第15話 来訪者、休息する
翌日は休息日なので、完全に何も無い日であった。
冒険者というのは常に命がけの戦場で戦う仕事だ。一瞬たりとも集中力を欠くことなどできないし、肉体の疲労は回復させねばならない。故に、冒険者たちは一週間に二日ほど休息日を作り、自らの肉体と精神を癒すのだ。
ヒロは寝起きのまま、ベッドの上で身体を大きく伸ばす。時刻は朝と昼の中間といったところか。正確な時刻にすると9時くらいだろうか。
この世界では徹夜してまでやるようなことなど無いので、遅くとも夜の10時には寝るようにしているのだが、身体に溜まった疲れがドッと出たようだった。それに、昨日は魔法の使いすぎで気絶する一歩手前まで行ったのだし、この休息は必須と言えるだろう。
と、少し寝すぎた言い訳をしてヒロは身体を起こす。今日は図書館にでも行ってみよう。
服を着替えると、ヒロは最低限の荷物だけもって図書館へと向かった。
図書館。それは限られた大都市にしかない建物である。何故かというと簡単で、本が高いからだ。特に紙で作られた本は非常に高い。本一冊で家が建つほどなのだ。それもそのはず、この活版印刷技術の無いこの世界において、本というものは全てが写本。元本からの手書きの写しである。だから、ひどい本にあたると字が汚くて読めないなんてこともザラにある。
ヒロは銅の冒険者証を見せて図書館内に入ると、本が見やすいように台の上に置かれそしてその全てが鎖でつながれていた。
「……まあ、そうなるよな」
本一冊で家が建つのだ、当然である。ヒロは適当な本のタイトルを見漁っていくと、お目当ての本にたどり着く。『闇魔法の基礎』。これだ。
闇魔法以外の他の属性はほとんどの魔法が体系化されており、本を読んで何回も挑戦することで魔法を使えるようになる。しかし、闇魔法は別だ。この魔法は術者によってその在り方を非常に変える。ヒロが『死にかけた攻撃を模倣し、再現する』という魔法系統を持っているという風に。
だが、大きく属性ごとに分けられているということは体系化されている魔法が少しくらいあるのではないかと思って、図書館に足を運んだのだ。だが、木の冒険者証だと入館料を取られるのでこの銅になるタイミングを見計らっていたというわけである。
台の前に腰を掛けて表紙をめくる。
この本を記すにあたって。
そんなところが読みたいわけではないのでパス。
一章と書かれ、大きな帽子をかぶった魔女が大きな鍋を煮詰めているイラストのページをめくる。
やあ、みんな! 僕は闇魔法の権威であるイグレス・バーニアだ。よろしくな!
パタン、と本を閉じて一息。
え、この感じで進むの? 魔法の基礎本だからもっと厳格な感じで進んでいくのかと思ったわ。とりあえずヒロはもう一度本を開いて続きから読み始める。
闇魔法っていうのはとっても未知の魔法なんだ。他の属性と違って本人の癖が一番出やすい属性だっていうのはもうみんな知っていると思うんだけど、この癖っていうのが厄介でね、その人の経歴や心理状態に一切よらないんだよ。これは『フリクタルの原理』と違うよね。だからフリクタルはその晩年、闇魔法は魔法じゃないなんて言ったんだ。あの天才も、闇魔法にはてこずったというわけだね。
……知らない原理に知らない人が出てきた。
重要そうじゃないし飛ばしてもいいかな……。
じゃあ、闇魔法は一体どんな魔法なのか。その説明をする前に他の属性の説明をしよう。
【火属性】
一番華のある属性だよね。魔法使いの中でもこの魔法を優先して取りたがる男の子は多い。各属性の中でも一番攻撃魔法が多い属性でもあるからね、男の子が憧れるのも分かるもんさ。
【水属性】
最も火力の出る火属性魔法の弱点をつける属性というのもあって、こちらも冒険者にとっては欠かせないものだね。火属性ばかりの攻撃魔法を持っている冒険者からすると、この属性を防御に回された瞬間に諦めざるを得ない。そんなことも珍しいことじゃないんだ。ちなみにこの属性は他の属性の中で範囲が一番優れているよ。
【土属性】
水属性ばかり防御に使われているけど、実は一番防御に優れた属性は土属性なんだ。でも、属性の中で一番不人気属性なんだよね。僕はずっと名前を岩属性にすればいいって言っているんだけど、昔ながらの教授たちは土の方が親しみがある。だなんて言って聞かないんだから。
【風属性】
この魔法は女の子に人気なんだ。まあ、おしゃれだよね。全身に風を纏って動きを素早くしたり、斬撃を飛ばして足りないリーチを埋めたりと器用な女の子たちに人気なのも頷ける魔法だよ。
【光属性】
特に記すことも無い。補助にしか使えないような、取るに足らない魔法だ。この魔法を覚えるくらいなら犬の顔を蹴っている方がまだ人の役にたつ。メアリー・マリーのクソ女が
と、ここまで書いてきたけど大体の魔法属性が分かったかな?
