44 こっそり出航
次の日、江原はあの船に一度挨拶にきた。
特に荷物もないので逃げるための準備など十分で終わって暇だというのが本音である。
昨日話せたのは天宮城だけなので他の人にも、というのは半分建前だ。
「えっ」
港についてぎょっとした。
列が船着き場までのびている。ざっと100人は越えているだろう。いや、店の中まで続いていることを考えると倍はいそうだ。
とんでもない人気である。
食べ物屋ではない。服屋なのだ。しかも開店してから数時間は経っているのでこれはピークではないだろう。
「うわぁ……」
思わずそんな言葉が口をついて出てしまうほどのものだ。
レジ待ちの人の列を横目で見ながらとりあえず中に入って様子を確認してみる。
物静かな店内。ただ、人はみっちりと入っていた。
天宮城達は慌ただしく商品の補充や説明をしており、どうも話しかけることができそうな雰囲気ではない。
ただ、とても気になったことがひとつ。
「なんで皆和服……?」
和服なんてこちらの世界で見たことはない。昨日天宮城は普通にシャツとズボンだった(風呂上がりだったので)からこの世界にも和服があるなんて知らなかった。
ただ、機能性はいいようで動き回っている天宮城達の動きが阻害されている様子は無さそうである。
「出直そう……」
明日にするしかないと背を向けて一旦帰った。
先程の店内をみれば誰だって人手不足だということはわかるだろう。それなのに人を雇わないのは何故なのだろうか。あれだけ繁盛しているのだからそのぶんのお金に困っているとも思えない。
色々と考えていると目の前を青い光が横切った。
目の錯覚か何かかとも思ったのだが、ちゃんと目の前に存在している。その証拠に店からそれを追って人が出てきた。
『アクア。アレクの側にいて』
不思議な雰囲気を醸し出す少女は光にそう言う。光がチカチカと点滅した。
『ん。……シオン?』
指を指してきた。自分のことだと一瞬わからずに呆けるが、直ぐに割れにかえって無言でうなずく。
『そう。私は凛音。アレクのパートナー。よろしく』
「よ、よろしく……っていうかアレクって?」
『? あの人』
凛音の視線の先には天宮城がいる。
「あの人アレクっていうんだ」
『ん。じゃ、また明日。いくよ、アクア』
凛音の後ろを青い光がふわふわと浮かんで追いかけていった。
なかなか個性の強い人……幼女である。
現在寝泊まりしているところは、とある高級宿。その1階エントランスでは一緒に召喚されたバカ四人組がギャーギャー騒いでいる。
「あ、地味子ー。ジュース買ってきてよ」
「じゃ、俺は商業区のパン屋の白パン」
「あ、ずるい! うちもそれだからね」
江原のことを地味子なんて不名誉なあだ名で呼ぶのはこの四人くらいである。
当然のようにパシるつもりの四人。だがここで逆らったら明日天宮城達に便乗して逃がしてもらうという計画が台無しになってしまう。
ここは素直に従うべきだと、内心でため息をつきながら歩いてきたばかりの道を引き返した。商業区まで一キロはある。自転車もないので少しばかり遠く感じるが、それも今日までの辛抱だと考えればまだ幾分かは楽だ。
パンとジュースを買ってまた宿に向かう。三十分経ってもエントランスで駄弁っているバカ四人組に押し付けられたものを渡してから自分の部屋に戻った。
天宮城に渡されたブレスレットを腕につける。
これは去り際に渡されたもので、基本早朝は一般人には港に行かないように制限されているのだが、これを見せると夜中でも港に出入りできるのだそうだ。
通行証ではあるが、結構お洒落なので気に入っている。天宮城も気に入ったならあげるといってくれたのでこれはもう江原のものだ。
この世界に来てから自分のために動いたことがあまりなかったので、なんだかそれを見ているだけで誇らしく思えてきた。
実際は開店準備前のお店に突入して出航に便乗できないかと頼み込むという実に迷惑な話ではあるが、それでも江原が動いたというのは事実なのだ。
嬉しそうにそれを眺めているとガンガンと乱暴に扉が叩かれる。
「ちょっと、地味子? あんたが持ってきたジュースめっちゃ生ぬるいんだけどどうしてくれんの?」
こちらがはいとも言っていないうちに勝手に部屋に入ってきて好き勝手怒鳴り散らしてくる。
顔に出さないようにしながらその理不尽な言葉の暴力に必死で耐えていると、目が江原の手もとにいった。嫌な予感がする。
「それ、なに?」
「か、買った」
「どこで?」
「……どこでもいいじゃない」
少し反抗的な態度をとった江原の発言に一瞬不快そうに眉を潜める。
「それ寄越しなさいよ」
「いやだ」
「あんたみたいな地味な女がそんな気取ったもんつけてんじゃないわよ」
「なんでそれをあなたが決めるの」
「当然でしょ。あんたは地味子なんだから」
当然でしょ。その言葉が胸に突き刺さる。自分はなにもしていないのに、なぜこうも責められなければならないのだろうか。
江原はブレスレットを両手で抱え込んで死守した。
「これは渡さない。絶対に‼」
「地味子のくせに生意気言ってんじゃないわよ‼」
髪の毛を引っ張られ、壁に体を打ち付けられる。それでも絶対にその体勢は崩さなかった。絶対にとられてなるものかと全身でブレスレットを守り抜いた。
やがて全く動こうとしない江原に嫌気が差したのか、なにか恨み言を吐きながら部屋を出ていった。
江原は興奮して覚えてはいなかったが、初めて抵抗して勝った。勝てたのだ。なんといわれようとこれは勝利である。
「絶対に渡さない……」
夜は胸元にブレスレットをしまって寝た。盗られるかもしれないという気持ちが強く出たのだろう。半分無意識でそれをやっていた。
次の日の朝、日が上りきらないうちに江原はこっそりと宿を抜け出して港へと走った。少々距離があるのだが、そんなこと気にもならないくらいに気分が高揚していた。
港で凛音と合流、そのまま大海原へと突き進んだ。
その日、一人の人間族が人知れず消え去ったことを気づいたものはそう多くはなかった。