60ー1 ほんの少しの後悔
真下の半透明なクリスタルの樹が、紫がかった黒い水晶に侵食されていく。
何が起こったのか、正直言ってさっぱりわからなかった。
リュウイチがなにかを飲み込んだと思ったら急に苦しみだし、その足元から地面の色が急激に変わっていく。
この世界の仕組みしか知らない来訪者は他の世界……日本という世界の能力などなにがなんなのかわからないのだ。
だが、見るからに危険なものなのは確かだ。このままではリュウイチ諸ともこの謎の力に食い尽くされてしまうかもしれない。
なにか早めに手を打たなければ、と考えた瞬間、リュウイチがだらりと腕を垂らしたまま焦点の合わない目でこちらを見た。右の頬だけ上げる歪んだ笑みを浮かべている。
明らかに正気ではない。
何とかして動きを封じることができれば、止められるかもしれない。直ぐ様行動に移す。
身体能力なら圧倒的な差がある。変な能力を使われる前に押さえつけてしまえばリュウイチも諦めるかもしれない。
地面を抉りながら一気に加速し、リュウイチの背後に回る。
(よし、反応できていない‼)
急接近しても眼球すら微動だにしないリュウイチの様子を見て、飛びかかろうと方向転換した瞬間。
(っ⁉)
目だけが、こっちを確りと見ている。
その上で歪な笑みを全く崩さない。
直感的に不味いと判断した来訪者は直ぐ様後方に飛び退く。
直後に、地面から凶悪なまでに鋭い黒水晶が幾重にも重なって生えてきた。
あのまま突っ込んでいたら確実に串刺しだった。……リュウイチと共に。
狂気にすら思える行動だ。自分ごと殺す気である。
しかも次はやり直しが効かない。一人、どんな傷でも完璧に癒す力を持った者がいた筈だがあれは何度も連続では使えない筈だ。
本気で死ぬつもりである。
「君、滅茶苦茶だね……昔から」
「………」
反応は、なし。無言でただこっちをぼんやりと見ているだけだ。
掌に汗がにじむ。
これだからリュウイチはやりにくい。いつも何を考えているのかわからない。
「っ⁉」
もう来訪者にすら喋る余裕がなかった。
普段の数倍、下手したら数十倍に跳ね上がった速度と膂力を発揮しているリュウイチを殺さずに無力化など不可能に等しい。
いや、もしかしたら来訪者のほうが負けてしまうかもしれない。意識がないのが唯一の救いだ。これでいつもの冷静さが加わったら勝ち目はない。
すんでのところでリュウイチの拳を回避すると地面から無数の黒水晶の破片が射出され襲いかかってくる。
どうやらリュウイチは半径1メートル以内の地面を自分の領域にして扱えるらしい。黒水晶はそこから無限に生えてくる。
よくみると、リュウイチの足は水晶で切ったのかズタズタだった。自分の攻撃で傷を負っている。
そしてそれ以上に危険なのが胸の辺りだった。なんと黒水晶が内側から服を突き破って生えていて、徐々に体がそれに覆われていっているのだ。
まるで鎧のごとく覆い被さるそれ。まるでリュウイチを攻撃から守っているものに見えるのだが、黒水晶の鎧から受けていないはずの傷が見え少しずつ血が垂れてきている。
あれは守っているのではない。喰っている。黒い水晶はビキビキと内部から、そして外部から食い荒らす。
速さだけなら来訪者達のなかでもそこそこある。なんとか攻撃を避けることはできるが。
「このままじゃ、なにもしなくてもリュウイチは……」
この戦いが終われば、食い尽くされる。強さと引き換えにされたのは、リュウイチ自身だ。
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ぐらりと、体がよろけたのを感じた。
もしかしたら。『あの時』の力を使うことができれば。あの無茶苦茶な来訪者にも勝てるかもしれない。
リュウイチはそう考え、わざわざ分離したあの忌ま忌ましい石を自分から取り込んだ。心臓を石に握られ、力を求める能力者に狙われ、心臓を削られる激痛に幾度となく涙した。
なんども死にたいと願って、石に邪魔され続けた。
暴走などと言うふざけた理由で大切な友人に、一生消えぬ傷と痛みを与えてしまった。
山ひとつ消し飛ばした、あの力。
初めて力を本当の意味で理解したあの日。
……あれを再現できれば、勝てるかもしれない。
その考えに至った瞬間に、リュウイチは自分で自分を嘲笑った。
(結局、どこまでいっても俺はこれに頼るのか)
恨み、死にたいとすら思い、憎んだ。その力に縋ろうというのだから、なんと自分勝手なことだ。
人を助けたいなんて、そんなこと本当は思ってなどいないのかもしれない。きっと自分が傷付きたくないという、自分勝手な理由で動いているだけなのだろう。
苦しくなる呼吸に、朧気になっていく視界。なにかが体を乗っ取って………いや、侵して食い荒らしていく。
勝手に動き出した体の奥底に引きずり込まれていく感覚を覚えつつ、しかしそれを抗う。
(ここまで来たからには、最期まで見ていなければ)
一度やってしまったやり直しは効かない。これが本当の意味で最後になる。藤井達から預かった紙は、実はこっそりと返しておいた。そろそろ誰かが発見することだろう。
思い残すことはなくなった。
永遠に浮上することがないであろう意識くらい、最期まで留めておきたかった。
最早自分でなくなった自分だが、あれは紛れもなくリュウイチなのだ。自分がやったことの末路くらいは見ておくべきだろう。
「ぁ、ぁ……」
最後にほんの少しだけ後悔があるとしたら。
レヴェルに、別れを伝えることができなかったことだ。