7 柏木の頼み事
もうそろそろストック無くなってきました。
「りゅう! ご飯つくってよ」
「ぅう……」
圧迫感を胸に感じながら天宮城が目を覚ますと、風間が天宮城の上から覆い被さるようにして乗っていた。
「重い」
「女の子にそれは禁句ですぅー」
「女の子って年でもないだろ……。結城のお陰で何か大切な事を忘れた気がする」
「えっへん」
「誉めてねーよ。っていうか寧ろ怒ってるの気付いてない?」
天宮城は欠伸をしながら時計を見る。
「7時………」
「お寝坊さんだよね」
「そうか?」
今日休みだから良いじゃんと言いながら立ち上がる。実際そうなのだが。
「今日クレープがいいなぁ」
「えー。あれ面倒だから普通にピザトーストでいいじゃん」
「えー」
着替えながらそう言う天宮城。結城が居てもお構い無しである。色々と感覚が麻痺しているのだろうか。
「今度な、今度」
「この前もそう言ってた」
「じゃあ料理を練習すれば?」
「無理だもん」
もう諦めるレベルなのである。
「龍一。飯くれ」
「犬か。ちょっと待ってろ、すぐ作るから」
「む」
天宮城が部屋を出ると三田 一が出待ちしていて、朝食を催促してくる。
「今日はなんだ?」
「ピザトースト。皿出しておいて」
「判った」
天宮城、ポジションが完全に保護者である。一番年下なのに。
「お菓子食べたいな」
「未だ朝飯も食べてないだろ」
人数分のトーストにケチャップと輪切りにしたピーマン、チーズを乗せてオーブントースターで焼く。
割りと直ぐ出来るので面倒臭い朝はいつもこれである。
天宮城は朝がそんなに強くないので大体が手抜き料理なのだ。それでも十分美味しいのだから一体今までどれだけ料理をしてきたかが窺える。
「お、今日はピザトーストか」
「……今更なんだけど」
「どうした?」
「なんで家事殆ど俺がやってんの?」
「さーて、書類整理でもしてくるかなぁ」
「しらばっくれるな」
天宮城が背後から黒いオーラを撒き散らしながら低く笑う。
死神が立っているかのような威圧感である。
「龍一以外に食えるもの作れる人が居ないからだろ」
「そこはもう諦めてるからいいよ。その後だよ」
「洗濯と掃除か?」
「そう、それ。なんで俺がやることになってんの?」
ジト目で藤井を見つめる天宮城。
「いや、お前ならやってくれるかなぁ、って」
「嫌に決まってるだろうが」
「ですよね……」
仕事なんて誰だってやりたくないものである。一部例外はあるが。例えばある特定の人に会いたいが為に仕事しに来るゲイとか。
「洗濯と掃除は分けて誰かやってよ。なんで俺やってんの? 飯作らんよ?」
「「「それは勘弁してください」」」
全員土下座しそうな勢いで天宮城に頭を下げる。この辺りは皆そっくりである。
「じゃあ当番制にしよう。ってことで今日は秋兄で」
「なんでだよ! せめて順番決めようぜ!」
「えー。もう秋兄でいいよ」
「俺が嫌なの!」
リビングで争う声を聞きながら焼けたトーストを取り出して皿に乗せ、未だ焼けていないやつをトースターに放り込んでいく。
手付きは鮮やかなほど慣れていて、殆ど手元を見ていない。最早職人技である。
「決まったー?」
人数分の皿を腕やら掌やらに乗せて運んできた天宮城の目に飛び込んできた光景は、藤井が床を這いつくばって頭を抱えている物だった。
「今日は秋兄になったんだな、その感じだと」
「なんでわかんの!?」
「大体はわかるよ。大方じゃんけんで負けたんでしょ」
「スゲェ」
もう行動パターンなんてお見通しである。
「はい、焼けたから全員席ついて」
天宮城がそう言うと目にも止まらぬ速さで全員が食事の位置につく。
「いつもその動きしろよ」
「いや、りゅうは遅いとご飯くれないし……」
「餌を取り上げられた犬みたいな目で見るな。遅いやつが悪いだろ」
カップに紅茶を淹れながらそう言う天宮城の手付きを葉山がじっと見つめる。
「美鈴? どうした?」
「いや、いつも思うんだけどさ。カップとかそういうのって事前に温めて使ってるよね?」
「ん? ああ。そうだよ? そっちの方が茶葉の香りが出るし……ってなにその目」
「女子力本当に高いよね」
「やかましい」
笑いながらそう言う天宮城。実際、この中の誰よりも女子力はずば抜けている。女子でも天宮城に勝てるものは早々いないのではないだろうが。
「今日はりゅうって用事あるの?」
「無いな」
「どっか行ったりする?」
「本読もうかな」
「行かないの?」
「未だ読んでない本があるんだよ」
要約すると、外出るの面倒臭いから部屋で本読むっていうのを建前にしてゴロゴロしたい。である。
「私達テレビ局行くから一緒に行こうよー」
「なんで俺が行くことになってるんだよ。めんどい。やだ」
