49ー4 とある男の小さな冒険
彼が地面に降り、俺もそっと足を地につける。
葉がチクチクするのが少しだけくすぐったい。
「そういえば裸足だったな」
「そうだね。靴を履く必要なかったから……」
靴を履くなんて滅多になかった。雨の日に庭に出るとき泥で汚さない為に一足持っていたが、向こうに置いてきてしまった。
「この花、いい匂いがする」
「レットベリーの花だな。実があれば食べられるぞ」
本で読んだことがある名前だ。確か甘酸っぱく、少しえぐみがあるんだっけ。あまり食用には向かないと書かれていた。
「ラグーンの外はどうだ」
「……綺麗だ。こんなに開けた空も地面も今まで見たことがなかったから」
香りを吸い込んで胸一杯に溜め込む。この匂いも、いい。
「あ、そうだ」
腰のポーチから白い花を取り出す。
「それ、持ってきたのか」
「うん。やっぱり地上の方がいいかなって思って」
そっと地面に植えてやる。その後で花弁をちょんとつついた。
「今、魔法をかけたか?」
「おまじないに近いけどね。元気でいられますように、って」
その時、なにか音がした。
「……なにか聞こえない?」
「なにがだ?」
「ガサガサって音とベキベキって音。……こっち」
音がする方に走り出すと彼もついてくる。いつの間にかいつもの大きさに戻っていたけど。
近づくにつれて音が大きくなってくる。
「これは木が折れる音と何かの足音だな」
「そうなんだ」
木なんて折ったことがないからどんな音なのか知らない。だから聞こえたとしてもそれがなんなのかわからない。
やっぱり色々と勉強しなきゃな。
ベキベキ音がどんどん大きくなって、目の前で木が倒れた。
その直後、牛が出てくる。
「牛?」
「あれは魔物だな。中々旨いぞ」
「食べるの?」
「食べるさ。お前とは違って高価な動物ばかり食べられないからな」
牛が物凄い速さで突進してくる。ぶつかりそうだと思ったので手を前に出して牛を止める。
「どうする? 食べたいか?」
「いや、あんまり食べたくないかな……。固そうだし」
とりあえず突進してくる牛の角を持って押さえ、邪魔だったのでひっくり返した。
背中から地面に体をぶつけて自重で気絶したらしい。
「弱いね」
「お前が異常なんだよ」
「君もできるだろ?」
「できなくはないが」
ここまであっさりは無理だ、と呟きながら気絶した牛を森に放り込んでいた。
俺が異常なら君も十分異常だと思うよ。
視線を感じて森に目をやると、誰かの目が爛々と光っていた。なにか用があるのかと暫くそっちを見てみる。
だが、目は動かない。
「さっきからどこ見てる?」
「そこに誰かいるから俺も見てるんだ」
そういうと目の主が反応した。
「なんと! 某が見えるのか⁉」
「?」
普通に見えるけど……?
目の主が森から出てくる。不思議な格好の女性だった。
「余程の御仁かとお見受けいたしました。某、名をミツキと申します」
「その格好……隠れ里の人か」
「よくご存じで、お付きの方」
彼が苦笑する。どうやら俺の付き人だと思っているらしい。
それより、隠れ里か。滅んだって思ってたけどちゃんとまだあるんだなぁ。
「それで、お願いがあるのです」
「お願い?」
「某と戦ってくださらないでしょうか」
? 戦う?
「なんで?」
「世の中には強いやつをみると戦いたくて仕方なくなる人種がいるんだよ」
「ああ、戦闘狂ってやつ?」
俺が納得して手を叩くと、ミツキはブンブンと首を振る。
「そんな理由ではありませぬ。これはれっきとした試験です」
なんの試験?
っていうかなんで俺なの?
「彼に頼んだ方がきっと楽しいですよ」
「いえ。里の掟なのです。隠密を看破されたものは相手の力量を見図らなければならないという」
そんな面倒な掟があるんだ。
「わかったよ。掟なら、破っちゃいけないしね」
矢と弓を取り出して手に持った。矢筒には何本か補充してきたけど、足りないとは思う。
「矢が数本しかありませんが」
「これでも残ってたぶんありったけ持ってきたんだけどね。あとは全部アンデッドに打ち込んじゃった」
回収はできそうになかったし、あんまりしたくなかった。
そうですか。ではよろしいですか? そう声をかけられて首を縦に振る。ミツキがにやっとしてさっきの牛の数倍の速さで飛び込んできた。
右手に小刀が握られてるのが見えたので半身を逸らして避け、矢をつがえて射る。
スッと避けられた。流石に一回では当たらないか。というか今のはあんまり当てる気なかったし当然か。
「成る程。わかった」
弓を引き絞る。ミツキが残像を残しながら迫ってくるのが見えたので次どこに足を下ろすのか癖や体格、重心の動きかたを計算して割りだし、そこに先に矢を射る。
「くっ……!」
足を置こうとしていたところに矢が打ち込まれ、即座に回避行動をとり体の軸がブレた。
それを確認して直ぐにこっちから近づいて脛を蹴る。元々彼女は右に体重が傾きがちだったので軸がブレた時点で左足を蹴ってやれば倒れると予想。
狙い通り転んでくれたので口にくわえていた矢を即座に構えて彼女の上に馬乗りになった。
今引いたら確実に彼女を殺せる体勢。
「……降参です」
小刀がかなり遠くに落ちているのを見て彼女が肩を竦めながら敗けを宣言した。
「なぜこんな遠いところに?」
「気付かなかったかも知れないが、こいつは蹴りをいれる前にもう一発放って武器を弾き飛ばしていたぞ」
彼が矢を回収しながら彼女に教えた。武器を使えなくさせるのは基本だ。俺の武器は近接戦闘に向かないからああやって懐に飛び込む際、もし相手が予想異常に怪力だったら斬りつけられる可能性が高いからね。
接近するなら武器を捨てさせてからだ。
「ここまでとは。お見それいたしました」
「俺も楽しかったよ。ありがとう」
彼女が小刀をしまいながら訊ねてくる。
「お名前を伺っても?」
「俺はリ―――」
「私はポルクス。こいつはカストルだ」
え。
誰だよそれ。
一瞬動揺すると、
(私はともかく、お前の名前は知られると不味いことになるかもしれん。とりあえずこれにしておけ)
要するに偽名を名乗るんだそうだ。
……なんか腑に落ちないけど、俺の名前はリ―――じゃなくてカストルになったらしい。
ちなみに。知っている方もいらっしゃるとは思いますが、ポルクスとカストルは双子座の星の名前です。
正確に発音するとポルックスとカストールですが、言いにくいのでポルクスとカストルにします。