親友の恋
「りっちゃん、今日もお出かけ?」
ぼさぼさの髪で、こたつの逆側から、恵美子が聞いた。
「うん、まあ。」
利津は鏡から目をそらさずに空返事をした。
化粧が控えめなのを確認して、恵美子は、はーっとため息をついた。
「今日も彼氏とデートかぁ、いいなぁ。」
「まあね、あんたみたいに、貴重な休日に髪もとかさず、ジャージのままで過ごすほど、暇ではないわね。」
利津は、誕生日に彼氏から買ってもらった、アクアマリンの天然石が付いたイルカのネックレスをつけた。
「やっぱり、りっちゃんにはその趣味は似合わない気がする。」
「似合わないのは否定しないけど、あんたには言われたくないわね。」
恵美子は、こたつ布団に顔をうずめると、
「彼女ほしいなぁ。」
と小さい声で呟いた。
「じゃあ、まず、家から出なさいよ。引きこもりじゃ、恋人どころか友達もできないわよ?」
恵美子は、顔をこたつにうずめたまま、スマホを持った手を利津のほうに伸ばし、
「文明の利器にたよる~。」
と、甘えた声で答えた。
利津は、ため息をつくと、「あんたがそれでいいなら、いいわよ。」と答えた。
利津は、恵美子と選んだキャメルブラウンのコートに身を包み、行ってくるとドアを開けて出て行った。
恵美子と利津は中学高校と同級生だった。
少し抜けたところのある恵美子を利津がフォローしているうちに、いつの間にか仲良くなった。
あまりにも仲が良かったので、二人が大学進学と専門学校進学で上京するときに、二人の両親が一緒に住んだらどうかと提案し、お互い28歳になった今でも二人で暮らしている。
恵美子は同性しか恋愛対象にならなかったが、利津はそれを知っても変わることなく、親友として扱ってくれて、嬉しくもあり、寂しくもあった。
特に、3年前から利津が付き合っている彼氏に会いに行く日は、とても寂しい気持ちになった。
彼氏ができて、数か月で、利津は変わった。
化粧は大人し目になり、ひざ丈のスカートをはくようになった。
利津は年齢的なものと言っていたが、恵美子にはそうは思えなかった。
薄くなった化粧、地味になった服装、イルカのネックレス。どれも、利津の彼氏が構成した要素に思えた。
キャメルブラウンのコートは、恵美子が構成する唯一の要素に思えた。
「お揃いにすればよかったな。」
一人になった部屋で、恵美子はそう呟いた。
戯れに、スマホをいじってみる。SNSをみても、動画サイトを見ても、ひどくつまらなく思えた。
恵美子は気づいていた。
家からでなくなったのも、だらしなくなったのも、利津に彼氏ができてからだと。
それまでも利津に彼氏ができることはあったが、今回は違うと初めから勘づいていた。
おそらく、早い段階から、利津の彼氏は利津と結婚する気でいた。
だから、どんどんだらしなくなり、やっぱり利津がいないと恵美子は生活できないんだと思わせたかった。
恵美子は、キッチンでお湯を沸かすと、ココアを入れてこたつに持ってきた。
「まあ、しょうがないよね、りっちゃんはしっかり者だけど、昔からにぶいから。」
自分に言い聞かせるように言うと、高校時代お揃いで買った携帯電話のストラップを眺めていた。
何度も利津に捨てろと言われたが、捨てられず、家の鍵につけていた。
きっとそろそろ、利津を解放してあげないといけないんだろうな・・・そんなことを考えているうちに涙が出てきた。
恵美子は自分が同性愛者だと打ち明けた日に告白するつもりでいた。
でも、利津の「それでも親友だよ。」と言う言葉に飲み込まれてしまった。
利津の大切な人でいられれば親友でもいいという思いと、利津を自分のものにしたいという思いと、感情が混ざり合って、さっき入れたココアのように、ぐるぐる渦巻いている。
「よし。」
恵美子は気合を入れると、身支度を整え始めた。
だらしない休日を過ごしてはいたが、恵美子はどちらかと言えば美人の部類に入る。
それは本人もわかっていた。
若いころには、年上の女性にモテたこともある小悪魔的魅惑を持った女性だ。
少し化粧をして、小奇麗な服を着ると、周りの目を引く。
恵美子は、スマホで写真を撮ると、少し加工して、掲示板に載せた。
今は、誰でもいいから、一緒に過ごしてくれる相手がほしかった。
録りためたドラマを観ているうちに、3通ほど、メールが来た。
恵美子は近場のあいと言う女性と会うことにした。
あいは、駅前のコーヒー専門店で待っていた。
少し雰囲気が、昔の利津に似ていて驚いた。
「おまたせしてすみません。待ちましたか?」
恵美子の声に、あいが振り向いた。
あいは、少し驚いた顔をした。