「龍一。後半子供っぽい理由になってるぞ」
食べ終わった食器を流しに運びながら、めんどい、を連呼する。
「いいじゃん」
「俺が行くメリットが感じられない」
「どうせ暇でしょ」
「そうだよ! 暇だよ! だからゆっくりさせて!?」
天宮城の割りと切実な叫びである。
「ほら暇って言った。行こうよー」
「行かん。俺は行かないぞ!」
腕を引っ張られながらも拒否る天宮城。それほどまでに面倒だと感じているのか。
そんな茶番を繰り広げていると、突然天宮城の携帯が軽やかなメロディーを奏でる。一瞬全員の動きがフリーズした。
「龍一。鳴ってるぞ」
「誰だよ。勝手に俺の携帯弄って着信変えた奴!」
黒電話の着信音になっている筈なのにいつの間にかアイドルのヒット曲に変更されている。
「え? 龍一ってそのアイドル好きなの?」
「アイドルとか興味ない。っていうか俺の着信音は黒電話の筈なんだけど」
ポケットから携帯を取り出して画面を見る。
「ん? 晋也だ」
「はい、もしもし」
「勝手に出るなよ!」
天宮城の手から携帯が消え、風間が電話に出ている。
「返せって! 結城!」
「えー? あ、晋也くん……だっけ? りゅうがいつもお世話になってまーす」
「結城!」
「ごめんね。りゅうが煩いから返すねー」
空に放り投げられた携帯を見事に天宮城がキャッチし、耳に当てる。
「晋也? ごめん、結城がふざけてきたから……」
『本当に一緒に住んでるんだな』
「? ああ。そうだけど?」
『女子とひとつ屋根の下かー‼』
「別に異性扱いしてないし、幼馴染みだから妙に揚げ足取ろうとしてくるし、飯の催促は煩いし、その癖家事は手伝わないしで……」
『愚痴はまた今度聞くから。今日って空いてる?』
「空いてるけど?」
「頼む! 手伝って!」
「え?」
「いやー、本当助かるよ」
「あ、そう……」
天宮城は若干面倒臭そうだが、柏木はそれに気づいた様子はない。
「この日をどれ程待ち望んだことか……!」
「ああ、うん……」
「みゆりんのサイン会! もう、何ヵ月も前から楽しみにしてたんだぁ………!」
「ヨカッタネ……」
要は、こういうことである。
「サインって一人一枚なんだよね……。頼む! 保存用にもう一枚欲しかったんだよね」
「はぁ………」
サインが二枚欲しいのでついてきてくれ、ということである。
「って言うかみゆりんって誰?」
「まじか」
そういうものにはとことん疎い男である。
「地下アイドルから頂点まで登り詰めた神アイドル! ドラマや映画にも出演する女優でモデルでアイドルだ! この前なんか主演女優賞を受賞した凄い人なんだぞ!」
「へぇ……。なんかそう聞くとどっかのアニメ番組みたいだな……」
女の子達が友達とグループを組んでトップアイドルを目指して奮闘する、あれである。
「アニメって! ヲタクか!」
「いや、ヲタクはお前だろ……」
「いいか、みゆりんは三次元なの! アニメは二次元! そこんとこ判ってる!?」
「ああ、わかったわかった……」
もうこのテンションについていける気がしない。
「早く行こうぜ!」
スキップでもしそうな勢いで走っていく柏木に溜め息をつきながら小走りで追いかけるのだった。
「まだぁ……?」
「弱っちいな、龍一は。俺はまだまだ行けるぜ!」
「そりゃお前は楽しみで仕方ないっていう理由があるから疲れないだけだろうが……」
サイン会の列に並ぶこと、早二時間半。やることない人にとってはこの時間は苦痛でしかない。
これだけの人が集まっているということはやはり相当有名な人なのだろうが。
「本当にみゆりん知らないの?」
「知ってるかもしれないし、知らないかもしれない」
「どゆこと。っていうかテレビ見ないの?」
「電気代かかるから……」
「ああ、成る程……」
晩御飯が水になってしまう程極貧生活を強いられていた天宮城である。テレビなんて見てる余裕はないだろう。
「じゃあ説明するぜ」
「いや、別にいい―――」
「みゆりんはな、今回のサイン会で新曲を―――」
「………」
天宮城はその後数十分如何にみゆりんが素晴らしいかを柏木から聞かされ続けた。
「なんかドッと疲れた……」
「なんで?」
「お前はいいよな、気楽でさぁ……」
「なんか俺アホの子扱いされてない!?」
「幼馴染みのお守りしなくていいだけで大分楽だろ……」
「お守りて」
実際、お守りに近いものである。
「ていうかそろそろ順番じゃね?」
「ま、マジか! 超緊張してきた……!」
「ヨカッタネ……」
今日何度目か判らない台詞を吐きながら天宮城は小さく欠伸をする。
「俺の知名度低くて助かったな」
「え? なんで?」
「多分マスコミに追われてサイン会どころじゃないだろうし……」
