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15ー2 彼が人を信じれない訳

「おかわりは?」

「………いい」


 いつもなら絶対に足りない夕飯の量。胃ももっと欲しいと言っているようだったが、全く食欲が起きなかった。


 その後風呂に入る時も、ホースから出る冷水で体を洗う天宮城の姿がまぶたの裏を離れない。


 テレビで玩具店の特集や、いつも見ている子供向けアニメがやっていたが、そんなもの、見る気にすらならなかった。


 布団に入ったときでさえ、これの数倍薄い毛布ともいえない毛布を被って寝ているのだろうかと考え始めると、なかなか眠気が訪れなかった。


 次の日、少し寝不足で学校に向かうと、天宮城は既に登校していて、図書室で借りたであろう本を読んでいた。


 パッと見ても怪我や痣は全く見えない。それもそのはず、男が蹴っていたのは基本的に腹だったのだから。


 なんともいえない気分になりながら藤井はいつものように席に座る。天宮城は一瞬目を向けたが、興味のない表情で手元に視線を移した。


 こめかみの辺りに、髪で隠れてはいるが切り傷が見えた。昨日血を出していたところだろう。


 その日も、その次の日も、藤井は天宮城の家にこっそりついていき、倉庫で暮らしていたのは偶々あの日だけだったのではないかという淡い期待を抱いていた。


 だが、天宮城は藤井は見ているときだけでも一度も家に入っていない。


 毎日のように倉庫に帰り、男に殴られて震えながら毛布にくるまるというサイクルを繰り返していた。


 逃げればいいのに、と藤井は思ったのだが、それができない理由があったのだ。


 それを知ったのは尾こ―――観察を始めて4日目の事だった。


 いつものように木の上から様子をうかがっていると、駐車場に一台の車が停車した。


 ぼんやりと死んだような目で毛布にくるまっていた天宮城の目に輝きが戻り、ほんの少しだけ笑みを浮かべた。


 この時、藤井は天宮城の笑みを初めて目にした。


 天宮城は靴を引っ掛けて急いで倉庫の外に出る。ずっと待っていた玩具が届いた時の子供のような顔だった。


 天宮城は車から出てきた女に駆け寄る。


「ただいま。いい子にしてた?」

「…………うん」


 嬉しそうな笑みを浮かべる天宮城に女が抱きつく。天宮城は一瞬、痣や傷が押された痛みに顔を強張らせるが、なんでもないことのように振る舞っている。


 痛みを堪えていながらも笑顔を見せて寧ろ自分から抱きつく天宮城。痣なんて身体中にあるので滅茶苦茶痛い筈なのだが、それを隠すためにわざと思いっきりぶつかっている。


 とんでもない精神力と演技力だった。


「その人はあいつの母親で、有名な女優だったらしいんです。中山なかやま 加菜恵かなえっていう名前の」

「え、その人ならめっちゃ知ってるんだけど」

「映画とかに引っ張りだこだったんであまり帰っては来なかったんですが、あいつは母親が大好きだったんです」


 本当に物凄い演技力だった。流石は大女優の息子である。


 天宮城は暫くそうやって抱きついていたが、何かに気づいて直ぐにその場を離れた。


「どうしたの? くっつき虫は終わり?」

「う、うん。ずっとここにいるのも寒いかなって」

「そうね。中に入ろっか」

「あ、先に倉庫に行ってくるからお母さんは家にいってて」

「また倉庫で遊んでたの?」

「うん」


 遊んでいた、のではなく暮らしていた、のだが。天宮城は母親が家の中に入るまで笑顔で見送り、見えなくなった瞬間にその場にしゃがみこんだ。


 服が所々赤く染まっている。無理矢理抱きついたせいで傷が開いて血が出てきたのだ。


 天宮城は顔をしかめながら倉庫に入り、服を脱いで開いた傷口に裂いたタオルを巻く。


 藤井も天宮城観察を初めて少ししてから知ったのだが、天宮城は包帯など持ってはいない。ましてや買って貰える筈もない。


 なので数枚しかないタオルを裂いて包帯がわりに巻いているのだ。これで大抵の傷は隠せる。


 天宮城がそれを巻き終わると、服を着替えて家の中に入った。


 庭に面した窓から見える天宮城の横顔は、幸せそうで、身体中怪我を負っているようにはとても見えなかった。


 あの男も見えたが、流石に母親がいる場で暴行を加えるようなことはしなかった。寧ろ仲が良いように振る舞っているようにすらみえる。


