49ー2 とある男の小さな冒険
彼は色々と忙しいらしい。
それでも来れる日はいつも来てくれる。
だから俺も彼が来る来ないにかかわらず、その時間は庭に出る。唯一許された外の空間に。
俺もやらなければならないことはある。外に出ることも他人に干渉することも許されてはいないが、有事の際に戦うことを義務付けられている。
……そんな日、来たことないんだけど。
一度も外に出たことがないのに戦力として期待されているとは、客観的に見れば馬鹿馬鹿しい話なんだろう。
少なくとも彼はそう言った。
その生き方しか知らないから、なんとも言えないけど。
「ふっ」
小さく息を吐きながら弓を射る。矢は真っ直ぐに狙った場所を撃ち抜いてくれた。
「もう、一本」
引き絞る時の音が心地好い。静かな空間に俺の呼吸音と弓の音が響き渡る。
ピタリと照準があった瞬間に手の力を抜くとまたも矢は思い通りに進んでくれて、さっきの矢を裂きながら同じところに突き刺さった。
「……こんなものか」
ある程度繰り返したのでもういいだろう。そもそも俺が働かなきゃいけない事態になんていつなるんだろうか?
道具を片付けて水浴びをする。的を睨み付けた目を解しながら小さく欠伸をした。
ここにも監視の目がある。もう気にもならないが彼からこれは異常だと聞いてから暫くは不愉快に思ったものだ。
着替えてから窓もない自室に戻り、再び本を開く。もうやることはない。後は明日になるのを待つのみだ。
「……そっか。君もお日様の下に居たいよね」
水に浸って少しは元気になった花だが、やはり陽の光の下にあった方が綺麗だ。明日、庭に植え直そう。
時計の針が動くのをただひたすら待つ。その間に本の山は少しずつ右から左へと移動していっていた。
「ん、むぅ……」
どうやら、本を読みながら眠ってしまっていたらしい。時計を見ると、もうそろそろ外に出てもいい時間だ。寝過ごさなくて良かった。
着替えてからコップにさしたままの花と鞄を背負って部屋を出る。彼と別れたあと直ぐに鍛練に入るつもりだから弓と矢も持っていく。
タン、タン、と規則的な足音を立てながら上へと昇っていく。
だが、何かおかしい。……静かすぎる。
階段の先にある扉を開けると、異臭が立ち込めていた。黒い煙もハッキリと視界に映る程度には充満している。
「なにが……」
呆然と立ち尽くしていると左隣から気配がした。これは、よく向けられる慣れた気配。―――敵意だ。
即座に扉を盾にしつつその場から一歩引くと、右足を完全に欠損した生気のない女性が包丁で切りつけてきたのが目に入った。
今引いてなかったら切られていたのは間違いない。
口からドロリとした赤黒い液体を吹き出している。死んでいるのは一目でわかった。
なにかものを考えるより先に体が動いた。弓と矢を距離をとりつつ真っ直ぐに構える。
「はっ!」
至近距離で動く獲物に遠距離用の武器を使うのはあまり適していないが、これくらいのスピードなら余裕で当てられる。
最大まで引き絞られた矢は眉間をぶち抜いて標的を抹殺した。
動き出さないかと十分注意しつつ近付き、使い捨ての手袋をはめてから死体を確認する。
「やっぱりここで働いている人だ……この地で死んだ場合アンデッドにはならないはずなのに」
目の前の彼女は動く死体、ゾンビとも言われるアンデッドだ。そして昨晩まで普通に働いていたから殺されてからそれほど時間は経過しているとは思えない。
それに、隔離されている俺だから大丈夫だっただけで他の人達が大丈夫という保証もない。
「もしこれがこの屋敷全体に広がっていたとしたら」
彼が危ない!
