーニングするなら付き合いますよ!」
一応ヒロは中級魔法を四回まで使える様になっている。ガルトンドに来た頃よりも倍近くになっているのだ。
けれど、まだまだだ。はっきり言ってまだ足りない。ヒロとしては十回ほどは使える様になっておきたい。
「気絶トレーニングまたするかぁ」
ガルトンドに来るときは謎のテンションでやっていたが、あれは本当に気分が悪くなるのである。
ヒロたちは七階層へと向かう階段の途中にある宝珠から、入り口へと戻って冒険者ギルドで魔石を換金する。それはこちらに来てから、いつものやり取り。一か月近く飽きるほどやってきた取引だ。
だから、ヒロたちは刺激を求めていた。刺激など転がっている、そう他のものたちが言うかもしれない。迷宮都市ガルトンドで刺激がないなどあり得ないと。
だが、ヒロたちは一か月近くやってきた地下迷宮攻略。闘いだけに絞ればそれはいくつも刺激があるかもしれないが根本的にやっていることは同じこと。階層突破を繰り返すだけ。
だから、ヒロはふと目に留まったその依頼板を手に取った。
ヒロは、この日のこの瞬間のことを絶対に忘れない。
それは彼が英雄としての道を踏み出すきっかけとなるための事件で、それは彼が世界の敵となるための事件の始まりなのだ。
「なあ、これ受けてみないか?」
ヒロが何気なしにいったこのセリフが、後に彼を苦しめることになるなどと一体誰が予想するのだろうか。
「何これ」
「オークの巣を潰すんだってさ」
そう、それは街道に出来たオークたちの巣を潰すという簡単な依頼。
それも単一のパーティーではなく複数の合同戦線。
だから、あんなことになるなんて誰も想像が出来なかった。
「どこでやるんですか?」
「アレアの街の近くだってよ」
誰が、気が付くのだろう。
E級、D級の魔物しかいないその街でそんなことが起きるなど。
「遠いなー」
「でも、久しぶりに教会のみんなに会いたいです」
「なら、リリィの里帰りも含めてみんなで一回アレアの街に戻るってのは?」
「いいね」
誰が、思うだろう。
七十人近い冒険者が挑んで敗北など。
「なら、明日あたりにはもう出ない?」
「明日かー。結構急だな」
「帰りは普通の馬車にのりましょ。お金もあることだし」
「尻が痛くなるもんなぁ」
『アレアの惨劇』
後にそう呼ばれることになる事件の、これは序章である。