人の形した自動人形
屋敷の最上階。
窓から街を一望できるその場所に、僕と君は連れてこられた。
「こちらです」
エリーゼに案内され、薔薇の彫刻が施された扉の前に行く。
何度かノックしてから、エリーゼが声をかける。
「ご主人様、お客様がお見えです」
「あぁ、知っている。いいぞ、入りたまえ」
「失礼します」
扉が子気味の良い音を立てて開く。
心地の良い薔薇の香がより一層濃くなり、扉の向こうから溢れ出してきた。
扉の向こうの部屋の中へと踏み込んだ。
赤い絨毯、赤いベッド、茶器が納められた赤い棚に、赤、赤、赤。
部屋の中央には床をぶち抜いて薔薇の木が生えており、美しい花を咲かせている。
そして部屋の奥、作業台に向かってせこせことペンを走らせている、一つの小さな影があった。
黒い帽子に紅のドレスシャツ、その上から黒いコートとポンチョを着て、巻きスカートを履いている。
髪は美しい赤色で、瞳も同じく赤い。
そんな姿をした一体の「人形」が執筆作業に明け暮れていた。
手元には紅茶が淹れられたティーカップとポットが置かれている。
「やぁお客人。話はアリスから聞いている。見ての通り私は今手が離せない。用件だけを詳しく教えて貰おうか」
こちらに振り向かずペンを走らせ続ける彼女に、僕から声をかけた。
「図書館に用事があって……」
「図書館なら好きに使っていい。持ち出しならカウンターのリストに名前と借りた本の番号を……」
「いや……用があるのは図書館の地下なんだ」
僕がそう伝えると、人形がその手をピタリと止めた。
暫く何かを考えるようにペンを回したと思うと、「はぁ」とため息を吐き、ペンを置いて立ち上がる。
その身長は僕らの腰にも及ばず、球体によって構築された関節を見てギョッとした。
彼女はかつかつと音を鳴らしながらこちらに近づいてくる。
「……私の名前はストレンジ。薔薇の八人姉妹の長女。ここの屋敷のオーナーだ。君達は……いや、名前は知らないはずだろう」
「え……?」
ストレンジと名乗った人形の発言に寒気が走る。
彼女は目を細め、僕と君の顔を見る。
「……ふむ、なるほど。君達の目的が何となく見えた。一つ質問なんだが……」
人形はアゴ先を指で撫でながら、言葉を続ける。
「君達は名前と記憶を取り戻して、それでどうするつもりなんだい?名前が無いならば無いなりに新しく自分達に付ければいい。記憶が無くても、また新しくこの世界で生きていけばいいじゃないか」
「それは……」
ストレンジの言葉に言い返せない。
確かにそうだ。
何故僕達は、こんな途方もない道のりを、ただ記憶と名前を見つけるために始めたのだろうか。
「……自分の事が分からないと、他人の事を愛せないじゃないですか」
「……と、言うと?」
君が口を開いた。
「自分の事も分からないのに、相手が自分を好きになってくれるはずが無いんです!自分の事の説明も出来ない人間が、人を愛せると思うんですか!?」
「……つまり君には、愛したい人間がいるのだな」
君の言葉を聞いて、ストレンジはニヤリと笑みながらそう言った。
その言葉を聞いた君は、顔を真っ赤に染めた。
いつの間に君にそんな憧れの男が出来たのだろう?と僕はちょっとした嫉妬心も覚えた。
「その愛したい人間が例え人間では無かったとしても、その考えは変わらないかね?」
「……はい。私は、誰であろうと、愛を忘れるつもりはありません」
「……いいだろう。良い原稿のネタを貰えたよ」
そういってストレンジがペンを手に持ち、捻った。
ペンの形が変形し、一つの薔薇の彫刻が施されたカギに変わった。
「じゃあこれはお礼だ……己の選択を、後悔するなよ?」
「はい。約束します」
カギを受け取った君が、強くうなずいた。
「じゃあエリーゼ、彼女達の事を頼んだぞ」
「承知しました」
エリーゼが僕達に部屋から出るように促す。
「無事に戻ってこれたら茶の一杯や二杯くらい、私が淹れてあげよう」
「楽しみにしておきますね!」
君がそう言い残し、部屋を出ていった。
僕もそれに続こうと部屋を出ようとしたとき、「待ちたまえ」とストレンジに呼び止められた。
「……君も、早くあの子の気持ちに気付いてあげられるようになりたまえよ」
「……」
耳元でそう囁くと、ストレンジが僕の尻を蹴り飛ばし、部屋から突き出した。
「え……え?え?」
良く分からないが、顔が火照る。
心拍数が上がり、君の顔がまともに見れない。
「ど、どうしたの?」
「……分からない」
君が心配そうに僕を見つめる。
この得体の知れない衝動は何だ?
初めて味わった感情だった。
「……行きますよ」
先に歩いて行ってしまったエリーゼの跡を咄嗟に追いかけた。
とにかく、今は図書館の地下に行くことだけに集中する事にした。




