15ー3 彼が人を信じれない訳
「あいつが目を覚ましたって聞いたのはそれから二日後のことでした」
傷もそうだが、痣の部分が壊死しかかっているところもあったらしく、軽い手術も受けたらしい天宮城の見舞いに全員で行った。
小さな病院の中から、声が聞こえてきた。
「誰にやられたんだい?」
「………………」
「いつまでも黙っていても何も解決しないよ? 僕たちなら、君を救える筈だ」
「………………」
天宮城のベッドの隣にはペンと手帳を持った男性がいた。
「その人、警察の人だったらしいんです。虐待の痕をみた医師がそっちに報告したとかで」
勿論天宮城はお決まりの無視、無言。
「あの………?」
先生が話しかけると、その男性もこちらに目を向け、
「ああ、確かこの子の小学校の」
「担任です。それと、クラスの子供たちです」
軽く自己紹介を終え、男性が天宮城をちらと見てから先生に向かって小声で話し掛ける。たまたま近くにいた藤井にはその会話の内容が聞こえてしまった。
「あの子、不気味な位喋らないんですよ。それと、酷い虐待の痕があるのですが、ご存知ですか?」
「………え? そうなんですか⁉」
「ご存知ありませんでしたか。それについて本人に質問しているのですが音が聞こえていないかのようにピクリとも動かなくて」
天宮城の演技力を舐めてはいけない。自分に関係のあることは誰だって少しは反応してしまいがちなのだが、天宮城の場合完全に音をシャットダウンしているかのように全く反応がない。
たまに鬱陶しそうに見るだけだ。
藤井は、なんとなく聞いてはいけない会話を聞いているような気分になってすぐその場から離れ、天宮城の近くに行った。
天宮城は相変わらず興味のない目で藤井を一瞥した後、手元の本に目をやった。
藤井はその本を奪い、思いっきり窓の外にぶん投げた。
「「「…………………」」」
全員、藤井の行動に意味がわからず暫く呆然としていた。
「おい、お前!」
初めて家ではない場で人間らしい反応を見せた天宮城に怒鳴りかかる。藤井も今自分が何をしているのかよくわかっていなかった。
「いつまでウジウジしてるんだよ!」
「……………関係ないだろう。本、どうするつもりだ。ここの病院から借りてるんだけど」
あ、しまった、と反射的に思ったがそんなことはどうでもいいとばかりに一旦その事に目を瞑る。
「べ、別に大丈夫だ。そんなことより、お前いつまで黙っていても無駄だってことくらいわかるだろ」
「そうだな。それがどうした」
判りきっていることのように、そう言う天宮城。判っていて黙っている。そう言い張った。
「逃げるな」
天宮城の頭を無理矢理つかんで自分の方に向かせる。天宮城は酷く苛立った表情をしていた。
「逃げてない」
「逃げるな! そんなに母さんにバレたくないのかよ!」
「なっ………⁉」
何故それを知っている、と天宮城の目が見開かれる。
「なんで………」
「最近、お前の家の近くの木に登ってお前のこと見てた」
完全なるストーカー発言だ。だが、天宮城は怒りはもう覚えていなかった。それ以上の、隠していたことが見付かった恐怖に怯えていた。
「お前が家に入れないことも知ってるし、誰か知らないけどおっさんに毎日蹴られてることも知ってる! お前が痛いの我慢して母さんにバレないようにしてるのも知ってる!」
全員の目が驚愕の色に染まる。
「そうだったの………? おっさんって、天宮城君の叔父さんの事だよね………?」
「…………」
見てわかるほどに体を強張らせ、小刻みに震え始める天宮城。それは、恐怖から来るものだったのだろうか、それとも隠していたことをすべて暴露されたことによる怒りから来るものだったのだろうか。
若しくは、両方だったのかもしれない。
「叔父から、虐待を………。ご両親ももしかして」
「ち、違う!」
一言、喉の奥から絞り出すように出てきたのはそれだけだった。天宮城は、自分の演技力ではカバーできないほどの混乱を覚えていた。
「違う、違う!」
何度もそう言い、藤井を怒気の籠った目で睨み、
「お前のせいで……お前のせいだ! ずっと、ずっと我慢してたのに!」
身体中、ボロボロなのに大声をあげて藤井を責め立てる。思っていても体が言うことを聞かないのか、過呼吸寸前のような浅く早い呼吸を繰り返す。
「お、前の、せい、だっ!」
全て、積み上げてきたものが今の一瞬で崩れ落ちた。
誰にも悟られないよう傷を隠し、痛みに耐え、どれだけ辛くても母親の前では笑みを絶やさなかった。
何度も気絶しそうになるのを必死で堪えながら、平然と椅子に座り、授業を受けた。現に誰一人として虐待には気付けなかった。
「逃げるな」
「っ」
藤井はもう一度、そう言った。それに力などない筈なのに自然と天宮城の叫び声が止まる。
「逃げるなよ。もう」
「逃げてなんか………っ」
寧ろ、ずっと戦ってきた。休まるときなど一秒たりともなかった。寝るときですら、死を覚悟していたのだから。
倉庫の中で凍え死ぬ寸前になるよりも大変だったのは母親と寝るときだった。
服が捲れないようにしなければならないだけでなく、服と肌が擦れて血が出ないように動きを最小限にまで減らし、痛みに耐えながら抱きつくようにして夜が明けるのを待った。
そんな状態で眠れる筈がないのだ。いつの間にか、全く寝付けないようになっていた。
所謂不眠症だ。安心できる場所が何処にもないために精神が休まる時がない。
「もう、いいじゃん。全部母さんに言っちゃえよ」
「………は?」
襲いかかろうとしているような、そんな雰囲気だったのをぶち壊したのは藤井だ。
「お前の母さん、なんにも悪くないじゃん。悪いのはあのお前を蹴ってるやつだろ?」
「………誰も悪くない。悪いのは俺だ………だから、関係ない。これ以上、俺に関わるな」
すると、パァン! となにかが盛大に叩かれる音がした。
葉山が天宮城の頬に、全力でビンタをしたのだ。
「「「……………」」」
なんでお前が? みたいな空気になった。
「さっきから話聞いてたら、ムカムカした」
葉山が相当イラついている。だが、その目には涙が溜まっていた。
「バカじゃないの。自分が悪いとか、お前には関係ないとか。関係あるでしょ‼ 同じ学校の仲間でしょ‼」
「……………」
「あんたのこと知らないし、なんの話してるのか全然わかんないけど、一人で考えすぎなのよ‼ 自己中にもほどがあるわ!」
全員、ポカンと口を開けて葉山の行動を見ていた。いろいろと予想外すぎる。
「じゃあ、じゃあどうしろって言うんだよ‼」
「わかんないわよ‼」
「は⁉」
「なんにも知らないんだからわかるわけないでしょ‼」
じゃあなんでこの話に介入したのか。
「ど、どうでもいいって思うなら、どうすればいいのかわかんないなら、私に話してよ。みんなで考えればどうすればいいのかきっと良い案が思い付くわ」
「そ、そうだよ! 私も聞くよ‼」
葉山のかなり強引な考え方に皆が同意していく。勿論、藤井も。
「お前がなに考えてるのか俺にはわかんないから。だったらみんなに話してみろよ」
天宮城は目を伏せ、下唇を噛む。眉間に軽くシワを寄せ、恐る恐る周りの様子を確認する。
そして、ゆっくりと、本当にゆっくりと、震える手をなんども出したり引っ込めたりを繰り返しながら葉山の手の上に重ねた。
どれだけ蹴られても罵られても流さなかった物が、真っ白なシーツの上に斑点を作っていた。