63ー1 一難去って二難
カリカリとペンで何かを書く音が響く。
「またなんか書いてるの? 一旦休んだら?」
「左側がうまく動かないからタイピングもできないんだよ。なんなら手伝ってくれる?」
「無理」
葉山はリュウイチの手元の紙を見て肩を竦める。
「龍一のやってること難解すぎて意味わかんないし」
新しい道具の開発、それの企画書だった。能力を真似できるという龍一の能力を持ち出すことができる道具である。
以前龍一が使っていたスキルカード、あれを誰でも使えるように改良したものになる。
一般の人に渡すと危険なのでとりあえず社内で出回らせるつもりだ。
「それ、もう完成しそう?」
「いや、まだまだ実用段階には程遠いよ。動作も鈍いし、誤作動もたまにある。俺がサポートしないと危ない状況だ」
「先は長いねぇ……」
ふぅ、とため息をついてコーヒーを口に含むリュウイチ。色々とやることも多くて大変だ。
左半身が不自由になったせいでデスクワークしかできない。外に出て確認したいこともあるが、なかなか外出できないせいで仕事が進まない。
「………ああ、そういえば水野さん来てたよ」
「え? いつ」
「さっき。邪魔しちゃ悪いからってすぐ帰ってったけど」
リュウイチの手術の件があってから、水野は度々リュウイチの見舞いに来ることがあった。
毎回お菓子などを持ってきてくれるのでちょっと申し訳ないとは思いつつ、気遣ってくれることに嬉しく思っている。
「そうだったんだ。後でメールしておくよ」
リュウイチは金属製の杖を持って立ち上がる。最初の頃は片足に力がうまく入らない為にふらついていたが、その内サポート無しでもある程度動き回ることはできるようになった。
「今から診察?」
「ああ。行ってくる」
左半身を杖に軽く預けながらエレベーターで目的の階まで向かう。
「…………」
ちらりと右肩を見て、少しだけ寂しく思う。
ついこの間まで琥珀――レヴェルがいつも隣に居たのに、急に静かになってしまった。
勿論、レヴェルに何かあったというわけでもなんでもない。ただ一旦あっちの世界に帰っているだけなのだが、それでもなんだか寒く感じる。
独りになるという時間は、ここ最近ずっと無かったことだから。
どうやら気づかない内に寂しがりやになっていたみたいだ。
「龍くん、お疲れ様。なにがいい? 緑茶? 紅茶? コーヒー?」
「医務室で堂々とお菓子広げないでください」
杖の音で来るのがわかっていたからだろう。既にお菓子やポットが準備されている。
毎日の診察は、正直に言うと殆どやることがない。何故ならば魚住の能力があれば診察なんて一瞬で完了するからだ。
だから診察時間が毎日のスケジュールに組み込まれていたとしてもほぼ大半は暇な時間に早変わりするのである。
「ねぇ龍くん」
「なんですか」
「手術したときに思ったんだけどね」
魚住の表情が真剣になったのでリュウイチも何を言われるのかと気を引き締める。
「……なにを?」
一応は医者だ。突然、君に癌があるんだけどね、とか言ってくるかもしれない。
「……君、本当に良いカラダしてるよね。僕、どストライクすぎて興奮したよ」
「………はぁ……」
なんなんだこいつは。リュウイチは最初はそんなこと思っていなかった。
天宮城と魚住が初めて会ったときは中学に上がるか上がらないかくらいの頃だった。
その頃には既に今の協会の基礎が固められ始めていた。そんなときに出会ったのが魚住だ。
能力と仕事の一致、それも珍しい医療関係の能力ということで即採用になったのだが(そもそも人手が欲しかったので当時は能力と人柄が問題なければ基本即採用だった)そのときは特になにも変なことはなかったのである。
だが、高校に上がってから急に魚住との距離が縮まったのである。勿論物理的な距離の話である。
最初は『なんか最近やけに熱心に仕事してるなぁこの人』くらいに思っていたのだが、あまりにも距離が近いのでなんだか違う気がしてきた。
とうとう聴診器を使わずに直接胸に耳を当ててくるようになった頃のことである。
なんかおかしいな、と気づいたのも相当遅かったのもあるが、ここで天宮城はミスを犯した。
訊いてしまったのだ。魚住本人に「なんで急に近いんですか」と。
それからは、魚住の怒濤のアタックである。昔は小さすぎて対象外だったが今はありえないほど超ど真ん中なのだと。
なにを言われているのかさっぱりわからなかった。
要するに天宮城にとって不幸だったのは「ゲイ」という概念をしっかり理解できていなかったことと、天宮城に見破られたならもう隠さなくていいやと魚住がオープンになったことである。
あのとき「なんで急に近いんですか」とか聞いたせいで、魚住の遠慮がなくなったのだ。
今になってかなり後悔しているリュウイチである。
「あ、左足まだ調子悪いならリハビリがわりに散歩でもしてくるといいよ。……いや、やっぱりやめておこう。僕の病院で一緒にリハビリしよう!」
「魂胆丸見えなんで結構です。じゃ」
即行で扉を閉めて早足で帰った。体の左側が動かないとは思えないほどの迅速さである。
「……疲れる……」
エレベーターで手摺にもたれ掛かっていると、スマートフォンに一通のメールが届いた。
送り主を確認したリュウイチの動きが止まった。
「こんなときに……!」
うまく力の入らない左手を握り締めて奥歯をギリリと鳴らした。