母
私は目を覚ます。
質の悪い悪夢を見ていたような気がしたが、目覚めた先は更に悪夢のような光景だった。
監獄のような閉塞環境。
部屋全体を白く塗りつぶされ、窓も無ければ扉も無い。
あるのは一つの白いシーツが無機質に張られた今私が寝ているベッドと剥き出しになった洋式便器、そして天井に設置された監視カメラだった。
ベッドから起き上がった私は裸の足で地面に両足を付けた。
『おはよう、二十番。私の娘とは会えたかな?』
部屋の中にノイズ混じりの無機質な女の声が響く。
カメラが声を発しているかのように、私の顔に目線を合わせてきた。
「こ、ここは何なんですか?私は一体……」
『ここは「虚構組織」と呼ばれる団体の施設だ。君は虚構組織の私有物である第二十号。心配する事は無い、命と生活の保障はする』
この無機質な声が何を言っているのか全く分からなかった。
虚構組織の私有物?
私は物では無い。
記憶は無いとしても、私はついこの間まで、一人の少女として生きてきたはずだ。
『混乱するのも無理は無いだろう。君はAランクの記憶処理を施され、ここに訪れる前までの記憶はその一切を失っている。大丈夫だ、君は『二十番』という新しい名前と、新しい生活をここから始めるんだ。生まれ変わった気持ちで居るが良い』
「そ、そんな……私は一人の人間です!物なんかじゃ……」
『何、君は選ばれたんだ。リンクメーカーの発する亜素適正も持ち合わせた適合者達はどんな他の人類よりも人間として扱われているよ』
「何を言って……」
全く持って話が理解できない。
自分の身に何が起きたのかさえも理解出来ない。
『今や君の体は君一人の物では無い。私の娘である「リンカー」のAIが搭載された「リンクメーカー」が埋め込まれた君は、もう一人の人格とその肉体を二人で共有しなけばならないのだ』
「待ってくださいよ。全然分かんないです」
『私の娘と共に過ごすんだ。君の「母親」は今日からこの私だと思ってくれていい』
「話を聞いてください!」
カメラに向かって必死に訴えかけるが、自分を母親だと名乗ったその声は一切の話を聞き入れてくれない。
私は頭を抱えて座り込んだ。
ここからどうすればいいのか?
必死にそれを考える。
『一つ教えてあげよう。今この世界に君のような正常に意識が覚醒している状態の人間はたったの72人だ。残りの7659291881人は私の管理下で延命装置に接続されたまま肉体を物質の最小単位である亜素に還す事で肉体ごとサーバーに入り込み、半永久的に眠り続けている』
「……え?」
『私は人類の集合的無意識に目を付けた。私の作り出した人工集合的無意識というサーバーに人類の意志を収容し、管理する。そうする事で、彼らは夢の中で永遠に生き続ける。私の胸の中で』
この女の言っている事は理解できないようで、ただ、何となく理解する事が出来た。
私を含めた72人の選ばれた人間を除いて約75億人の人間が延命装置に保管されたまま永遠に眠り続け、この女が作り出したサーバーに意識を収容され、仮想現実の中で夢を見続けているのだろう。
私はもちろん疑った。
何かの嘘かも知れないと信じたかった。
だがそれが嘘だという確証も無かった。
むしろ、あの肉体を改造される記憶やこの状況下では信じざるを得なかった。
『君の役割はただ一つ、仮想現実……「ドリームワールド」に睡眠する事で肉体ごと入り込み、君のパートナーであるリンカーと共にバグの処理をして欲しい』
「バグ……?」
『そうだ。仮想現実の秩序を脅かそうとする反乱分子、イレギュラー。人の夢は不安定だ。稀に在らぬモノを生みだす事がある。それらバグを見つけ出し、直接的に殺し、排除する。例えそれが人間であろうと例外無く、な』
「私に殺しをしろって言うんですか?それなら他の71人に……」
『皆それぞれ役割があるんだ。一人は負傷した者を修復する者、一人は事務管理をする者、一人は世界の拡充をする者。邪魔な者を排除する為に作り出されたリンカーはたったの21人だ。これからリンカー適合者は見つけ次第増やしていく予定ではあるが、まだまだ人数が足りない』
「そんな……勝手過ぎる……」
