58ー3 終わりが始まりである保証はない
一瞬、完全に気絶した。無理矢理気力で持ち直したのか、記憶がないのはたった数秒間だっただろう。
その数秒間でガラスに似た、それよりも圧倒的に硬い幹の部分が踏み込んだだけで大きく抉りとられ、ヒビが入っていく。
数秒で、リュウイチを含めた3人が戦闘が難しいところまで追い込まれていた。
完全に失敗した。
「ふ、ぐぅっ……」
息を吐いた瞬間、喉の奥がとてつもない痛みを訴える。うまく動かない手で触れてみるとヌルリとした生温い感触。
喉からの出血多量。血には慣れているはずなのに背筋に氷を入れられたときみたいに頭が一気に覚めていく。いや、冷めていく。
死ぬ。それはリュウイチ達には本来存在しない概念である。寿命というものがなく、滅多なことでは掠り傷すら負うことはない。
人間として生きていた記憶もあるリュウイチは、この中ではその言葉の意味を一番理解しているようで、一番わかっていなかった。
自己犠牲は美徳とされ、推奨すらされるがそれは自分の命を軽視することに他ならない。
どこかのヒーローじゃあるまいし、何もかもを救い、何もかもを自分の怪我のみで済ますことのできる存在になんてなれはしない。
ましてや、リュウイチの自己犠牲は誰かに尽くすためのものではなく、自棄というものを覚えてしまったためのものだ。
自分の待遇を当然と受け入れたために「自分は存在しない方がいい」となんの疑いもなく愚かに信じてしまった。それは誰もが気づいていながら誰も諭させることはできなかった。
リュウイチの境遇にない人が気休めに言葉をかけたところで、本人を不快にさせるだけである。
だからリュウイチは疑えない。これが正しいことだと。
「っ、ぅ……」
左手で出血している場所を押さえ、血に塗れた右手で透明な地面に文字を書き連ねていく。
体を丸め、誰にも悟られぬよう、気絶したフリを続けながら。
文字を書きなぐり、なんとか目的の文章を書き終えると疲れがどっと押し寄せてきた。
瞼が酷く重い。出血のせいか手元が暗くなったり明るくなったりを繰り返す。
「リュウイチっ……!」
名を呼ばれ、ハッと意識を引き戻すとウィルの金属質の手が腰に回っていた。持ち上げられたことにすら気付かなかった。大分ヤバイのかもしれないとぼんやりと考える。
「おい、レッテ!」
「わかってる!」
力が入らなくなってきた手足を重力に任せてだらりと下げる。誰かが首筋に手を当てたと思うと一気に視界が開けた。
手を当てて確認してみると、もう傷がない。
こんな一瞬で致命傷を治せる人など一人しか知らない。
「レッテ、さん……?」
「よかった、間に合った……」
顔を動かす気力もないので目だけで辺りを確認すると、暗い洞窟のような場所にいるらしいということだけはわかったが、何故こんなところにいるのかはさっぱりわからない。
「ギリギリだった。ウィルがいなかったら死んでたよ」
「そう、なんですか……」
また、助けられたなと小さく笑うリュウイチ。その目は虚ろでウィルを見てはいるが焦点があっていない。
「ここは……?」
ほんの数秒前まではこんな場所なかったはずだ。全部半透明の木々に囲まれていたはずなのに。
リュウイチの問いにレッテが苦笑しつつ答える。
「セントレンドがいつもの扉悪戯でなんとか来訪者を拘束したんだ。とはいえ……」
「切札、切っちゃったんだ……」
レッテの表情が険しくなる。
セントレンドのあの扉苛めは正解がわからなければ抜け出せない。無理矢理放り込めば無限牢獄だ。
だが、出口まで行く方法は正解の扉を開けることさえ出来てしまえばわかってしまう。
あの来訪者のことだ、セントレンドの扉にもなにか対策をしてきているだろうから時間稼ぎも長くは持たないだろう。
こちらの最後で最強の切り札だったのだが、もう二度目は通用しない。
