第17話 来訪者、最強と邂逅す
夜の支配種。その言葉にもれず、吸血鬼はどんな雑魚でもB+級の力を持ち、一体でも現れようものなら金の冒険者証を持った冒険者たちが招集される。
「さてさて、転移魔法で逃げてきたものの、銅の冒険者証が四人。中々どうして幸運じゃないか」
「……名乗れ」
「ほう、小僧。我が名を尋ねるか。礼儀を知っている奴だ」
ガウェインの言葉に嬉しそうに男が言う。そうか、吸血鬼というのは名を尋ねられるのが好きなのか。覚えておこう。それが使えるかどうかは分からぬが。
「第六真祖の玄孫が一人、『血狼』のヴェリム・ラ・イェスリャート。以後、よろしく頼むぞ」
そういって男は内蔵をまき散らしながら、慇懃無礼に礼をした。
真祖の血縁者……ッ!
知っている。いかにこの世界に疎いヒロとて最強種と呼ばれる生き物くらいは冒険者になった際に聞いている。
例えば雑兵でもB+に該当する吸血鬼、これらを束ねる王は問答無用のA+。最強種の内の一体だ。だが、それらを作り出したとされる真祖たちは?
答えは簡単。分類不可能だ。
A+ランクよりも上、触れてはならぬ者。故に分類不可能。その血縁者は当然のごとく、A級相当。二つ名を持っているということは吸血鬼の貴族だろう。
いや、そもそも空間的にも時間的にも外と分割されているこの地下迷宮に転移魔法で飛んできているという事実が目の前の男の実力を証明しているではないか。
「偉大なる第六真祖の血縁者。一体なぜ、高貴なる貴族のお方がこのような地下迷宮に?」
相手が吸血鬼の貴族だと知ったか、ガウェインの態度が変わる。何でもいい。朝になるまでの時間を稼がなければ。
「やはり礼儀を心得るものと喋るのは心地よい。いや何、危なくなったから逃げて来たのよ。あの男、何も言わずに切りかかりおって。その後に名乗るとはいやはや、人間とはかくも野蛮になったかと絶望しかけたわ」
「御身を傷つけた者の名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「『賢者』メルクリウス」
ガウェインの顔が歪む。『賢者』と言えばかの『暁の星』の一員。切りかかったという言葉が気になるが、それでも最強の冒険者を相手に逃げられるだけの実力を持っているということになる。
「普段なら、お主のようなものには褒美を持たせたいところだが……。悪いね、ここで死んでくれ」
貴族のような表情を崩し、最初の飄々とした顔を浮かべてヴェリムがガウェインに襲い掛かる。愚直なまでに一直線の突き。重装備のガウェインはそれを盾を構えて受け止める。
次の瞬間、トラックが乗用車に衝突したかと思うような重低音。盾が使い物にならないほどひしゃげて、ガウェインの身体が宙を舞う。
いや、舞うなどという生易しい表現では足りない。地面と水平になって吹き飛ばされたガウェインは五十メートルほど離れたオアシスの木々にぶつかってようやくその動きを止めた。ガウェインがぶつかった木が折れ、反対側へと倒れていく。
……見えなかった。吸血鬼の動きの一切が、ヒロの目には止まらなかった。
「『捻じれて、放て』ッ!」
ヒロの真後ろに生まれた漆黒の砲弾が、音速の速度で吸血鬼へと飛んでいく。
「鈍い」
たった一言。見てから反応した吸血鬼は右腕で黒い弾丸を掴むと無造作に放り投げた。
……嘘だろ? 俺が持ってる最高火力だぞ!?