ヒロは一度本を閉じた。
どうした!? 何があった!!?
何をどうしたらそこまで光属性に恨みが持てるんだ。しかもこの恨みぜってぇ私怨じゃねえかよ。
ヒロは後に知ることになるが、メアリー・マリーは光属性魔法の権威であり、イグレス・バーニアに三回告白されるも「闇属性魔法なんてよく分からないもの研究してる人はちょっと……」と断ったという人物である。
ヒロはとりあえず本を開いて、続きを読み始める。
ここまで各属性のことを書いてきたなら、闇属性が一体どういう属性なのか、気になるよね。闇属性なんて一番よく分からないものの基礎を学ぼうなんてしている君たち。僕はそんな君たちが大好きだからこそ、良く聞いて欲しいんだ。
闇属性の魔法は、今まであげた属性以外の全ての魔法だ。
そう、闇属性というものは他の五属性の系統に収めることが出来なかった規格外の魔法ばかりなのさ! どうだい、闇属性魔法を学ぶ気にはなったかい? その前に闇属性についてもう少し丁寧に説明しておこう。他の五属性は攻撃や防御、範囲に補助などいろんな特徴があったと思うんだ。
でも、世の中の魔法にはそれらに該当しない魔法があるよね。例えば1500年前に妖精を殺しきった英雄ガルトンドが使ったとされる空間を操作する魔法。これは立派な闇属性魔法にあたるんだ。闇属性の闇は闇鍋の闇とはよく言ったものだよね。アハハ!
だから、闇属性を学ぼうとしている若人よ。自信を持つのだ。君たちには他の五属性に使えない魔法を使える未来がある。また、自分が使える魔法が一つとは思わないことだ。自分で決めつけるということが魔法を学ぶ上で一番良くない。自分の可能性は無限大だと思って生活を送るべきなんだ。
君たちはこれから闇属性を学んでいく上でいくつもの壁にぶつかることだろう。自分の使える闇魔法が見つからない。見つけたとしても新しい魔法が降りてこない。自分の魔法では冒険者としてやっていけない、などなどだ。
だが安心して欲しい。君たちの心配は闇魔法を学んできたすべての人間がぶつかってきた壁である。そして、皆乗り越えてきた壁でもある。
故に私が、先達として君たちに闇属性魔法を教えるのだ。私では至らぬところがあるかもしれない。私では及ばぬところがあるかもしれない。
けれど君たちは、闇属性魔法について一番の権威であるこのイグレス・バーニアから指導を受けているのだと自信を持ってほしいのだ。
では、これより闇属性魔法の基礎について説明していく。
前半部分と後半部分で思いっきりテンションの差があったけどこの人大丈夫だろうか。
ぺらりとページをめくって、しばらく目を通して本を閉じた。
そこに記されていたのは初級下位の闇属性魔法『影縛り』の魔術式。見開きに渡って難解な数式だった。だーめだ、一文目からよく分からん。
試しに一文目を引用してみよう。
《影というものは『ザッカー方程式』によってコンパクトな閉多様体であるが、『アルヘルナの次元理論』によってコンパクトな多様体へと変化することも分かっている》
だ。ザッカー方程式も、コンパクトな閉多様体も、アルヘルナの次元方程式も、コンパクトな多様体も分からない。唯一分かるのは閉多様体と多様体が別であるくらいのものだ。
本で新しい魔法を学ぶのは無理がある。そう思ってヒロは本を閉じて図書館を後にした。
これも後に知ったことだが、初心者向けの本でそこまで難しく書くのはイグレス・バーニアだけらしい。
図書館を後にしてしばらく歩いていると後ろから見知った声が掛けられた。
「あれ? ヒロ君、こんなところで何してるんですか?」
「リリィか。俺はちょっと図書館で魔法の勉強してたとこ。リリィの礼拝は終わったのか?」
「ええ、先ほど」
と、リリィが言った後に彼女のおなかが可愛らしく鳴いた。
「昼飯にするか」