つまり、次に相対したときに確実に勝利しなければ全滅は免れない。
「どう、するんですか?」
「どうも出来ない。正直……お手上げね」
周りに目をやると、十数人が地面に寝転がっていた。レッテの能力は『復旧』だ。どんな致命傷でも死んでいなければ治すことができるし、壊れた物も元通りにできる。
だが、一度修復したものをもう一度直すときは時間を置かなければならないという弱点もあり、連続して使うことが出来ない。
その再使用可能時間は12時間。12時間以内にもう一度殺されかけたら次は死ぬ。それを知っているからこそ来訪者は一撃で致命傷になり得る傷を与えてきた。
『楽に死なせない』為に、一度修復させられている。もう一度痛め付けたときに少しでも回復させないように。
傷が癒えても暫くは動けない。床に転がっている人達は皆治療を受けたのだろう。リュウイチの記憶では10分は体が硬直する。
「十分、持ったとしてなんとかなるんでしょうか……」
「なんとかするしかないわ。もうここにいる人達は私の力が使えない。次に襲われたら確実に死ぬわ」
レッテは絶対に死んではならない。殺すわけにはいかない。だから最初からレッテだけは隔離空間に隠れていた。だが、それも破られるのはいつになることか。
今突然目の前に来訪者が出てきても驚かない。
「レッテさん。考えがあるんですけど」
「?」
「元の計画の中の七つ目の案、あるじゃないですか」
「ああ、あの『最悪』なやつ」
「あれを更に最悪にしたらなんとかなるかもしれないです」
あからさまにレッテが嫌な顔をした。
「……それ、医者の神である私に言う?」
「この場で動けるのレッテさんとウィルだけじゃないですか……」
リュウイチはウィルに頼んで荷物の中のものを取り出させる。
なにかが書き込まれている紙束と、吸い込まれそうなほど暗い、黒く半透明な石の欠片。
片方は、藤井達に託された力。もう片方は天宮城であったとき、嫌というほど目にして何度も苦しめられた力。
天宮城という体は死んだが、それだけは残った。よくわからなかったのでアロクがとっておいてくれていたらしい。
全身が塵になってもこれだけは何故か残った。つまりこれはリュウイチの『崩壊させる力』より強いなにかを秘めている。
「とてつもなく苦いお茶を汁気がなくなるまで煮詰めたみたいな最悪な計画だけど、乗ってみます?」
「現状をなんとかできる?」
「さぁ……未来が見えてる訳じゃないんで」
力なく苦笑するリュウイチ。一度体を治したからにはかなり体力が消耗されている筈だ。レッテとしては―――親友の子供、それも自分達の最初で最後の子供であるリュウイチにはもうこれ以上なにもして欲しくない。
種族柄、本来子供という存在は生まれないはずなのに奇蹟に奇蹟が重なり生まれてきた。だから自分の子供のようにすら思っている。
種族全体でたった一人の子供であるリュウイチを見守っていた。全滅寸前まで追い込まれたあの日まで、だが。
「……リュウイチ。本当にあんたがやらなきゃいけないの?」
「……え?」
疲れた顔で、キョトンとするリュウイチ。ここまで磨り減っている子供を送り出すのは胸が痛いどころの話じゃない。
なんとしてでも引き留めたい。が。
……唯一の突破口は、確実にこの子なのである。
この子が限界まで踏ん張ってくれれば、勝てるかもしれない。
要するに、自分達の子供を見殺し他を救う選択を強いられている。皆それが辛くてたまらない。
本人が嫌だと一言でも言ってくれるなら全員で死ぬ覚悟くらいあるのに哀しいまでの自己犠牲の精神により、それすら口に出すことをしない。
「……じゃあその作戦、乗った」
「はい……少し休憩したら説明します」
糸の切れた人形みたいに眠るその姿は、触れただけで壊れてしまいそうで。危ないことはやめてくれとも、逃げてくれとも言えなかった。