「え?私の顔に何かついてます?」
恵美子が、顔を触ると、あいがくすくすと笑った。
「いいえ、そうじゃなくて、写真のままきれいな人だなって思って、びっくりしただけですよ。」
あいの声がどことなく利津に似ていて、恵美子は、胸がキューっとなった。
二人は少し、コーヒー店で話をすると、電車で動物園に向かった。
メールで、あいが動物好きだと話していたのだ。
(動物園か・・・利津が動物嫌いだから、上京してから一度も来たことないな・・・)
そんなことを考えている恵美子をよそに、あいは、パンダを見るんだとはしゃいでいた。
動物園につくと、あいはパンフレットを手に取った。
「えみさんは、好きな動物とかいますか?」
キラキラしたあいの表情に、若いころの利津の面影が見えた気がした。
「えっと、わたしは、馬とか・・・ですかね。」
「ああ、それなら、ポニーとか触れ合えるみたいですよ!後で行ってみましょうか?」
「ええ、あ、はい。」
恵美子が、ハツラツとしたあいの雰囲気に押され気味になっていると、あいは不意に手をつないできた。
「今日はデートですし、手ぐらいはつなぎましょう?」
(最近の若い子はこんな感じなのだろうか・・・?)恵美子が戸惑う暇も与えないほどに、あいは恵美子の腕をぐいぐいとつかんで進んでいく。
恵美子は、高校時代の修学旅行で行った遊園地を思い出していた。
利津にぐいぐい腕をつかまれて、アトラクションをまわっていたことを。
利津は、あいほどにはハツラツとした元気さはなかったように感じるが、周りを巻き込む空気感は、どことなく似ている。
「えみさん、パンダです!写真撮りませんか!?」
あいは、スマホをつかんだ腕を伸ばし、パンダと自分と恵美子が入るように、カメラの位置を調節している。
写真を撮ると、明るいあいの笑顔と、恵美子の下手な笑顔が写っていた。
「さっきのアドレスに、写真送っておきますね!」
「あ、ありがとう。」
恵美子は、写真を保存すると、あいのほうを見て、ニコッと笑った。
あいは、目をそらすと、
「パンダ可愛いですね~。」
と言って、パンダのほうを向いてしまった。
(やっぱり上手に笑えてないのかな・・・。)
恵美子は、あいの隣でパンダをみつめた。
二頭のパンダがじゃれあっている。
ふと、利津のことが頭をよぎった。今頃何をしているだろうか?
恵美子は、あいの手を掴むと、歩き出した。
「ポニー、みにいこうか?」
あいは、下を向いて、「はい。」とだけ答えた。
【ふれあい動物コーナー】と書かれた場所に、ポニーやらヤギやらがいた。
柵の中には、うさぎもいた。
「うさちゃんだ~!」
あいが、恵美子の腕をほどいて走り出そうとすると、恵美子はあいの腕をしっかりと掴んだ。
「今日はデートなんでしょ、離さないで。」
あいは、驚いた顔をしたが、すぐに、笑顔で「はい!」と答えた。
動物と触れ合っているうちに、いつの間にか二人の距離は近くなっていった。
売店で、ソフトクリームを買う頃には、違う味を買って味見しよーなどと、何年もの付き合いの仲のようになっていた。
「ちょっとあいちゃん、クリームついてる。」
恵美子は、バッグからハンカチを取り出した。その拍子に、ストラップのついた鍵を落としてしまった。
不意に拾い上げると、あいが、少し怖い顔をしていた。
「どうしたの?これ、ハンカチ使って。」
恵美子が言うと、あいは、ハッとして、ありがとうと言うと、恵美子のハンカチで顔をぬぐった。
「えみさん、ちょっとお土産買ってきていいですか?」
「え?良いよ、私は、そんなに欲しいものないから、見てきていいよ。」
あいが売店の中に入ると、恵美子は近くのベンチでスマホを見ていた。
動物園内を見ているうちに、何枚かあいとの写真が増えていた。
(かわいいし、いい子だな・・・。)
恵美子は、この子と付き合ってもいいかもしれない。そう思い始めていた。
「えみさん!」
あいが、売店から走って来た。
「あのこれ、使ってください!」
あいが、売店の袋を開けると、パンダのキーホルダーが入っていた。
「くれるの?ありがとう!どこにつけようかな?」
恵美子が喜んでいると、あいは、
「さっきの鍵につけてください!」
と言った。
「うれしいけど、もう一つキーホルダーついてるし。」
恵美子が笑いながら言うと、あいは、
「あんな汚いキーホルダー捨てればいいじゃないですか!私からじゃ不満ですか?」
と言い放った。
恵美子は、一瞬ポカンとした表情を浮かべたが、すぐに怒りがわいてきた。
「ごめん、これいらない。帰る。」