直ぐに庭に向かって走る。途中、2度またアンデッドに襲われたが倒すことに成功した。
「おい、これはどういう状況だ!」
「俺にもわからない。……君が無事で良かった」
庭には彼がいた。とりあえずはひと安心といったところだろう。
「君が来たのは?」
「四つ目の鐘のなる前だ」
「俺もそれくらいで部屋からでた……。そっちも通ってくる時、全員アンデッドだった?」
「ああ。スケルトンもいたな」
「こっちはゾンビだった。でも、どうしてここに……」
この土地、少なくともこの屋敷内は魂が汚れることはないはず。なのにアンデッドが大量発生しているのは異常だ。
「こちらもアンデッドになるということはないのか?」
「死ねばどうかはわからないけど生きてる以上、大丈夫だと思う」
生きながらアンデッドになるって魔法が開発された可能性はない訳じゃないけど。
「少なくともここは聖域だ。高位のならともかく低位のアンデッドなんて近付くだけで消滅してもおかしくないのに」
「お前の力でか?」
「多分」
とりあえず彼は無関係だろうし、逃げてもらわなきゃ。
「こっちに避難用の隠し通路が……あ、あった」
植木の煉瓦を弄るとベンチの下に通路が現れた。これは以前偶々見つけた。
「ほら」
先に入って安全を確認し、彼を中に誘う。
入り口を閉めてからそこに矢を一本打ち込んでおく。
「なにをしている?」
「もし入ってきたら罠になるから。それにもしこの先が塞がれてたら引き返したときに出口を間違えるかもしれないから」
「他にも出口が?」
「うん。でもそっちは罠だから絶対不用意にあけないでね」
弓を構えながら記憶の通りに細い道を突き進む。俺よりも体が大きな彼は通るのにやや苦労しているようだ。
侵入者に入られた場合、逆に罠になるようにこの通路は作られている。
一本でも道を間違えれば大事だ。
「あった‼」
目的の扉に、小さく落書きがしてある。俺が昔描いたものだ。
「ここから出られるはず」
ガチャ、と扉を開けると屋敷を取り囲む壁が目の前にあった。その先には勝手口が見える。
「外か」
「……ああ」
彼が出て、不思議そうな表情をして立ち止まる。
「なにをやっている。来い」
「……行けない」
「今そんなことをいっている場合か⁉」
「行けないんだ。君だけで逃げてくれ」
「馬鹿なことを言ってないで―――」
ぐいっと手を引っ張られ、扉を越えた瞬間に辺りが目映い光に包まれる。それと共に、鋭い痛みが手に走った。
「おい、なんだ今の……」
「言っただろ。ここから先には出られない。俺は一生ここで暮らすことを義務付けられている」
引っ張られた手は赤く腫れ上がっていた。
「……俺の力をこの土地の守りとして定着させる為に、俺自身この場から動くことができない。この領域は俺の力を高めると共に俺を縛る空間だ」
「じゃあ上から行けば……!」
「上にも当然これと同じものが張ってある。何度も言うが俺は出られないんだ」
このままここにいたら、彼に悪影響があるかもしれない。直ぐに逃げてほしいのに、彼が動く気配がない。
「早く逃げて。アンデッドは絶対に領域外に出さないから」
予備の矢をくわえて一本いつでも射れるよう構え、通路の先に照準を合わせる。
「早く!」
「その、領域とやらはお前の意思で展開しているのか?」
「今更なにを……? 自分で切れるものなら切りたいよ」
「ではどうやってこんな大がかりなものを」
「……俺の両親が作ったらしいんだ。守護石に力を込めて広範囲の結界を。俺が大きくなったら消すとか言っていたらしいけど、二人とも死んだからもう誰も解くことはできない」
もう会うのも最後だと思うと、色々と言葉が滑り落ちる。
背後の彼が動きだした。何故か、俺が弓を向けている方向へ。
「っ、なにを⁉」
「守護石とやらを壊す! お前はそこで待ってろ‼」
「バカッ! どこにあるかもわからないんだぞ‼」
もう彼は既に角を曲がっていた。
……不味い。彼、道を間違えてる。