ドン、と吸血鬼が踏み込むとヒロの目には舞い散る砂漠の砂しか見えなかった。
「『ヒロ君』ッ!」
泣き叫ぶようなリリィの声。しかし、それが反射的に魔法の引き金となった。ヒロ上から差し込む光が、今まさに手を伸ばそうとしていた吸血鬼の動きを一瞬止めると、ヴェリムは大きくバックステップした。
「危ない。火傷くらいで済むだろうが、これ以上傷は負いたくないのでね」
魔法の発動に、本来は詠唱など必要ない。ただ、自らが魔法を安定して発動できるように条件付けを行っているのだ。
だから、今回の事例は非常に珍しいことになる。
リリィのとっさの叫びが、ヒロの命を救った。彼女は反射的に魔法を使い、ヒロを守ったのだ。
だが、反射的に使った光の魔法を維持できるだけの能力をリリィはまだ持っていない。
しだいにゆっくりと消えていく。だが、それでいい。射線は開いている、吸血鬼の動きは止まっている。
「『水よ集まれ、全てを断て』」
ロザリアの詠唱。水圧カッターの要領で発射される超高圧の水を吸血鬼は流石の反射神経で避けるが、自らのこぼれる小腸があだとなり完全に回避できなかった。吸血鬼の左肩から先のパーツが吹き飛んだ。
そこで初めて、吸血鬼が顔を顰める。
「やはり人間を舐めないほうがよさそうだ」
そう、ロザリアに注意が向いている瞬間に真後ろにヒロが回っている。星々の光がヒロの足元に影を落とす。
「『停まれ』」
影が伸びる。吸血鬼は跳躍して『影縛り』を回避。実戦で無理やり投入してみたが、成功したので驚いた。
「『天は穿たれ、地は崩れ、夜は遊んで我が手元』」
三詠説は、上級魔法。
吸血鬼の詠唱とともに、吸血鬼の手元が大きくゆがむ。
「そこの少年は闇属性の使い手か。ならばよく見ておきたまえよ」
笑いながら吸血鬼が言う。
だが、その瞬間に天を貫く朝の光。地下迷宮内では時間の経過が外とは違う。まだ夜になって三時間ほどしか経っていないが、太陽がその姿を見せたのだ。
「ありゃりゃ、駄目だこりゃ」
吸血鬼の手元の歪みが消える。詠唱内に夜という言葉入っていたから、夜だけしか使えない条件付きの魔法なのかもしれない。
だが、しかしこれで大丈夫だ。いかにアイツが強かろうとも吸血鬼が太陽の光を浴びたなら……。
「久しぶりの太陽だが、中々どうして心地良いな。うむ」
……何で無事なんだよ!
ヴェリムは太陽の光を浴びながら大きく背伸びをする。
「何を驚いている? 夜の支配種と言っても昼の間生活が出来ない訳が無かろう」
「……そんな馬鹿な…………」
「じゃ、続きをしようか」
吸血鬼の姿が消えた。そして、次の瞬間激しい衝撃。
目を開けると、眼下にリリィとロザリアが見えた。あれ? なんで俺は空にいるんだ?
そして、次に映るのはヴェリムの姿。空中で踵落としを食らったヒロは地面に大きなクレーターを作って激突。
大きく血液をまき散らす。
……今ので背骨が折れた。内蔵も多分破裂している。
全身が熱い。口を開くとひゅうひゅうという頼りの無い息しか漏れない。
視界が紅く染まっていく。死ぬのか。そうか、俺は死ぬのか。
身体から流れ出る血液が砂の中へと染み込んでいく。
「ああ、畜生。死にたくねえよぉ……」
まだ、この世界に来たばかりなのだ。やっと、仲間が出来たのだ。
もっとやりたいことがあったのだ。まだ、成すべきことが残っているのだ。
死ぬ間際だというのに、後悔ばかりが出てきて仕方ない。
「悪いね。俺が生き延びるためだ」
ヒロの言葉を聞いていた吸血鬼が軽く謝る。
ちらりと目をやると、駆け寄ろうとするリリィを必死に抑えるロザリアの姿があった。
……それでいい。早くガウェインを連れて逃げるんだ。
一人を助けるために、全員が危険な目にあう必要などないのだから。
ヴェリムがぼろ雑巾のようになったヒロを掴む。