「苦労してるんだな」
藤井達と一緒にいる時点で大分苦労している人だろう。
「次の方、どうぞ」
カーテンの向こうのスタッフから声がかけられ、顔を真っ赤にした柏木がガチガチに緊張した面持ちで中に入っていった。
幸せそうでなによりである。
「次の方」
別にそう好きでもない人のサイン貰いに来ちゃったのはやっぱり場違いだったかな、等と思いつつ自分もカーテンをくぐる。
「はじめま………」
「………え?」
はじめまして、と言いかけた椅子に座っている女性が笑顔を凍り付かせて固まった。
それは、天宮城もである。
数秒、まるで時間が止まったかのように固まっていた二人はほぼ同時に互いの顔を指差して驚愕の顔を浮かべる。
「え…………? う、天宮城君………?」
「小林さん…………ですよね?」
ほぼ同時にそう言った。
「いやー、ほんと可愛かった‼」
「あー………うん」
どこかげんなりしている天宮城を不思議そうな目で見ながら貰ったばかりのサインを抱き締める。
「最高! みゆりん!」
「よかったね………俺は………大分衝撃的な………」
「え? なんか言った?」
「いいや………なんでもない」
完全に疲れきっている天宮城。それに気づいているのかいないのか幸せ絶頂の柏木は天にも昇っていきそうな笑みを浮かべてくるくるとその場を回っている。
「あ、今日付き合ってもらったお礼になんか奢るよ。なにがいい?」
「あー………じゃ、あそこのキャラメルマキアート」
「容赦ないな⁉」
「ふっふっふ」
「笑い方がなんか怖いんだけど」
暗い笑みを見せてわざわざ値段が高いことで有名なコーヒーショップを指差す。
「んー、まぁ、いいか。Sサイズな」
「ケチ。せめてMだろ」
「お前俺の小遣いなめんなよ‼」
二人でその店に入り、柏木の奢りで一休みする。
「あー………疲れた」
「そうか?」
「俺からしちゃ何時間もただ立ってるだけなんだぞ。疲れるに決まってるだろう」
ちびちびとコーヒーを飲みながらそう言う天宮城。ちびちび飲んでいるのは猫舌だからである。
「そういえばお前、ちょっと出てくるの遅かったな。なに話してたんだ? あれ、時間制限あっただろ?」
「ああ、うん。一応時間制限内に話終わったんだけど」
「へー。まぁ、サイン書いてもらったら握手してすぐ帰るってのが鉄則だしな」
「そうなの?」
「マナーとしてはな。まぁ、みゆりんが嫌がってなかったらいいんじゃない?」
「そんなもんかなぁ………」
天宮城はおもむろに外に目を向ける。
すると、眼鏡とマスクをした女性が歩いてくるのが見えた。
(どっか見覚えがある気が………!?)
次の瞬間、天宮城がゲホゲホと噎せた。
「お、おい。大丈夫か?」
「き、気管に入っただけだ………」
誤魔化しているがその目は完全に今この店に入ってきた女性に向いている。
「お前、ああいう人が好み?」
「いや、そう言う訳じゃなくて…………え? 気付いてないの?」
「なにが?」
天宮城が柏木を見て唖然としているとその人がコーヒーを持って目の前に来た。
「えっと………」
「あれ? お前の知りあいだったの?」
「いや、そうなんだけど俺が驚いてるのはそっちじゃなくて………」
女性がマスクを取る。その瞬間、柏木は天宮城の言いたいことが大体わかった。
「ええええ――――むぐ」
「静かに!」
柏木の口を物理的に閉じさせ、小声で柏木を宥める。
「とりあえず落ち着け。いいな?」
「お、おう……………落ち着けるかっ!」
目の前でおろおろしているのは小林本人だった。
「小林さん、どうしてここに……」
「休憩時間に抜けてきちゃった」
テヘペロ、とでも言いそうなポーズをとって肩をすくめる。
「大丈夫なんですかそれ」
「バレなきゃ平気よ。それよりもその隣の子、さっきサインもらいに来てくれた子よね?」
「は、はい!」
「そんなに固くならなくて大丈夫。それにしても驚いた! アイドルとか興味無さそうな天宮城君がサイン会に来るなんて想像してなかったし」
確かに、柏木に誘われなければ一生来ようとは思わなかっただろう。
「この人に誘われまして。今日は予定もなかったからいいんですけどね」
本人、絶賛混乱中である。下手したら失神してしまいそうだ。
「そうなの? 君、この前ライブに来てくれた子だよね? いつもありがとう!」
「ふぁ!? い、いえ、ファンとして当然です………」
顔を真っ赤にして今にも倒れそうな柏木は必死に言葉を選びながらなんとか会話が成立している。
すると小林のコートからバイブ音が聞こえてきた。
「あ、ばれちゃった」
「流石にこれはバレますよ………」
「じゃあ私戻るわね。また今度ね、天宮城君!」
「はい。さようなら」
放心状態の柏木をもとに戻すのはかなりの時間を要した。