55ー3 終われない。終わりたくない
「琥珀さん! 帰ってこられたんですね‼」
「む、ルノか」
琥珀を呼んだのは、小さな男の子だった。
「レヴェ―――琥珀。この人は?」
「クラスリアのシスルノだ。ルノと呼んでいる」
「クラスリア……なんか、懐かしいね」
「……そうだな」
一度だけリュウイチとして地上に降りたときに戦争を止めた。その時降りたところが後のクラスリア皇国である。
当時はまだただの平原でオルフィニウスという地名で呼ばれていた。
「ルノです。えっと、貴方がアレクさん?」
「はい。そうですよ。はじめまして」
仕事の時の癖なのか、にこやかに挨拶をするリュウイチ。そんな状況ではないのだが体が勝手に反応する。
「もし良かったらうちに来てください。これから結界が動くので」
「動く? これが?」
「実際に見た方が早い。一旦ルノのところに厄介になろう」
こんな規模の結界を動かすのは相当な労力が要る筈だ。それなのに動くとは、どう言うことなのだろうか。
よくわからないままレヴェルとシスルノに連れられてシスルノの家に入れてもらう。シスルノの家は結界からそれほど遠くなく、数百メートルほど離れたところにあった。
「これくらいしかなくて……。ごめんなさい」
「いや、十分だ。気にしなくてよい」
シスルノはお湯に色がついただけのかなり薄い紅茶を恐る恐る出しながら目を伏せた。ついでに言えば、外見だけはおっかないウィルに怯えていたりする。
香りすら殆どない紅茶を口に含んでいると琥珀が小声で話しかけてきた。
「物資不足が深刻化していてな。紅茶の茶葉くらい出せないか?」
「いや、今の俺はスキルも魔法も一切が封じられてる。俺の物質創造はスキルに入るから……」
「そうか」
リュウイチとしても何とかしてあげたいところだが、なんにもできないのが現状だ。
「そもそもなんで物資不足が?」
「結界の中に首都のトライドがすっぽり入ってしまっていて、物資がその周りの村に行き渡らないんです。それに、どこの国も今はこんな感じですから他国に頼るわけにもいかず……」
この国は首都のトライドで食べ物や日用品を生産、各地の村々に売り渡すということで成り立っているらしい。
あまりこの島は土地が肥沃でないことをリュウイチも覚えていた。なのであまり農作物はつくれない。
この国は食べ物ではなく武器などの工業製品を他国に輸出することで自国を潤わせている、日本に近い産業体制なのだ。
それが今は流通が途絶え、どこも危険な状態になっているのだとか。
「琥珀。この結界って他国にもあるの?」
「ああ。ここ数日でお前を探すついでに見たところ、大きめの島には必ずと言っていいほど結界が張られていたぞ」
「それは、一斉に?」
「恐らくな」
リュウイチは己の認識を改めた。
この結界は誰かの魂を留めるためにあるものではない。結果的に留めているだけで、それが主目的ではない。もしそれが本当の理由であるならば他国にまで展開する必要がない。
全く別のなにかを動けなくさせるためにあるのだ。
「そういえば、なんで琥珀とルノさんは知り合ったの?」
「それは……」
琥珀が言い淀むと、シスルノがおずおずと口を開いた。
「結界が張られた日は、この辺りでお祭りがあった日なんです。琥珀さんやアインさん達とはそこで会いました」
「お前が消えて、ひたすら探し続けていたからな。少しでも人の集まるところへ行って情報収集をしようと思ったんだ」
琥珀たちは琥珀たちで色々頑張ってくれていたらしい。リュウイチは自分のことで精一杯だったことが少し情けなく思えてくる。
「琥珀さんは、丁度境界に立っていた僕のことを助けてくれたんですけど……お祭りに一緒に行っていたお姉ちゃんやアインさん達が反対側に取り残されてしまって」
結界の境に立ったまま結界が張られると、最悪その人の体が真っ二つになる。それを利用して結界をはる術師もいるくらいだ。
それを考えると、琥珀の行動は勇気のいることだ。助けようとして自分も巻き込まれるケースが非常に多いからである。
「結界自体は、あちらでよく目にしていたからな。直ぐに反応できた」
そう、ここの物とは質が異なるが日本にも結界をはる能力者は存在した。ちなみに、近藤のサイレントも結界の亜種の能力である。
「……ということは、アイン達は皆中に閉じ込められてるってこと?」
「そうだ。言うのが遅れてすまない」
「いや……いいよ。琥珀が謝ることでもないし、琥珀がルノさんを助けたのは正しい。それで、中の人はどうなってる」
琥珀が目を少し逸らしながら、ポツリとこぼした。
「沈んだ」
言葉を理解するのにたっぷり5秒はかかった。いや、5秒かけても意味がわからなかった。
「どういうこと……?」
「……わからないんです。なんか、向こう側のひとが皆ズブズブって地面に吸い込まれていって……それで」
地面に吸い込まれていって? リュウイチの頭はさらに混乱する。
元々表情にあまり感情がでないタイプであるが、今回の話の場合は意味がわからない。
ポカンと口を開けたまま固まってしまった。
「そういう魔法、存在するか?」
「……上級魔法に地面を底無し沼みたいにするものはない訳じゃない、けど。そんな広範囲に使えるわけないし、使えたとしても建物とかも全部吸い込まれる。しかも効果時間は十分もない」
「そうか……」
一体どうなっているのだろうか。巨大な結界が幾つもの島で張られ、中の人は全員地面に沈んだと言い、しかも結界は護るという本来の魔法の効果を発揮せず拒絶に近い効果を産み出している。
「もう、なにがなんだかわかんないよ」
自称創造主の仕業ではないだろう。そもそもこんなことできるならリュウイチの一族ごときに警戒はしない。
目の前で起こっているこれは圧倒的な力というより、なにかが暴走した跡に見える。
魔法に関係する書物を読み漁っていたリュウイチにも理解不可能な現象が次々と起こっているのが、まずもって意味不明なのだ。
あまりにもな状況に思考放棄しかけたとき、なにかが頭の隅っこに引っ掛かった。
「これは……魔法、なの?」
「どうした」
「ねぇ、レヴェル……あれは魔法なのか?」
「魔法以外のものを知らないのでなんとも言えないな」
リュウイチは頭をフル回転させるとここではないどこかを見つめる癖がある。天宮城のときも、若干その癖はあった。
だが今回はこれまでの比ではない量のことを考え続けているからか、完全に思考がトリップしているようにしかみえない。
最早虚空を見つめるとかではなく、虚ろな目でただ譫言を呟く、ちょっと病んでいる人みたいな反応なのだ。
「おい、大丈夫か?」
「ああ……うん……。問題はない……」
ぶつぶつと口から思考が駄々もれになっているリュウイチを本気で心配そうな目で見つめるのだった。