9ー3 最悪な訪問者
「熱い………熱い………苦しい、痛い……」
今にも死にそうな声を出しながら怪しく赤い色を放つ目を向ける。
「それが噂に聞く暴走だね? 制御出来てないって聞いたけど」
「痛い……痛い……」
機械のように言葉をただただ繰り返す。すると、突然その場の温度が急激に下がった。
冷え込んだ、というレベルではない。一瞬にして水が凍りつくような空間に突如周囲が一変したのだ。
「これは………⁉」
「熱い………熱い………まだ………まだ………戻れない、戻らない……」
バキン、と地面に大きくヒビが入る。天宮城を中心に何かが割れた地面を更に突き破って出てくる。
「は…………はははは…………アハハハハハ‼」
ギラギラと目を輝かせながら周囲を嘲笑うかのような笑い声を周囲に響かせる。
最早普段の天宮城の面影はなく、天宮城の体に誰かが入って動いていると言った方が正しいと思えるほど別人と化していた。
地面から突き出た透明な宝石のようなそれは天宮城が夢の中で使う物に極似していた。否、これはあの宝石そのものなのだ。
天宮城は暴走すると、周囲全てを夢の中に引きずり込むことが出来る力が一時的に使えるようになる。
現実と重ねるように夢に引き込むのでこちらで怪我をすればそれはそのまま引き継がれる。その上一応ここは夢の中なので天宮城が元に戻れば周囲も元に戻るのだ。
周辺の破壊を一切気にせず戦える空間を作る事こそが赤目状態の天宮城の能力なのだ。
そしてここは夢の中。天宮城の思うままに世界は書き換えられていく。
ただ、なにかを介さないと人を傷つけることは不可能で、地面を割ってそこに突き落とすなどしなければならない。
天宮城は宝石を男に向かって射出する。男も気にする事もなくそれを淡々と避けていく。
「これだけ? 思ってたより出来ることは少ないんだね」
ニヤニヤと笑みを張り付けた天宮城も勿論これだけで終わるはずもない。
重力で相手を押さえつけ、刃物の雨を降らし、避けたところに地割れを作る。
それを回避する男の技術もそうだが天宮城のやることも中々えげつない。
何度目かわからない爆発を起こした瞬間、天宮城が笑みを突然消し、背後に目を向ける。
これまでの天宮城ならこの男から目を離すなどということは絶対にしなかった筈だ。それをやってしまう辺り、赤目状態になれば判断力が低くなってしまうのだろう。
「うっ………」
その視線の先には服を泥で汚した水野が倒れていた。
「……………?」
赤い目で小さく首をかしげるように水野を見る天宮城。水野の横に一人の女が姿を現した。
「柳瀬さん。捕まえてきたけど」
「その名前で呼ばないでほしいな。でもナイスアシストだよ」
少し離れたところで柳瀬と呼ばれた男がそう言う。
「ゴメンね、龍一君………」
「誰が話していいって言った? 殺すよ?」
水野は脅されて口を閉じるが天宮城の肩を見て目を見開く。
いつものように琥珀が乗っている。それは間違いがないのだ。だが、琥珀が異常なまでに苦しんでいる。
体に黒い蔦のような物が巻き付いており、ギチギチと徐々に琥珀の体を締め上げていくのだ。
そしてそれは琥珀だけではなかった。天宮城自身にも黒い蔦が巻き付き、足から上へ、徐々にその巻き付く場所を変えていっている。
『――――――!』
琥珀があまりの痛みに絶叫した。実際は声は全く聞こえていないのだが、首の蔦を両手で掴み、口を大きく開けている。
その瞬間、天宮城にも異変が起こり始めた。髪が先の方か少しずつ赤く染まっていく。
「ぅ………ガアアアアアアアッ‼」
頭を押さえながら叫ぶ天宮城。水野はそれを見て以前天宮城が言っていたことを思い出した。
―――もし、髪が赤くなったら………殺してください。
投げやりな言葉だった。まるでそうなったらもう取り返しがつかないと言っているような雰囲気だった。
琥珀に目をやると琥珀が水野を真っ直ぐと見つめ返した。
『―――助けて』
声がそう聞こえたと思ったその時、水野は目の前が真っ暗になった。
天宮城がガクリと全身を脱力させながら立ち上がる。上半身の力を抜いているのか肩や首がだらりと下に下がっていた。
その髪は、もう見間違える事すらできないような燃えるような赤色に染まっている。
「ぐ………ガァアア………」
苦しそうに呻きながら虚ろな、それでいて殺気が籠っている目を向ける。淡く光っているようにさえ見えた。
「これは………ちょっと不利かもしれないな……」
男が周りを見て頭をかく。天宮城と男以外、全員が気絶していた。天宮城が完全に我を失った瞬間、爆発的に膨れ上がった殺気に直接当てられて皆気絶してしまったのだ。