 天宮城とは違って男の演技力はかなり低い。天宮城を見る目が完全に見下しているような目だ。


 だが、それを天才の天宮城が完璧にカバーする。それほどまでに天宮城が取り繕うのが上手かった。


 藤井はその日は直ぐに木から降りて家に帰った。









 天宮城の母親は数日滞在していた。その間天宮城は藤井が見た限りでは一度も殴られなかった。痛むはずの傷など最初から無いように振る舞い、笑みを見せる。


 本当に、母親を尊敬していた。


「…………でも、あいつの母親が仕事に出た次の日からまた暴行が始まりました。前よりも、エスカレートして」


 数日間天宮城で遊べなかった男がその鬱憤を晴らすかのように天宮城を虐め続けた。天宮城はどれだけ蹴られようが殴られようが、抵抗はしなかった。


 叫ぶことも、泣くことも、呻くことすら止めた。藤井はもう天宮城は近いうちに死ぬのではないかとさえ思い始めた。


 それでも助けにいかなかったのは、自分が行っても仕方がないから、というのと天宮城に嫌われている自覚があったからだ。


「でも、やっぱりそう見えないように取り繕っていたあいつでも、ついに限界が来たんです。その日は、なんだか龍一の顔が赤くなっているのがみえていたんですが」


 呼吸は少し荒く、目はなんどか虚ろになり、足元も覚束無い。それに気づいた藤井が声をかけてみた。


「………おい」

「………………………」


 いつも通り、完全無視を決め込む天宮城。藤井は即座に頭を下げた。


「お前、調子悪いんじゃないのか」

「………………………」


 天宮城はそう聞かれて無言で読んでいた本を閉じ、藤井を真っ直ぐその目に捉えた。


 初めてちゃんと目を合わせたかもしれない、と思う藤井を興味のない目で見てから、


「関係ないことで話しかけるな。気持ち悪い」


 静かに暴言を吐いた。その言葉には覇気がないのだが、どこか恐ろしいなにかを感じた。


 藤井は、自分でも思いにもよらない行動をとった。明らかに怒っている天宮城の額に突然手を置いたのだ。


「なっ⁉」


 驚き、手を払い除ける天宮城。


「風邪」

「違う。黙れ」


 額は滅茶苦茶、熱かった。


「先生に言うぞ」

「止めろ。馬鹿。邪魔」


 今にも噛みつきそうな天宮城が直ぐに椅子からたってその場から立ち去ろうとする。が、思いの外力が入らなかったのかそのまま派手に横転する。


「ぐ、ぅっ………」


 もう、元から傷だらけの天宮城は限界だった。どうみてもかなり危険な状態だった。


「先生呼んでくる!」

「だ、めだっ! 止めろ‼」


 初めて、天宮城が叫んだ。先生を呼びに行こうとした風間が驚いて立ち止まる。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ………」


 ただ一言叫んだだけだったのだが、荒く息を繰り返している。そのまま、立ち上がれずに床に倒れ込んでしまった。


 じわりと服の内側から赤い液体が広がり始める。そのときには既に天宮城の意識はなかった。


 これは不味い、と全員が察した。


「早く先生呼んでこい!」

「でも呼ぶなって………」

「早く! こいつ死んじゃう!」


 藤井に急かされて急いで先生を引っ張ってくる風間。


 風間自身、今どんな状況なのかあまり理解していなかったようで、とりあえず先生を連れてきた。


「先生来たよ‼」

「ちょ、風間さん突然どうし――――っ⁉」


 ぐったりと力なく床に倒れる天宮城を見て、一瞬驚きで呼吸が止まる。そして、直ぐにその下に広がっているものを見て携帯を取り出した。


「天宮城君が‼ ええ、そう! その子が倒れてて、出血が酷いの! 包帯持ってきて‼ 病院にはこっちから連絡するから‼ 早く!」


 大人達の手際は良かった。直ぐに救急車(あまりにも田舎過ぎて只のワンボックスカーだったが)が来て病院に運ばれていった。


「あの時の龍一は本当に危険だったみたいで、もう少し遅かったら死んでいてもおかしくなかったと後で聞きました」


 倒れる天宮城のことをまだよく覚えている。と藤井は付け加えた。


「血が広がっていく度に顔が青白くなっていって、死人みたいでした。それから………滅茶苦茶軽かった。飯を食っていなかったから、当然なのかもしれませんけど」

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