『勝手なモノか。あぁそうだった、君の「二十番」という称号はこの粛清型の中での番号だ。全72人いる中での君の序列は37番だ。下手な事をすれば残りの71人全てが君を殺しにくるという事を自負するんだな』
抵抗のしようがなかった。
この監禁された状況下で、私はどうする事も出来なかった。
『分かったらもう寝ろ。話は夢の中に入ってからだ』
「……はい」
私は仕方なく、それに従うしかなかった。
真実を直接目にしなければ、確証を得られないからだ。
ベッドに横たわり、目を閉じる。
まるで作為的な強烈な眠気を感じ、私の意識は一瞬にして夢に堕ちた。
目を開けると、またあの白い部屋だった。
何も起きずに目が覚めたのか、と思い辺りを見回すと、若干部屋の内装が変わっていた。
元々窓も扉も無かった部屋のはずなのに、白い壁にはベランダへと続く窓が現れ、正面には外に出るための扉も出来上がっていた。
そして枕元には、あの黒い少女、ルイズが立っていた。
「やあ、気分はどう?」
「……」
私はあなたになんと返せばいいか分からなかった。
「……無理も無いよね。僕は仕事の役目しか分からなかったから、初めて君に会った時に、教えてあげる事が出来なかった」
「ううん、気にしないで。あなたが謝る事じゃないですから」
「ありがとう。僕達はこの世界に居られる時間が限られてるから、端的に説明させてもらうね」
一息置いてから、あなたは言葉を続ける。
「ここが仮想現実の第一層、『意識世界』。現実世界が精密に再現された、仮想現実だ。ちなみに今まで君が居たのは『覚醒世界』。この二つの世界では僕達リンカーがその姿を具現化出来るのに亜素を消費しなきゃならない。その亜素は要は電池みたいなもので、君の胸に埋め込まれたリンクメーカーから供給されている。こうして具現化している間にそれは消費され続けて、姿を消す事で再び充電される。だから僕達がこうやって姿を成している間、宿主の君には体の負担が掛かってしまうんだ」
「良く分かんないけど、エゴとハイパーエゴではあなたは姿を現すのはなるべく避けた方が良いって事でいいんですか?」
「そう。充電は計画的に使わないとね。持続力が強いリンカーなら半永久的に具現し続ける事も出来るけど……それが出来るのは序列15番内の連中にしか出来ないし、そんな連中を扱えるのも宿主は相当な実力じゃないと出来ない。具現されていない間、僕らはリンクメーカーの中で眠っているから、起こしたくなったらいつでも頭の中でそう願えば現れるよ」
あなたは部屋の中を歩き、そして手を掲げた。
ルイズの手の中で黒い何かが構築され、そしてそれは一丁の銃の形になった。
「そしてもう一つの世界が『無意識世界』。この世界で眠ると行くことが出来る、深層無意識の世界。大体バグと戦う事になるのはその世界だ。その世界では僕達は無制限に具現化する事が出来る。戦う手段はこうやって武器をイメージで構築して、それで戦うんだ。普通は夢なんてあやふやなモノだけど、僕達なら完全に意識を持った『明晰夢』のような感覚で行動する事が出来る……って言っても肉体ごと行くことになるから、万が一殺されれば死んじゃうけどね!」
「えぇ……」
あなたは笑顔でそう言ったが、それに嘘は無さそうだった。
「大丈夫、そんな事、絶対にさせないから」
銃を消すと、あなたは手を軽くグーパーさせた。
「この扉の先は、現実世界が広がっている……って言っても、多分君達が居た世界とはちょっと構造が異なってて、普通に暮らす分には問題ないけど、地下にも世界が広がってて、そこにはなるべく近寄らない方が良い。ま、そん時は僕が助けてあげるから安心してね。マザーからの外出許可も出てるし、仕事が入ってくるまでは外で暮らしてみるといいよ。ただ、夜になったらここが君の家の代わりだから、帰ってきた方が良い」
「……わかった」
「じゃ、また夢で会おう」
そう言い残すと、あなたは私の目の前から消えてしまった。
……そんな事を言われても、私にはどうすればいいか分からなかった。
何も知らない虚構の世界に一人投げ出されたからだ。
私は扉の前に進んでいく。
恐る恐るドアノブに手を伸ばし、それをゆっくりと捻った。
明るい外の世界が、私を待ち受けていた。




