15ー1 彼が人を信じれない訳
山に囲まれた、なにか隠したいのではないかと思われるほどのド田舎。そこで育ったのは藤井や天宮城達だ。
過疎化がどんどん進み、若い働き手は早々おらず、たった二人の教師がある小学校を運営していた。
そこにいるのはたった10人の生徒。年齢もバラバラで習うことも本来は別なのだが、全員が同じ教室で勉強していた。
たまに喧嘩することはあれど、一人を除いて皆仲が良かった。そう、一人を除いて。
その子供が天宮城である。
人と交わることを嫌い、出会った頃から常に無表情だった。
「龍一は………兎に角愛想がなくて、僕らを明らかに避けていました。その時はよく分からなかったんですけど、あとになって考えてみると、もう少し慎重に関わるべきだったと思っています」
あれは失敗だったとため息をつく藤井。
藤井達年上組はなにかと世話を焼きたがるお年頃だったために、少し強引に天宮城に近付いたのだ。
結果は惨敗。
天宮城に話しかけても完全無視を決め込まれ、それどころか殺気に似た睨みを返される始末だった。
「なにやったんですか………」
「いや、ただ勉強を見てやるって言っただけなんですけど、あいつが構わないって言い張って、それで少し言い合いになって………カッとなって叩いちゃったんですよ」
「うわぁ…………」
実に子供らしい喧嘩である。
「それで怪我させちゃったんですか」
「いや、怪我させられました………」
「「「………え?」」」
本人の弁によると、天宮城を1発叩いた瞬間、恐ろしい勢いで逆に殴り返され、4つも下の男の子にボコボコにされたらしい。
当時は能力などなかったので、今の藤井とのような圧倒的な力の差はなかったのだが、それでも小学一年生が五年生に圧勝したのだ。
天宮城は最初から身体能力がおかしかった。
「まさかあそこまでやられるとは思わなかった………」
「「「……………」」」
あまりにも自業自得なのでフォローのしようもない。というかしたくない。
「まぁ、それで寧ろあいつは近寄らなくなったんですが、やっぱりなんであんなに強いのかとか気になるじゃないですか」
「そういうもんでしょうか」
「そういうもんなんです」
そして藤井は尾行を開始した。目的地は天宮城の家である。
いつも勝手に帰ってしまうのでどこにあるか皆知らないのだ。
さすがの天宮城もまさか尾行されているとは思わなかったらしく、普通に家の庭に入っていく。
藤井がこんなとこに家があったんだ、と驚くほど住宅地の外れにあった。
天宮城はそのまま家の扉の前を何故か通り過ぎ、倉庫に入っていく。そしてそのままそこから出てこなかった。
不思議に思っていた藤井がそのまま観察を続けていると、倉庫についていた窓、というか穴から中の様子が覗けたので林の方に入って木によじ登り、なかを見る。
中は滅茶苦茶狭かった。押し入れの方がましなのではないかと思えるほどの広さで、しかもよくわからない段ボールなどで埋め尽くされており歩くスペースなどほとんどなかった。
天宮城はランドセルを山積みの段ボールの上に置き、見られていることも知らずに服を着替え始めた。
「え、それ大丈夫だったんですか」
「一応、あいつにはバレてない」
「………………」
しかし、藤井が目を見張ったのはその服の下だ。
全身が痣だらけでなにかで切ったような痕も大量に見える。酷い火傷の痕のようなものまで見えた。
それが一切、顔や手のひらにはない。つまり、
「虐待………」
吉水がそう呟くと、藤井も真剣な顔で頷く。
「しかも滅茶苦茶痩せていました。多分、飯なんて殆ど無かったんじゃないかな。給食でなんとか持っていたような感じで」
自分の部屋が倉庫だというところからまず悪意しか感じない。
天宮城は着替えた服を手で洗い、倉庫の段ボール上にあるロープにかけ、宿題を終わらせてから、倉庫の端で丸くなった。
