夢淵の塔で
深い不快夢の底。
僕と君は塔の中。
薄暗く闇没したそのビルは。
薄汚れていてみすぼらしい。
暗い冷たいセメントの壁。
ヒビ割れ黴て、薄気味悪い。
君は後ろでビクビクと。
肩を震わせ怯えてた。
「大丈夫?」
声をかけると君はただ、コクリコクリと頷いた。
コツコツ足音立てながら。
狭い廊下を進んでく。
少し歩けば階段が。
少し昇れば廊下が。
何度も何度も繰り返す。
時折壁には窓があり、外の景色が見渡せた。
相も変わらず下の町には、顔の無い人間が虚ろに俯き歩いてる。
どれほど上に登ったろうか。
相も変わらず暗い廊下は、どこまで進んだのか分からない。
「あ、あれは人……でしょうか?」
後ろの君が前を指さす。
その指の先にはこちらに背を向けた、一人のぬらりとした影が立っていた。
影は肩を震わせて、廊下の先を眺めてる。
僕は瞬時にその影に、強烈な嫌悪を抱いてた。
「あの、道を教えてほしいんですが……」
僕が制止する前に。
君は影に声かけた。
震えてた肩がびくりと止まる。
ぬらりとした影が、ぬらりと振り返る。
顔があるべき顔面に、そこに人の顔は無く。
真っ赤な真っ赤な一つ目が、ギョロリぎょろりと動いてた。
真っ赤な一つ目の下に、ニヤリと真っ赤な笑みが浮かんだ。
「……え?」
「走るよ!」
唖然と立ち止まる君の手を、僕は咄嗟に握り絞め、一目散に駆けだした。
黒い影の横を通り抜け、全速力で細い廊下を駆け抜ける。
振り返るとそこにはぐねりぐだりと体をうねらせ、奇怪な奇声を上げながら、追いかけてくる影がそこに居た。
階段を段飛ばしで駆け上がる。
君も何とか付いてくる。
影はずるりとその形を崩し、濁流となって押し寄せる。
波の中にはあの赤い目が、僕らを捉え、睨んでる。
階段は永遠と見まがうほどに続いてく。
下からは黒い波が押し寄せて、僕らを飲み込まんと迫りくる。
突然君の手が離れた。
振り返ると段差に足を滑らせ倒れてる。
闇の波はすぐそこまで押し寄せている。
君の足が今まさに飲み込まれようとする。
「あぁっ……!」
君の目には涙が浮かんでた。
僕は何も考えず、すぐさま階段を駆け下りて、君の体を抱き起す。
「あ、ありがとうございます!」
肩を組み、足首を捻ってしまった君を庇いながら、今出せる一番の速さで階段を駆け上がった。
べたり、べたりと影が纏わりついてくる。
それを必死に振りほどき、せっせせっせと昇ってく。
階段の上に、扉が見えた。
あと一歩という処で、影が足に絡みついた。
僕は影に引きずられ、階段に倒れこむ。
「こ、のっ……!」
「うわぁぁぁっ!」
君は叫び声を上げながら、咄嗟に駆け下りて、その手で影を引きちぎる。
「ありがとっ!」
すぐさま僕の手を引くと、扉を開いて転がり込んだ。
扉を閉めて背中で塞ぎ、通らせまいと抑え込む。
強い強い衝撃が、何度も何度も扉に加わった。
次の瞬間僕の体は吹き飛ばされて、硬い床に転がった。
脆い扉を突き破り、影の波が入り込む。
もはやここに逃げ場は無い。
絶望的な状況が、僕と君に迫りくる。
その時、その時だった。
「あ、あれは!?」
君が指さすその先に、それは煌びやかにそこにあった。
白と黒の色をした、モノクロカラーのハートのかけらが。
眩い光を放ってそこに浮いていた。
僕と君はそれに懐かしさを覚えた。
確かにそれを取らねばならぬと、僕と君は確信した。
「……僕が気を引いてるから、君はアレを」
「……やってみます!」
「よし……行くぞ!」
僕は壁一面に張り巡らされていたパイプを一本引き剝がし、それを振りかざしながら赤い瞳を威嚇する。
影は僕に釘付けになり、僕の方へよってくる。
君は壁一面に張り巡らされていたパイプに掴まり、じりじりと昇っていく。
影は君には気付かない。
影が僕に纏わりついた。
鉄パイプを取り上げられ、それで頭を打倒された。
ぐわんぐわんと視界が歪み、星が舞う。
影に浮いた赤い口が、下品な笑い声をあげた。
ぼやけた視界で上を見上げると、鉄パイプを伝って君が何とかハートに手を伸ばしていた。
あと少し、あと少しで……。
「これで……とどけ!」
君は鉄パイプからジャンプして、空中でハートをキャッチした。
まばゆい光が放たれて、僕と君は目を瞑る。
光に討たれたその影が、悲鳴を上げてドロドロと、溶けて流れて逃げてった。
飛び上がった君が、宙からまっすぐ落ちてくる。
僕は君を受け止めて、ゆっくり下に降ろしてあげた。
「……えへへ、やりましたね」
「うん、よかった!」
僕と君は顔を見合わせ、声を響かせ笑いあった。
ふと君の姿を見てみると、その様子はさっきと少し変わってた。
白いワンピースに身を包み、可愛らしくそこに居た。
「あれ、服が……」
僕の姿も見てみると、一糸まとわぬ僕の体に、黒い衣装が出来ていた。
ネグリジェと言うものだろうか、布の面積が少なくて、もはや下着と言うべきか。
まぁ今更気にするほどでも無いか。
「……もしかしたら、あのハートを全部集めれば、私達の失っていた物が、全部取り戻せるかもしれないですね」
君は分かったように呟いた。
僕もその答えには賛成で、うんうんうんと頷いた。
背後の壁がガタガタと、音を立てて形を変える。
そこには一つのエレベーターが、僕と君を招いていた。
僕と君は見つめ合い、一つ頷き手を繋ぎ、ゴンドラの中に乗り込んだ。
闇底の街が遠く遠く、下の下に見えている。
エレベーターはどこまでも。
ぐんぐん早く、昇ってく。
気付けば辺りは明るくなった。
闇を抜けたその世界、空には青空が広がった。
波打つ闇の海面で、エレベーターは扉を開く。
そこには小さな駅があった。
「駅、でしょうか」
「駅、だろうね」
僕と君は駅に降り立つ。
既にホームに何人か、顔見えぬ影が並んでた。
僕と君は、ホームに立って電車を待った。
爽やかな風が闇面を揺らし、さわさわと音を立てた。
何処から差し込んでるかも分からない明るい陽射しが、暖かく僕らを照らした。
暫くすると闇を掻き分け闇飛沫を上げながら、一つの列車がやってきた。
車輪の音を鳴らしながら、レトロチックなその列車は、ホームの前でゆっくり止まった。
列車は一つため息吐くと、がたがたと歪んだ扉をゆっくり開いた。
のろりのろりと列車に乗り込む影に続いて、僕と君も手を繋いで乗り込んだ。
僕らが乗ると扉が閉まり、ベルを鳴らして再び列車は闇の上を走り出す。
ガタンゴトンと揺さぶられ、僕と君はいよいよ外の世界に踏み出した。
青い空の光を受けて、キラリキラリと闇面が輝く。
期待と不安、好奇心と恐怖心を胸に秘め、僕と君の旅路はまだまだ始まったばかりだと、列車に揺られ、ぽつりと思った。