恵美子は、動物園での楽しかった時間も無駄に思えるほど、怒りが体中にあふれていた。
「待ってください!」
あいが掴もうとした腕を振り払って、恵美子は出口へと早足で歩いて行った。
夕暮れの動物園には、呆然としたあいだけが残されていた。
恵美子が家に帰ると、部屋の中は真っ暗だった。
誰もいないのかと思ったが、利津が朝履いて出て行った靴が見えた。
「りっちゃん?いるの?」
部屋の明かりをつけると、利津が、コートも脱がずにこたつ布団に顔をうずめてうずくまっていた。
「どうしたのりっちゃん、明かりもつけずに・・・。」
利津の肩が震えているように見えた。
「恵美子・・・。何でいなかったの・・・。」
恵美子は、弱気な利津の姿を久しぶりに見た。
「りっちゃん、ごめんね、私も用事があって・・・。」
恵美子が膝をついて声をかけると、利津が恵美子に抱き着いた。
「恵美子は・・・恵美子はいなくならないで・・・。」
恵美子は、利津の肩を抱きしめると、静かに背中を撫でた。
どうしたのだろうか、彼氏とのデートの後にしては様子がおかしい。
「りっちゃん、何があったか言ってくれないと、私もわからないよ。いったいどうしたの?」
恵美子の問いかけに、利津が顔を上げると、目にたくさんの涙をためて、化粧がぐしゃぐしゃに乱れていた。
「あいつ、ブラジルに行くんだって・・・仕事で・・・。いつ帰ってこられるかわからないから、別れようって・・・。」
彼氏に振られたのかと、恵美子が複雑な感情を抱いていると、利津が言った。
「あいつついてきて欲しそうにしてた・・・。わかってたのに、言えなかった・・・。ついていくって、言えなかった・・・。」
恵美子はハッとした。自分が利津を縛っているばかりに、利津は一緒に行くと言えなかったのではないかと恵美子は考えた。
恵美子は、すぐに、スマホを開いた。
利津の彼氏を紹介されたときに、電話番号を聞いていたのだ。
「・・・もしもし、恵美子です。私が同性愛者なのは初めにお伝えしましたよね?利津を振ったということなので、遠慮なく私のものにしますから、意味は分かりますね?利津を抱かせてもらいますから。それじゃ。」
利津の彼氏に電話を掛けると一方的にこう言って電話を切った。
「恵美子・・・?」
利津が不安そうに恵美子を見つめていた。
恵美子は優しく微笑んだ。
「うそうそ、これくらい言わないと本気にならないと思っただけ。私は、りっちゃんを抱かないから。」
胸が苦しくなるのを隠しながら、明るい声で恵美子が言った。
「・・・いいよ。」
「・・・恵美子、私のこと抱いてもいいよ。」
恵美子は、利津の手を握った。利津は、こんなことを言うような子じゃなかった。
恵美子が同性愛者と知っていて、抱いていいなんて残酷なことを言うような子じゃなかった。
きっと、それだけ、今の彼氏に対して本気なのだろう。そう、恵美子は思った。
「大丈夫、すぐに飛んでくるから。それに私だって、今日、デートしてきたんだから!」
そう言って、動物園でのあいとの写真を利津に見せた。
「ごめんね・・・。」
利津はそれだけ言って、うつむいていた。
30分くらい経ったろうか、玄関のチャイムが鳴った。そしてすぐに、ドアをたたく音が聞こえ、
「利津!利津!」
という、男の声が聞こえてきた。
恵美子がドアを開けると、汗だくの利津の彼氏が部屋に上がり込んできた。
「利津大丈夫か!」
利津の彼氏が声をかけると、恵美子が大声で言った。
「こんなこけおどしぐらいであわてて飛んでくるなら、初めから手を離さないでほしいですね!」
利津の彼氏が、驚いて恵美子を見た。
「私も、彼女が待ってるので、あとはお二人でしっかり話し合ってください。」
恵美子は、そのまま、玄関を出て行った。
不意に、スマホを見ると、何通ものあいからのメールが入っていた。
6か月後、利津はブラジルで花嫁になった。
結婚式には、恵美子も友人として参加した。
その夜、泊まったホテルで恵美子のスマホの着信が鳴った。
「えみ、そっちはどう?利津さん、奇麗だった?」
「まあ、そりゃ奇麗だったよ。あいも来ればよかったのに。」
「恋人の元片思い相手の結婚式に出られるほど、心広くないわよ。」
「そうだよね、私のストラップに嫉妬してたくらいだもんね。」
「・・・一目ぼれだったんだもん、しょうがないじゃん。でも、えみも悪いんだよ?明らかに思い出のものって思えるもの身に着けてデートに来るんだから!」
「ごめん。」
電話を切って、バッグを開くと、あの日の動物園のパンダのキーホルダーが静かにほほ笑んでいた。
おわり