ギリギリと奥歯を鳴らして腰を低くする天宮城。男もそれにあわせて腰を低くして構える。
ドン、とまるで地震でも起きたのではないかといったような音が響き渡った。
血を吐きながら男が数メートル吹き飛んでいく。男がいた場所には天宮城が荒く息を吐きながら足で急ブレーキをかけていた。
なんという事はない。ただ天宮城はタックルをしただけなのだ。それがとんでもない速さと重さだっただけの事だ。
だが、それは自動車とほぼ同じかそれ以上の衝撃を与えることの出来るほどの殺人タックルである。
「っ!」
急ブレーキをかけ、進行方向を突然変更した。向かった先には水野が倒れている。
「何を………」
よろよろと男が立ち上がる。天宮城は水野に襲い掛かろうと手を前に出した。その瞬間、水野の体が忽然と消えた。
「⁉」
天宮城が最後の力を使い果たしたとばかりに地面に倒れる。その手には破れた『転移』のスキルカードの片割れが握られていた。
「ふふふ……あっはははは!」
男が突然爆笑した。
「まさか暴走してる振りをして彼女を助けるとは思ってなかった‼」
面白くて堪らない、といった様子で笑い続ける。
しかし天宮城、本当に暴走していたのだ。タックルした瞬間にその衝撃で一瞬だが我に返ることができたのだ。
持っていた最後のカードを水野に投げ、全ての力を使い果たしたのだ。水野は今、天宮城の部屋に飛ばされているはずである。
そして天宮城は完全に意識を手放した。
「う………っ⁉」
バッとベッドから起き上がった。手に違和感を感じたので手首を見てみると横のパックからチューブが繋がっている。
機材が大量に近くにあるがこれがなんなのか専門知識がない天宮城には理解できない。
「ここは………」
目を動かそうとすると激痛が走る。酷い頭痛がする上に目が霞んでよく見えない。赤目状態になると大抵こうなるのだ。
今まで感じたことのない頭が何かで殴られているかのような痛みに呻き声をあげながら再びベッドに倒れ込む。
天宮城は目を瞑ったまま考えを巡らせる。
(見たところここは病院だけど………俺はどうなったんだ? 思い出せないんだが………)
少し体を起こしただけで呼吸が乱れる。まだ休んだ方がいいか、と思いつつ小さくため息をつく。
(最悪の場合、ここがやつらのアジトって事になるのか……? その場合連れてこられたって事になるけど…………)
誘拐沙汰は今までも何度かあるので若干慣れている部分もある天宮城である。こういうとき、どう行動するべきか大抵はわかっているのだ。
体が動かない時は下手に動かないのが得策である。
逃げても見付かるだろうし、そうなった場合相手を激昂させる恐れがあるからだ。天宮城はそれを経験済みである。
ふと気になって胸を見てみると、目に見えてあの黒い石が大きくなっていた。
「…………そろそろ不味いかもな」
そっと触れてみると軽く振動しているのを感じた。皮膚と同じように感覚があるのを気味悪く思う。
寝転がったまま色々と考え込んでいると誰かが入ってきた気配がした。天宮城は警戒しつつも顔だけを動かして相手を確認する。
「なんだ、起きてるじゃんか」
見たことがない女性だった。かなり砕けた口調だが乱暴な口調の中身に反して外見は可愛らしい。
手には箱のようなものを持っている。天宮城はそれにも注意を払いつつ静かに訊く。
「ここは………どこです?」
「どこって………新入りは聞いてないのか?」
「………新入り?」
なんの話だ、と天宮城が一瞬黙る。
「黙ってるってことは聞いてねーんだな。ここは医務室だぞ?」
機材があるからそれぐらいはわかる、と言いそうになったがこれで怒らせるのもバカな話なのでとりあえず成る程、と頷いておく。
彼女は医務室と言った。つまりここは病院ではなくどこかの施設の中だと言うことになる。
「ああ、そうだ。腹減ってるだろ?」
「え? いえ、そんなこ―――」
「さっき食べ終わったばっかだからまだ飯が食堂に残ってるかも知れねーな。持ってきてやるよ」
「あ、あの」
「じゃあ待ってろよー」
天宮城の話を聞く姿勢を全くとらない彼女は手に持っていたものを近くの机に放り投げ、走っていってしまった。
「別に空いてないんですけど………」
そう言い、なんだか虚しくなった天宮城は机の上に放り投げられた物を見る。
タオルや服が置いてあった。服は病人に着せるようなゆったりした物である。今天宮城が着ているものと同じものだ。
天宮城はそこまで考えて、頭に疑問符を浮かべる。
(ん? 俺がこの格好ってことはいつかは知らないけど誰かに着替えさせられたってことだよな…………?)
しかもそれを彼女が持ってきたということは、
(俺を着替えさせたのあの人か………?)
