16ー9 記憶消去、請け負います。……200万で
アラームの音に起こされて目を覚ます。
腕を伸ばして欠伸をしつつ枕元に置いてある携帯のアラームを解除する。
窓の外はまだ薄暗い。部屋の明かりがギリギリ必要ないくらいの明るさだ。
部屋を出て、キッチンの戸を開ける。電気を付けてから顔などを洗面所で洗い、冷蔵庫を開ける。
「なんもないんだけど。昨日の買い出し………結城か。忘れてるな、これは」
毎日三食十人分である。頻繁に食材を買い出しに行かないと冷蔵庫が本当に空になる。
なんとか朝食分の材料をかき集めた結果、ただのトーストとキャベツ入りチーズ卵焼きくらいにしかならなかった。
それを卵を溶いたものをフライパンに流し込みながらため息をつく。
「眠い………夢の中で上手く落ち着けなかったしな………」
ぐしぐしと目元を擦り、もう一度欠伸をした。その瞬間、ポケットに突っ込んだままだった携帯が小刻みに震える。
「っと。電話?」
まだ6時前である。電話番号は知らないものだった。とりあえず通話を押して耳に当てる。
「はい」
「もしもし」
「あ、この前の。……決められましたか?」
「はい」
声で直ぐにわかった。そういえば互いに名乗ってすらいない事を思い出したが、もうどうでもいいか、とすら思い始めてその辺りはスルーする。
「お話、二人だけでお願いできますか?」
「はい。大丈夫ですよ。場所と時間はどうされますか?」
「人が来ない場所、ってありますか……?」
「それなら………ひとつ会議室を取っておきます。天宮城と待ち合わせがある、と言っていただければ通してもらえるようにしておきますので」
「わかりました………」
電話を終了すると藤井が起きてきた。
「龍一。焦げてないか?」
「……ぁ」
裏側真っ黒になった。
「ねぇりゅう。焦げてるよ」
「煩いなぁ。文句あるなら自分で作って」
「えー? きこえなーい」
明後日の方を向いて耳を塞ぐ風間。
「龍一が焦がすなんて珍しいね」
「電話してて忘れてた」
「こんな時間に電話?」
「ああ。個人的なものだけど。………苦いな、これ」
自分で焦がしたのだが。
「あ、そうだ。施設内にもう一件カフェかなんか入れようって話してたじゃん」
「そういやそうだったな」
「話纏まらなくて結局忘れてたよね」
各々が苦い卵焼きをちびちびとかじりながら反応する。
「いい条件で受けてくれそうな人見つけた」
「へー。あ、りゅうがやるの?」
「そんな時間あるか。俺も驚いたんだけど、散歩してたら喫茶店見付けてさ。そこがとんでもなく旨いんだよ」
さらっと言った天宮城の言葉に全員が食べている手を止めて反応する。
「旨いのか」
「滅茶苦茶旨い。ビビった」
料理好きな天宮城が認めるのだから相当なものなのだろう。そう全員が考える。
「けど、そんなに旨いんだったら移転とかしにくいんじゃないか?」
「いや、そこは問題ない。だってそこの店が繁盛してないの立地条件悪すぎるからだし。寧ろ喜んでたよ」
店主の性格はあれだが、本当にものは美味しかった。
「お前のとどっちが美味い?」
「断然あっち。趣味同然の俺のとは比べ物にもならん」
全員がごくりと唾を飲み込む。天宮城の様子からして決してお世辞ではない。
断然、という言葉をつけているということはそれだけその回答に自信があるのだろう。
「とりあえず行ってみたら? 今日の昼にでも」
「りゅうは?」
「俺は先客入ってるから残念だけど行けないかな。結城は行くんだろ?」
「もち」
グッとサムズアップして笑顔を見せる風間。
「俺も行こうかな」
「私も」
結局天宮城以外の全員が行くことになった。天宮城は地図アプリを開いて周辺の地図のある通路のようなところに赤いピンを立てる。
「いいか、本当にじっと見ないとわからない場所にあるから。本当にただの通路にしか見えないからな。気を付けろよ」
そう念押しして全員の携帯にその地図の写真を送る。
数時間後、9人でぞろぞろと店に行ったのだが案の定わからずに通り過ぎ、結局天宮城が電話口でナビをしたのはある意味想定内のことだった。
「ここは後で処理するとして………よし。…………? 琥珀。画面が見えないんだけど」
カチカチとマウスをクリックしていた天宮城の目の前に琥珀が飛んできた。
琥珀はやけに羽を気にしているようで、見ろ見ろと促してくる。
「なんなんだ、一体」
よくよく見ると右側の羽に薄く蔦のような模様が入っている。
「お? お前こんなのあった?」
ブンブン、と首を横に振る。そして天宮城の袖を捲るジェスチャーをした。
「な…………んだこれは」
肩から肘にかけて、翡翠色にうっすらと輝く刺繍が入っていた。琥珀の羽と同じ柄である。
「確実にあれだ………」
頭を抱える。昨晩、夢の中で起こったこと。それが確実に関係しているのは間違いない。
「あの」
「はっ⁉ あ、すみません。こちらへどうぞ」
思考に耽っていた天宮城を引き戻したのはあの記憶を消すか悩んでいた人だった。
「それで、どうしますか」
女性は天宮城に紙の束を渡す。
「やめておきます。やっぱり、忘れるのは彼にも悪いから」
「………」
天宮城はなにも言わなかったが、その表情はいつになく優しげで満足しているようだった。
「色々やってもらったのに、ごめんなさい」
「いえ。お気持ちはよくわかりますし、決めたのは貴女ですから」
「気になっていたこと、聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「前に、自殺未遂したって仰ってましたよね。本当なんですか。何故なんですか」
天宮城は一瞬なんと返事を返そうか迷い、静かに口を開いた。
「………僕、能力が嫌いです。この力が昔から嫌で嫌で仕方なくてそれだけならまだしも人まで傷付けてしまうのが」
胸の辺りを押さえ、目を伏せる。
「それに、人に取り繕うことばかり考えていたせいで本当の自分の性格すらわからなくなってきている始末です。頑丈なのが災いしたのか幸いだったのか。死ぬこともできずにただフラフラと生きているだけの生活です」
貴女には、こうなって欲しくない。その後で言葉を付け足しながら苦笑する。
「人間、死ぬ気でやってみれば色々出来るものですよ? 貴女にはまだそのチャンスがある。諦めないで次へと進むことだけ考えられるのなら最高なんですけど、人間誰しも振り返りたくなるものですからその時に間違えてなかった、そう思えればいいんじゃないでしょうか」
ちょっとぐらい道を外れたって自分が後悔しなければ、それでいい。天宮城は自分の事は話さなかった。話しても空気が更に重くなるだけ。
「あー、慣れないこと言ったから痒い! できたら今の会話忘れてくだされば嬉しいです」
冗談めかしてそう言い、鞄に荷物を全てしまってドアの方へ向かう。
「午後からここ使うそうなので早めに出ちゃいましょう。外の空気吸いに行きたいです」
鞄を担ぐようにして持ち、ドアを開ける。
「もしよろしければいつでもご連絡ください。僕はカウンセラーでもなんでもないので的確なアドバイスとかは出来ませんが、愚痴を吐き出す空間なら作れますので」
こういうとき、なんといったらいいのか。少し迷って、
「ええ。ありがとう」
そう返すのだった。