60ー2 ほんの少しの後悔
「あれは不味い……」
セドムの額から冷や汗が流れる。
リュウイチに「絶対に俺の前に出てこないで」と言われ、セントレンドの扉隠しでかなり遠くから様子を見ているが、正直何が起こっているのかわからない。
リュウイチと来訪者が地面を踏みしめて方向転換する度に地面が抉れては壊れていく。
半透明の硬質な地面はどんどん罅割れ、黒い水晶に侵食されていく。その黒い水晶はリュウイチの力なのだろう。
だが、誰が見てもわかるほどに全く制御ができていなかった。敵を食らい尽くさんと来訪者に襲いかかるそれは、宿主であるリュウイチの体も食い荒らしていた。
あれのお陰で今は対等に戦えている。速さもほぼ互角……いや、もしかすればリュウイチの方が速いかもしれない。
だから目で追うこともできない。
だが、リュウイチが走ったと思われる黒水晶の道には点々と血が飛び散っていた。
人間であれば死んでいるであろう出血量にも関わらず、リュウイチは休むことなく動き続けている。
どう見たって正気ではない。これでは勝とうが負けようがリュウイチは死んでしまう。
だが、止めに行ける力などない。来訪者に手も足も出なかった。そんな彼らに最早異次元の強さを持ったリュウイチなど一瞬で殺されて終わりである。
皆、戦いの様子を見ることしかできなかった。
避けられないであろうリュウイチの命が消える瞬間を見届けるために。
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ぼんやりと、自分は死ぬんだなと考える。
目に見えている物全てを壊す為だけの衝動に身を任せながらもう痛みすら感じない手足を動かし続ける。
黒水晶がここまで効力が強いとは思っていなかったのだ。昔は限界になったら勝手に体がストッパーをかけてくれていた。
龍一ではない、リュウイチの深層心理の記憶が一線を越えないようセーブしてくれていたらしい。
自分で自分に助けられたわけだ。
体が言うことを聞かないのは初めてではないのに、今日は、今回は度を越えて言うことを聞かない。
力になるどころか、食われ始める始末だ。
リュウイチは小さく苦笑した。もう何に怒っていいのか悲しんでいいのか喜んでいいのかわからない。
破壊衝動だけに支配されつつある体が、他の感情を忘れ始めている。
「……ぁ」
興奮したせいか凄く熱い。全身が酷い火傷を負いそうなほど―――
「っ⁉」
この熱さは気のせいではない、と気付いた頃には白い炎に囲まれていた。
この色は不味い。炎であるから触れて消滅させる事もできないし水晶では溶かされる。個体ではない火はリュウイチにとって天敵だ。
もし形があるものならば触れて消滅させればいい話だが触れない以上、避けるしかない。
だが、判断力が著しく低下しているからだろう、気付くのが遅すぎた。
普通の炎なら我慢して抜けられるかもしれないが白炎なら骨まで一瞬で燃やし尽くされてしまう。
「逃がさないよ……」
炎の壁の向こうから、来訪者の声が聞こえる。
上も横も全て炎で蓋をされてしまった。逃げ場などない。あまりの高温に黒水晶も生み出せない。
肌が焼かれ、体を食らい漁っていた黒水晶が溶けていく。
この力がなくなれば、対抗手段はもうない。
火傷という代償のお陰で鈍っていた思考が徐々に今までの冷静さを取り戻していく。破壊衝動が収まることはないが、ある程度制御できるようになってきた。
「ふぅ……あと、すこしなら」
炭化した地面に手を当てて黒水晶を真下に発生させる。
元々リュウイチと来訪者の戦いでヒビが入っていた世界樹の枝に大きく亀裂が入っていき、砕け散った。
「へっ⁉」
来訪者が口を開けて一瞬呆けた。
足場を崩すというのは本来かなり難しいことだ。土と岩というのは意外と固いのだから。普通は壊すことなんて思い付いてもしない。
だが、ここは木の上である。それも、リュウイチが進化させた樹だ。
「アイン!」
リュウイチは落下しながら叫ぶ。
何階層か下には、錫杖をもったアインがいる。そしてシーナに手伝ってもらって住民を移動させてあったためアイン以外の人影はない。
予め決めてあった合図にアインはすぐに反応した。錫杖を地面に立て掛けて祈りを捧げる。
リュウイチが空に手を翳すと光の矢が握られていた。アインが魔力で作った貫通することに特化した矢。
弓もないそれを放つ方法がないリュウイチは掴んだまま空中で体勢を立て直して壁を蹴ってそれを来訪者の胸の辺りに躊躇なく突き刺した。
矢は突き刺さった瞬間に役目を終えて砕け散る。リュウイチも、もう限界だった。
これで来訪者が死ななければ、リュウイチの完敗である。
これ以上の策もない。全身ボロボロで指一本動かない。
来訪者は矢で貫かれても呻き声すらあげていない。顔が見えないのでもしかしたら全く効いていないのかもしれないし、即死したのかもしれない。
どちらの結果でも、それを確認する余裕も体力もないリュウイチはそのまま浮き上がる努力もせずに落下していく。
来訪者も落ちていっているので、やはり死んだのだろうか。
横目で来訪者を見ながら、体から力を抜いた。
「疲れた………」
小さく、苦笑を浮かべながら。