春とはいえ、一枚しかない服、それも暖房器具など全くない場所で、所々穴も空いている倉庫である。
薄い毛布を羽織り、広げた段ボールの床でなんとか暖をとっていた。
そんなことをしていると、家の方から何か怒鳴り声が聞こえる。
その声が聞こえる度に天宮城が体を震わせているところを見ると、何か悪いことが起こるのだろうか。と、藤井がそう考えていると家の庭に続くベランダから野太い男の声がする。
何かを喚いているが、その大半は呂律が回っておらず、聞き取れなかった。顔が真っ赤なところを見ると相当酔っているらしい。
青い顔をした天宮城が倉庫の隅に埋まるように体をずらしていく。
「早く出てこいよ、クソがぁ!」
藤井が聞き取れたのはそれだけだった。後は何を言っているのか不明だった。
「っ…………ぁ…………!」
「ごちゃごちゃ言ってねーでさっさと出ろやぁ!」
倉庫の隅に埋まったとしても倉庫自体が二畳もない。そこで隠れられる場所など限られており、あっさりと見つかった天宮城が首を掴まれて外に放り出される。
天宮城が地面に放り出され、あまり乾いていなかった地面の泥が服に跳ねる。全身が、震えていた。
「後でわかったことなんだけど、そいつは龍一の母親の弟で、なにか嫌なことがあったとき、周囲に暴行を加えるような屑だったらしい」
小さく抵抗する天宮城だが、もう諦めているような雰囲気も纏っていた。
男は何事かを呟きながら地面に転がったままの天宮城の腹を何度も蹴りつける。その度に天宮城が呻くが、叫ぶことはなかった。
泣けば、叫べば、どうなるか。それをよく理解していたのだ。
その後も何度も蹴り飛ばされては服を汚し、天宮城が呻くことすら止めた頃にようやく暴行は終わった。
ピクピクと動くことすらなくなった天宮城に興味を失ったのか、男は上着を脱ぎ捨てて天宮城に放り投げる。それには、泥と天宮城の返り血がついていた。
そして、
「『お前の汚い血で汚れただろうが。今すぐ洗え』って言ったんですよ」
「…………酷い」
これには藤井も絶句した。男は再び家のなかに戻り、もう出てこなかった。
天宮城はその後動けずに少し地面に倒れていたが、ゆっくりと体を起こして自分の服を洗ったときと同じように洗って庭の洗濯物干しにかけた。
額からは、ポタポタと血が垂れていた。
ここで、藤井は何故天宮城が家に帰ってきてすぐ服を脱いだのかわかった。『あの服は、汚れる用のものなのだ』と。
暴行を受けることを理解していて、先に学校に行く用の服を洗ったのだ。それならば今来ている服が妙に薄くてボロボロなのも察しがつく。
天宮城は服を洗い終わり、泥で固まった髪や汚れた体を水やり用のホースで洗った。
体を拭く布は、もう雑巾としか言い様のないようなものだった。
時間も時間なので藤井はそこで帰ったが、血を流しながらも無言で耐え続ける天宮城の姿が頭から離れなかった。
家に帰り、天宮城と自分を比べて、明らかに自分が満たされていると感じた。
暖かい布団、ふかふかのベッド、小さい頃にねだって買ってもらった玩具の変身ベルト、なにより適度に怒られはするものの、決してあんなことはしない両親。
どれも天宮城にはないものだった。
あの年頃なら、両親に甘えてお菓子や玩具を買ってもらうことに情熱を注ぐようなものだろう。
いつものように出てきたおやつを見た。
いつもならもっともっとと母親にねだる量しかない、小さな小分けの袋に入ったグミ。いつももっととねだるとご飯が食べられなくなるから駄目だと叱られる。
だが、天宮城はどうだろう。そのご飯すら無いのではないのだろうか。
それどころか、お菓子をねだる相手すら存在しないのだ。
ちいさな袋のグミが、急に中身が増えたような気がした。
その日の夕食は大好きなカレーだったのだが、あまり美味しいとは思えなかった。