「味の感想を頼むよ」
「任せておけ」
お、案外うまい冗談を言えたんじゃないだろうか。
そうして、ヒロの首筋に牙を立てようとするその瞬間、
「はいはい、そこまで」
圧倒的な殺気を含んだ声が、それを静止した。
「やぁ、これは申し訳ない。僕が不甲斐ないせいだ。でもまあ、みんな生きてるってことで許してちょうだい」
ひどく軽く、ひどく恐ろしい声。
ヴェリムはヒロを投げ捨てその声と距離を取る。どこを動かしても全身が痛み、何故生きているのかも不思議な状態でヒロはその男を見た。
魔法使いが大きな帽子をかぶるのは、彼が帽子を被っているからだ。
魔法使いがローブを着るのは、彼がローブを着ているからだ。
魔法使いが火属性を習いたがるのは、彼がそれを使うからだ。
とても大きな帽子に、全身を紫色のローブで包んだ優男。背中にはうっすらと光る光輪が見える。莫大な魔力を持つ者が、自然に発生させてしまう光スペクトルの変化だ。
「やぁヴェリム。久しぶり」
「貴様、どうしてここに……」
「いや、普通に追いかけてきたんだけど」
何言ってんのコイツみたいな顔で『賢者』メルクリウスが尋ねる。
「メル、一人で先に行かないことですよ」
ひどく優しい声。彼女はヒロを抱きかかえると、にっこり笑った。
「『天なる父よ、どうか我らに祝福を』」
中級魔法。だというのに、ヒロの身体は一瞬で元通りになった。
「あ、ありがとうございます」
「いえ。私がここに間に合ったことが主のお導きなのですよ」
「あそこのオアシスに俺の仲間がいるんです。彼も助けてあげてください」
「任せてください」
『聖女』ウェヌスは微笑むと、その姿を消した。砂がわずかに舞い散ることから、跳躍したのだと思うがヴェリムよりも静かに、そして早かった。
「ほらー、メルが逃がすから冒険者に被害出てんじゃんか」
「たかが吸血鬼逃がすとかマジでありえねえから。五秒で殺さないと罰ゲームな」
クレーターの淵で『賢者』にヤジを飛ばすのは間違いない。
『英雄』グラディウス。『騎士』アドニスだ。
しかし何だろう。あの二人の装備は、自ら発光し、魔力を帯びている。
……装備が生きているのか?
「なあグラディウス。アイツの罰ゲームなんにするよ」
「そうだなぁ。吸血鬼目隠し百体抜きとかどうよ」
「いいね。面白い」
……物騒な会話だ。
「勘弁してよー。これで僕の罰ゲーム七回連続じゃんか」
「貴様らァ!」
完全に蚊帳の外に置かれたヴェリムが発狂し、そして次の瞬間にはその頭が爆ぜていた。
「へぇ!?」
変な声出た。
いや、出ないほうがおかしいだろ。何だよ今の。詠唱もしてないし、ヴェリムの方も向いてないし、剣も抜いていなかった。
とりあえずヒロはクレーターから這い上がる。
そこにタイミング良くメルクリウスがやってきた。近くで見ると結構若いな。二十代前半か。
「いや、本当に申し訳ない。これで手をうってほしいなぁ……。なんて」
そういってメルクリウスが差し出してきたのは吸血鬼の魔石。大きさは握りこぶしほどだが、朝日を受けて信じられないほど深い光を放っていた。
「いえ、あの助けてもらっただけでありがたいので」
「じゃあ、これは迷惑料ということで貰っておいて」
そういって無理やりメルクリウスに魔石を握らされる。良いのかなぁ……。
ヒロがリアクションに困っていると『聖女』とともにガウェインが戻ってきた。
良かった。普通に歩けている。
そう、ヒロが安堵するがガウェインの表情は非常に微妙な顔。そんな顔でグラディウスを見つめている。
グラディウスの方を見ると、とても優しそうな顔をしていた。何々、何が起きてるの。
だがそんなヒロの悩みは一瞬で解決される。何故ならガウェインが、
「兄さん……」
と、そういったからだ。