イベント04:名前を聞かれた
「いらっしゃいませー、割引券お配りしてまーす」
先週の金曜に、かわいい店員さんの店に行くのはもうやめようと決心した。
会社と駅の途中にあるから、前を通ることにはなるが、入るつもりはもうない。
今週の月曜から木曜は店の前を素通りし、金曜日の今日も、そのつもりだった。
「いらっしゃいませー、割引券お配りしてまーす」
だが、なぜか店の前でかわいい店員さんがチラシを配っていた。
今まで、かわいい店員さんだけでなく他の店員も、店の前で見たおぼえはない。
だから、いつも通りのルートを通ってしまった。
遠回りにはなるが、他にも駅に向かう道はあるから、そちらにしておくべきだった。
いや、これはいわゆるゲームの強制力というものなのか。
「あ、こんばんは! いつもご来店ありがとうございます!」
考察しながらも歩き続けていたから、いつの間にかかわいい店員さんのすぐ近くまで来ていた。
私に気づいたかわいい店員さんが、ぱあっと輝く笑顔を浮かべて声をかけてくる。
しまった、かわいい店員さんの声に気づいた時点で引き返すべきだった。
「これ、よかったらどうぞ。今キャンペーン中で、全品100円引になる割引券です」
「……どうも」
渡されたチラシには、かわいい店員さんが言うように『キャンペーン』と大きく書かれていて、端のほうに切取線付きの割引券が並んでいた。
「今日から使えますから、ぜひご利用ください」
輝く笑顔のまま言われて、素通りできなくなる。
キャバクラのようにランキングがあるなら、きっとかわいい店員さんはナンバーワンに違いない。
逃避のように考えて、ふと思いつく。
これが強制イベントなら、どうせ逃げられないだろう。
だったら、店の中では聞けないことを聞いてみるいい機会だ。
「……あの、ちょっと聞いてもいいですか」
「はい、なんでしょうか」
「あなたのお名前の読み方って、『ももぞの さくや』さん、で合ってますか?」
親近感をおぼえるすっきりした胸元の『桃園 咲弥』という名札を見ながら言うと、かわいい店員さんの笑顔がさらに輝いた。
「はい! 合ってます、すごいです、よくわかりましたね」
「あー、まあ、なんとなく」
最近木花咲耶姫が出てくるマンガを読んだから、またかわいい店員さんの名前の読み方が気になっていた。
「嬉しいです、だいたいの人に『さや』って言われるので。
同じ漢字で『さや』って読むアイドルの人がいるので、しかたないんですけど」
「ああ、同じ名前の有名人がいると、そうなりますよね。
私はアイドルさんより、木花咲耶姫の印象のほうが強いので、なんとなく。
漢字は違いますけど」
確か大人数系のアイドルグループの一人だったはずだ。
知名度が高いほうが記憶に残るのは、しかたないだろう。
私の場合は、文系というか、オタク知識だ。
「あ、そうなんです。物知りですね!
名前をつけてくれたの、おじいちゃんなんですけど、神様の名前をいただいたって言ってました。
でもそのまま同じじゃ失礼だから、誕生日に合わせて漢字を変えたって」
「……もしかして、三月、弥生生まれですか?」
「はい! しかも三月三日生まれなんで、名前で誕生日主張してる、とかって友達に言われます」
「あー、なるほど」
名前の中で、『桃(の節句)=三月三日』と『弥生=三月』の二重に主張していることになる。
にこにこしながら言っているから、いじられネタというわけではなさそうだが。
ついでなので、もうひとつ聞いてみる。
「大学生、ですよね? 今おいくつですか?」
「あ、専門学校生です。来年やっと二十歳です!」
「十九……」
二十歳前後だろうとは思っていたが、ひとまわり以上離れていると確定すると、なぜかダメージを受けた。
なんというか、自分が年寄りだと思い知らされた気分だ。
「あの、お客様のお名前、教えていただけませんか?」
「え」
ふいに言われた言葉に驚いてかわいい店員さんを見ると、じいっと見つめられる。
身長はほぼ同じだから、まっすぐな視線が痛い。
名前を聞いたのだから、聞かれるのもしかたないか。
「……春木 馨、です」
迷った末に答えると、かわいい店員さんは少し首をかしげる。
「どういう字ですか?」
「ええと、これです」
名前の漢字を説明するのは、いつもめんどくさい。
会社のIDカードをバッグから取り出して、社名は指で隠して名前だけを見せる。
「ああ、その字なんですね。ありがとうございます。
じゃあ、今度から『馨さん』って呼びますね!」
笑顔で言われて、顔が引きつりそうになった。
「お店で名前で呼ばれるのは、ちょっと……」
「あ、そうですね、すみません。
じゃあお店では『春木さん』って呼びますね」
「…………はい」
いやお店以外で会う予定ないんですが、なぜ『お店では』なんですか。
心の中のツッコミは言葉に出せず、曖昧にうなずいた。
だめだ、かわいい店員さんの言葉のひとつひとつの攻撃力が高すぎる。
私のライフはもうゼロだ。
「……じゃあ、これ早速使わせてもらいますね」
手に持ったままだったチラシを軽くかかげてみせる。
行かないつもりだったが、食事して一息ついて、体力と気力を回復しないと、帰れそうにない。
「ありがとうございます! ごゆっくりどうぞ!」
「……どうも」
軽く会釈して、店の自動ドアに向かう。
なんだかムダに疲れた。
どうやらルートに入ってしまうと、イベントを回避することはできないようだ。
回避しようとして強制イベントが起こって、ムダに好感度が上がってしまうなら、今後はイベントが起こること自体は諦めて、なるべく好感度が上がらないように行動したほうがよさそうだ。
誤字などがありましたら、右下の『誤字報告』から連絡いただけると助かります。