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第5話:夢と現実

 ───柔らかい春の匂いだ。

 地面を踏むたびに青臭い若葉の香りが舞い上がる。さらに膝丈ほどに伸びた白い花はまるで絨毯のように広がり、服が花に掠れると甘酸っぱい匂いで胸がいっぱいになる。

 風はひと肌のように優しい。


「アレッタ、やっぱりここだったか」


 振り返ると彼がいる。顔はよく見えないが、間違いなく彼だ。

 彼女はいつもの場所に腰を下ろし、飛び去る風を撫でてみる。

 そんな彼女の横に彼も同じように腰掛けた。苔むした切り株だ。ふわりとして座り心地がいい。


 羽が擦れる音が響いた。

 アレッタが音に視線を飛ばすと、彼の羽が陽に透けていた。

 美しい12枚の羽が雪の結晶のように煌めきながら優雅にはためいている。

 彼女自身の羽はまだ2枚。それも少し灰色がかって、お世辞にも綺麗とは言えない。


「また、羽を見ているな」


「だって、綺麗なんだもの」


 一段と大きく羽ばたかせてから、彼は光の奥へと閉まってしまった。


「隠さなくてもいいじゃない」


「もう、明日には無くなるものだ」


 ふたりともに雲のない空を見上げた。

 ただ青く染まった空は、のっぺりと視界の端から端をつなぎ、ここが世界だと言い切っている。

 だが世界はこれだけではない。

 明日には彼はヒトの世界へと行ってしまう。

 アレッタはただ日差しを睨んだ。まだ高くある陽がそのまま止まればいいと睨んだのだ。


「……明日にならなきゃいいのに」


 俯いた彼女の頬に何かが触れる。

 彼の人差し指だ。

 細く長い指の腹は、彼女の頬を撫でた。

 目尻から優しく頬をなぞり、顎へと落とす。


「泣かないんだな」


「今、貴方の指が泣いてくれました」


 アレッタが微笑むと、彼の口元も緩む。

 彼は彼女の顔を手のひらで覆った。それは彼女の顔を忘れないようにするためなのか、感触を覚えていたいからか。

 きっとどちらでもある。

 彼女も彼の手を取り、その温もりを忘れないよう、頬に刻む。


「アレッタ、約束しよう。再び会えるおまじないだ。

 さ、左手を出して────



 ───…………ふぁ……」


 言いかけた言葉を飲み込み、目を開いた。

 レースの天蓋がかかっている。天蓋のシワを辿るように左に視線を投げると、見慣れない女……ネージュがいる。


「アリー、起きた?」


 出会った時と格好が違う。白色の服には変わりはないが、胸元が大きく開き、刺繍があしらわれたコルセットがある。

 より強調された胸の大きさにアレッタは圧倒されながら、ゆっくりと起き上がった。

 体の痛みがないことに疑問を持ちながら全身を見回すが、かすり傷すら残っていない。

 服も袋を被ったぐらいの粗末なものだったが、今はシルクで作られたフリルたっぷりのネグリジェである。


「着替えはあたしがしたわ。安心して」


 ありがとうと返したとき、不意に目に入った左手首の青い輪にアレッタは釘付けになった。


「……消えていない」


 小さな指で痣をなぞる。確かにある約束の印にアレッタは目を細めた。


「ソレ、魂に刻んであるんだよ」


 仮面の男だ。さらに後ろには赤髪の男がいる。

 赤髪の男は長髪の髪を襟足で一本に縛り、ほつれ毛ひとつない髪は几帳面であると伝えてくる。その彼はメガネをついと直し、アレッタのベッド横に立つと、


「貴様、一度死んでいると思えっ!」


 唐突に怒鳴られた。

 あまりの衝撃にアレッタは固まってしまうが、容赦なく赤毛の男は声を投げつける。


「傷口に泥など塗るなっ! 雑菌が入り、肉が腐って死ぬ!!

 走り過ぎだっ! 幼児の体はそんなに耐えられない! そのまま弱って死ぬ!!

 石を体で受けるなっ! 骨など簡単に折れる! 臓器に骨が刺さって死ぬ!

 自分の腕より太いものを持つなっ! 筋がやられて死ぬ!

 貴様は神の加護のおかげで、見た目の年齢よりかなり強化されてはいるが、それでもヒトはヒト!!!

 俺がいなかったら、すでに貴様は悪霊(あくれい)だっ! よく覚えておけっ!!!!!」


 指差し言われたことを噛み締めながら、アレッタは顔を青く染め、表情を固く結んだ。


 悪霊(あくれい)になっては意味がない───


 この世界には『天界』という天使と精霊が住む世界と、今いる『ヒトの世界』、そして『魔界』という魔族が住む世界が存在している。天界は言ってのとおり、ヒトがいう天国のこと。魔界は地獄である。

 ヒトの世界に住む者が死ぬと、死を受け入れたものが天界、または魔界へと向かう。これは生前の罪の内容で行き先が異なる。

 ただ死を受け入れられない者もいる。


 それが悪霊(あくれい)だ。


 現世に縛られ、生きたかったと懇願する魂は欲深い魔界よりも、神に近い天界を恨み、襲ってくるのだ。

 その悪霊を退治していたのが、アレッタである。


 このアレッタのヒト堕ちの刑だが、単純な話、7日間を生き抜けずに死んでしまうと悪霊となる。これは決まりであって、例外はない。


 彼女は自分の行動の危うさに、死んだ目をしながら落ち込むが、

「元はと言えばエイビス、彼女を迎えに行ったんじゃなかったんですかっ?」


 いきなりの飛び火に、エイビスは全身を震わせ驚きながらも、

「確かに僕はヒト堕ちの天使を拾いに行ったよ。

 でもすぐに死にそうな子はいらない。

 だから僕は君を歓迎するよ、アレッタ」


 男は赤毛の男の小言を遮るようにアレッタの横へと立つと、手袋越しに彼女の頬を優しく撫でた。


「名前、まだだったよね? 僕はエイビス。この館の主人。怒りっぽい彼はフィア。

 アレッタ、7日間、よろしくね」


 撫でられる大きな掌の感触に懐かしさが蘇る。

 懐かしいという気持ちに、アレッタは目を瞑った。

 それは夢のあの人はもういないということだ。だから懐かしむのだ。

 彼女は手首を撫でながら、小さく息を吐き出す。思い出だけを漉しとるように、悲しい気持ちを押し出していく。

 ふと見上げると、エイビスと目があった気がする。アレッタはエイビスに向かってにっこりと微笑んだ。


「これは大切な方との思い出なのです」


 そう。とでも言うように、彼は肩を持ち上げ、


「さ、アレッタ、お風呂に入ってきたらいいよ。スッキリする。

 ネージュ、アレッタをお風呂に入れてあげられる?」


 ネージュはエイビスに大きく頷き返し、すぐさまアレッタを抱え上げた。


「ちょ、ネージュ、私は歩ける」


「いいの、いいの!

 小さいアリーのお世話ができる日が来るなんて、あたし、幸せっ」


 ネージュははしゃぎながら廊下へと飛び出し、鼻歌を歌いながらお風呂場へと足を向けた。

 逃れられない「オフロ」に、アレッタは想像ができない。

 どうか、優しいものであるように。そう願わずにはいられなかった。

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