50ー3 ラグナロクを止めるには
リュウイチの力には二種類、進化と崩壊がある。
そのどちらも、ある程度の制約がある。
進化の場合だとそれを使う際、一定時間以上それを身に付ける必要がある。植物を生やすのは進化の前段階なのでほとんど時間を置く必要がないのだが、生物を進化させるという意味で使うなら二日ほど肌身離さず所持する必要がある。
簡単に言えば、普通の花を『食虫植物』に進化させようと思ったときは二日間持ち運ぶ必要があるし、進化させずに生やすだけなら種を拾った直後にもできる。
植物を高速で生やすのは進化の力を使ってはいるものの、ほとんどその手前で調節して力を止めているのだ。
そして崩壊の方だが、こちらは対象に触れるだけで物を無に還す。制約は手で直接触れることだ。
元々リュウイチ自身が嫌っていた力なのであまり検証もしていない。
「っ‼」
生物に直接使ったことなど、殆どなかったのだ。
自分を殺そうと喉に当てた手が、ほんの少しだけ崩壊した。
それだけだった。
「な……んで」
その代わりに、アロクの左手が肘の辺りまで無くなっていた。
当てた手を、アロクが払ったのは理解できた。予想の範囲内だった。その一瞬で体が全部壊れるはずだったのだ。
どれだけ大きなものでもリュウイチの手にかかればコンマ一秒もかからずに壊れる。アロクに払われたところで、手遅れになる筈だったのだ。
それが、なぜか対象ではないアロクの手が無くなっている。頭が追い付かなかった。
「リュウイチ様の欠点は優しすぎるところです。そのご様子ですと、一度も生物を壊したことはないのでしょう?」
アロクがなくなった腕を振って首をかしげる。
「どうやら生物に無理にかけようとすると反射するようですね」
「え……?」
「あなた様のお力は基本的に『無機物を対象としたもの』なのでしょうね。生物も効かないわけではないのでしょうが」
実験などしたことはなかった。だから知らなかった。この力の制約も、意味も。
「どうして……」
「リュウイチ様」
ほんの少しだけ崩れて塵になっていく自分の掌を見ながら呆然とするリュウイチ。
「こういうときだけこれとか……本当、使えねぇ……」
崩壊したところから血が出ることはない。本当にただそこがなくなるのだ。なにをしても生えることはない。
その手をアロクがそっと握る。殆ど力が入っていないので添えると言った方が正しいかもしれない。
「リュウイチ様。失礼いたします」
そしてそのままその手でリュウイチの顔面を平手打ち……ビンタした。
「⁉」
「私はあなた様のことをわかっていませんでした。ですがそれ以上にあなた様は自分を知らない」
ポケットから取り出した鍵でリュウイチを拘束していた錠を開けた。思わぬアロクの行動にリュウイチすらもどうしたらいいのかわからない。
「ご自分の事を一番に考えてください。自己中心的で構いません。邪魔だったら私を殺しても構いません。ですが自分の価値を自分で決めて勝手に死なないでください」
どこからか包帯を持ってきて口と右手を使いながら器用にリュウイチの手に巻いていく。
「実を言うと、私は殆どなにもしていないのです」
「……?」
「たしかに魔脈の存在や利用する方法の理論は提唱しましたが、実際にやったのはまた別の人です。それにリュウイチ様がご自分の欠片をばらまかれた時からは下界にすら降りていません」
リュウイチの視線が泳ぎ、考えに至ってからは唖然とする。
「じゃあ……アロクはわざと悪役っぽく振る舞ってたの……?」
アロクが苦笑しつつ肩を竦めた。肯定しているのだろう。
騙されたのはリュウイチの方だったらしい。
リュウイチの欠片を強引に探していたのはひとつでも取り残したら本当にリュウイチが死んでしまうかもしれないと心配したためで、別にそれ以上の理由はなかった。
リュウイチに対しての振る舞いは、他の者がリュウイチと接触して情報が下手に流れたりしないようにという配慮からだった。
アロクが完全に悪だと思い込んでいたリュウイチに下手に下界の話をすると早まって自殺する可能性が高かった。話をしなくても結局死のうとしたが。
「欠片が全て集まってからも監視を続けていたのは本当に最後まで集めきったのかわからなかったからです」
アロクには勝てないなと本気で悟った。戦闘力的な面でも、頭の面でも。
リュウイチの目を見てアロクは静かに話しかける。
「リュウイチ様。あなた様は最後の希望だとあなた様のご両親からお聞きしました。あなた様は存じていないでしょうが、下界には私でも倒せない魔物が一匹封印されています」
「アロクでも倒せない相手なんて」
「倒せませんでした。あなた様のご両親方と死力を尽くしましたが……」
空気がその場から一瞬無くなった気がした。
リュウイチの口がパクパクと小さく開いたり閉じたりを繰り返す。
(そうだ、アロクが全部演技でやっていたとしたら。今までの俺が知っていた行動、それ全部に違和感がある。そもそも俺を生かすためだけにこの世の全戦力と戦う真似、賢いアロクがするはずがない)
そこに、先程のアロクの言葉が重なる。
(ラグナロクが、アロクではなく別の魔物が暴れた戦争だとしたら。アロクが戦いから帰ってらずに下界に残った意味も、俺だけ取り残された意味もわかる。あのとき俺はまだ力の制御すら出来てなかったから……)
「……俺の力が完全に制御できるようになるまで、俺を戦わせなかったのか?」
「そんなところです。リュウイチ様の力無しに、あれは倒せません」
アロクはリュウイチの名前を強調してそう話す。
「俺の名前を強調するってことは、崩壊させないと倒せないってことか?」
「はい。いくら倒しても復活するのです。あの時、あなた様のご両親からあなた様を守れと命じられました。リュウイチ様のお力はいつかきっと役に立つから、何があっても守り抜け。と」
アロクは強い。世界中のどこを探したって彼女より強いものは見つからないだろう。
そのアロクが逃げなければならなかった相手。リュウイチが敵うはずもない。そう、本来なら。
崩壊という異質の力が加わってくるのならそれは大きく変わってくる。リュウイチの価値はそれだけで数倍も数十倍も跳ね上がる。
「俺が、役に立つ……?」
「あなた様でなければならないのです。お願い致します、我が主よ。あの魔物を……“リジェクト”を、倒してください」
リジェクト。アロクを含めた当時の全戦力でも勝てない相手に、どう立ち向かえと言うのか。
リュウイチの力は神としての枠組みでは相当弱い方にはいる。格をみるなら下から数えた方が断然早いくらいだ。
対象を消滅させることができるとはいえ、その差はどれくらい開いているのか想像もできない。
「そんな、急に言われても……」
「わかっております。ですがもう時間がないのです。あまり悠長なことをしていると完全な形で復活します。叩くなら、目覚めるより前の方が断然いいのです」
リュウイチの目は、迷い戸惑った子供のそれによく似ていた。