「はい! そうしましょう」
リリィとヒロは二人してそこら辺の屋台に入ってホットドッグっぽいものを買うと街を歩きながら食べ始めた。
「そういえばリリィは触媒を買わないのか?」
「弟たちへの仕送りも安定してきたので、買っても良いかなって思ってるんですよね。実はこれから見て回ろうと思っていたんです」
「まあ、昨日の収入は凄かったしなぁ」
「ヒロ君が買った短剣はどうです? 使いやすいですか?」
「昨日、少しだけ試し切りしてみたんだけど……すごいぜ」
「すごい……ですか?」
リリィが興味深そうに聞いてくる。
「ああ、とてもすごい」
「そんな凄いんですか!?」
「性能は明日のお楽しみさ」
「楽しみです!」
そんな雑談をしながら装備街、魔法職エリアへ入った。
「リリィの予算はどれくらいなんだ?」
「10万イルくらいです。それ以上はちょっと」
「そっか、時間は一杯あるし全部見て回ろう!」
「良いんですか!? うれしいです!」
全部見て回ると言った瞬間に、顔に笑顔を浮かべたリリィがヒロの手を掴んで一番近い店へと入った。
「いらっしゃいませ。今日はどういったものをお探しですか?」
「魔法の触媒です!」
「こちらへどうぞ」
店員の優しそうな女性に案内されたのは杖のコーナー。やっぱり魔法使いってのは杖を使うもんなのかね。
ヒロとて一端の魔法使いである。自分が強くなるための物に興味がわかない訳が無い。
「本日のご予算はどれくらいでしょうか」
「十万イルです」
「少々お待ちください」
店員はそう言うと、ヒロ達をその場にとどめて幾つかの触媒をピックアップして持ってきた。
「こちらの杖はいかがでしょうか」
ロザリアが持っているものに比べてかなり安っぽい見た目をしている杖をリリィが掴む。しばらく取り廻して魔力を流して、ヒロに補助魔法を使った。
「す、すごいですね。触媒を使うだけでここまでこんなに魔法が使いやすくなるなんて」
「こちらのお値段が8万9千イルです」
「予算内だね」
「他のも見せてもらっていいですか?」
リリィがそう言うと、店員は指輪をリリィに差し出した。
ほえー、こんなんもあるのか。
リリィが指輪を右手の人差し指に付けると、先ほどと同じようにヒロに補助魔法を使う。
「あー」
少し残念そうな声を上げる。
「微妙か?」
「さっきのと比べると少し重いですね」
重い。ネット回線みたいな認識でいいのかな。
「杖と比べるとどうしても指輪は補助機能が弱くなりますからね」
大きさに依存するからなぁ。
「しかし、その分両手がふさがらないっていうのは良いですね。幾らですか?」
「9万9千イルですね」
「ぎ、ギリギリ……。すいません、他のを見せてもらってもいいですか?」
「こちらは少しご予算を超えてしまうのですが、いかがでしょう?」
そう言って差し出されたのは黄色の宝石に意匠を凝らしたイヤリング。
おおー。完全にアクセサリーだ。女の子に受けそう。
リリィは受け取ったイヤリングを耳に付けるとヒロの方を向いた。
耳に掛かっている髪を耳にかけると、口を開いた。
「どうです? 似合います?」
正直に言うと、髪に隠れてちゃんと見えない。
けれど、流石にヒロと言えどもそれを正直に伝えるほど空気の読めない人間ではない。
「似合ってるよ。可愛いと思う」
「……あ、ありがとうございます」
その瞬間、ふとデートみたいだな。なんてことを思った。
いや、冷静に考えるとこれはデートなんじゃなかろうか。なんか、急に恥ずかしくなってきたぞ。
そんなヒロを後目に顔を真っ赤にしたリリィはイヤリングをはずして店員に返していた。
その後二人は良い物を見たという顔をした店員に見送られて別の店に入った。
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