急激に恥ずかしさが込み上げてきて顔が真っ赤になる。
「持ってきてやったぞー!」
「⁉」
天宮城は真後ろからかけられた声に大層驚きつつ顔を隠すように毛布を被せる。
「どうしたー? 顔が赤いな。風邪か?」
「いや、風邪じゃなくて」
「まぁ、いいや。食えば元気になるって。風邪なんて気合いで治しゃいいんだよ‼」
豪快にそう言いながら天宮城の目の前にパンやビーフシチューを出す。
「いや、あの食欲ないので………」
「ほら、食って元気出せや」
「…………」
この人マジで人の言うこと聞かない、と絶句する。
だが、こうして食べ物を前にすると急に食欲が出てきたのも事実だ。食べた方がいいのかな、と思いつつゆっくりと上体を起こす。
「っ⁉」
が、ビキン、と全身に痛みが走り、頭痛に耐えきれずまた後ろに倒れてしまう。
「おい、何で食べねーんだ?」
「お………」
「お?」
「起き上がれないです………」
やっと会話ができた、と思いつつそう言う。
「起き上がれない? んなもん気合いで何とかしろよ」
「なんとかできないレベルで痛いんです………」
現に少し動いただけでまだ体が痺れたような感覚が続いている。気分もそれほどいいものではなく、全身が重く、気怠い。
「なんだ、そんなに悪いのか? 仕方ねぇなぁ」
「え――――ムグ」
パンを乱暴に一口大に千切って天宮城の口に無理矢理押し込んだ。
入れられたものは仕方ないと噛んで飲み込もうとした天宮城だが、全くと言って良いほど顎が動かない。
(どんだけ硬いんだこのパン⁉)
力を籠めてみても噛みきれる気がしない。そこで天宮城は気付いた。
(これ、このパンが硬いんじゃなくて俺が弱ってんのか)
怠い顎を必死に動かしながらなんとか一欠片飲み込んだ。ほとんど固形物だが。
「お前、食うのおっせーな」
「これ、噛めないんですけど………何て言うパンです?」
「え? 普通のスーパーに売ってるやつだけど」
揚げパンだぞ? と言いながら普通に天宮城が食べられなかったパンをモシャモシャと食べる。
「怪我人に揚げパンはダメだと思います………」
「お前怪我してねーじゃん」
「中身がズタボロなんですよ」
そんなに硬くないパンを噛めないほど弱っていることを自覚している天宮城は小さくそう言う。
「大丈夫だって」
根拠のない自信を見せながら女性は最後のパンを口のなかに放り込んだ。結局彼女がほぼ全部食べた。
「これならいけるだろ」
ビーフシチューのスープをスプーンの中に溜めて天宮城に突き出す。
痛む体に鞭を打ってなんとか体を少しだけ起こし、ひと口スープを飲む。
「あの………凄い胃が痛いんですけど」
「え? ああ、なんせ何日も寝てたからな」
「……………」
再び絶句する天宮城。何日も寝てた、という言葉よりそれを理解していてこんな料理を食べさせようとした彼女に絶句した。
「何日もって…………嘘ですよね?」
「いや? 新入りがボスに連れてこられたときから今日で6日目かな」
5日も寝ていたことに驚きを隠せない天宮城。それ以前に気になることがあった。
「さっきから新入り新入りっていってますけど、なんで新入りなんですか」
「え? お前、ここに入るんだろ? ボスからそう聞いてるぞ?」
ここがどこかさえ判ってない天宮城にそれを訊いても意味不明である。
「僕のこと………知ってます?」
「知らん。有名人なのか?」
「いや、そうでもないんですけど」
知らないということは少なくとも彼女は天宮城がどこの誰なのか把握していないということだ。彼女の性格上、忘れたということもあり得そうだが。
「ああ、そういや名前聞いてなかったな。俺はリノだ。莉に乃でリノ。苗字は東雲だ。リノ先輩と呼べよ」
漢字を掌に書きながら自己紹介する。
「天宮城です。名前は龍一」
「うぶしろ? 初めて聞く名前だな。なんて書くんだ」
「天の宮に城です」
「カッコイイー。俺の東雲の10倍くらい」
基準がよくわからないがお気に召したようである。
「それで、莉乃さん。さっ………」
「先輩だ」
「え」
「リノ先輩」
「…………莉乃先輩。僕がそもそもここがどこなのか知らないんですが」
何故か先輩と呼ぶことを徹底させながら天宮城の話に首を捻る。
「んー? 何を聞きてぇんだ?」
「ここが医務室とかそういうあれじゃなくて………ここの組織自体を全く理解できていないんです」
「ごめん。俺頭わりぃからもっと簡単に話してくれ」
この言葉ひとつを理解してもらえるようになるまでこのあと10分ほどの時間を要した。