40ー6 夢の可能性
握りしめた拳はあまりにも強い力で、爪が掌を傷付けて横から血が垂れる。
全身に力が入っていた。それにも気付けずにただただ目の前の紙にひたすらに怒りを覚えていた。
今すぐにこの紙を焼き払って捨ててしまいたいが、それが出来ないのが悔しくて仕方がない。
「ふざけんなよ、あの野郎……」
低く、天宮城の喉がこの世のものとは思えないほど地を這うような声を出す。
掌の傷は既に塞がり、血も床に落ちた分しか流れてはいないが痛覚が鈍い為に怪我をしたことすら頭にないようである。
その結果、誰にも気にされることなく絨毯には小さなシミがこびりつくのだった。
帽子の影から見えるのは駅に程近い少し小さな、それでいてゆったりした作りのホテルだ。
近所でもそれなりに有名なホテルで、ビジネスホテルよりもサービスがいい。
そこに入って手紙の中に入っていた紙をフロントの男性に見せるとすぐに鍵をもらえた。正直、今すぐにでもこの鍵を圧し折ってやりたいが鍵の所有者はこのホテルのオーナーなので八つ当たりはやめておいた。
念のために琥珀を先行させながら最上階まで行き、鍵をあける。
扉を開けると中からワインの香りが漂って来て、酒に耐性のない天宮城は一瞬眉間にシワを寄せた。
慎重に中へと進むと数人の男女を侍らせた男が足を組んでワインを飲んでいた。
「やぁ、遅かったね。迎えにいかせるところだったよ」
「ふざけんな」
静かに、それでいて殺気にすら似た雰囲気を放つ天宮城に男は肩を竦める。
「常談さ。毎回そうだけどどうしてそこまで僕を嫌うんだい?」
「クズだから」
「ははは! 率直で良いね」
ワイングラスを傾けて上機嫌に笑って見せてくる。
天宮城は警戒の体勢を崩さないままに再び声を出す。
「用件はなんだ。さっさと言え」
「勿論言うさ。だけどそんな風に立ってないで座ったらどうだい? 簡単な飲み物でよければ出すよ」
「いらない。このままで良い」
「つれないねぇ」
何をされるかたまったものではないとひと睨みする。
「まぁ、でも折角だ。ゆっくりと話し合おうじゃないか」
「ゆっくり話せるほど暇じゃない」
「君に拒否権があるとでも?」
男が指を鳴らすと後ろにあった二つの気配が同時に動き始める。天宮城はそれを咄嗟に確認してしまい、反対側から羽交い締めにされる。
男の近くにいた男性二人だ。容赦なく腕を締め上げられて肩や肘がギリギリと不自然な音を立てる。
痛覚が鈍いのであまり感じないが普通の人なら叫び出したくなる程の痛みなのは間違いないだろう。
「そのまま縛って」
後ろ手で両手と両足首を縛られ、ソファに放り投げられる。
衝撃で肺の中の空気が全て押し出されて、盛大に咳き込む天宮城。その頭の上からひんやりとした感覚と鼻につくアルコールの臭いがした。
髪をつたる液体は先程から男が飲んでいたワインと同じ色をしていた。
「ここまで面白そうな玩具を僕が見逃す筈がないだろう?」
「相変わらずの、ド変態だな。一周回って感心するよ」
髪を掴みあげられて強制的に上を向けさせられる。天宮城は口の端を吊り上げて歪な嗤いを喉の奥から響かせた。
「ちっ……興が冷めるようなことは止めてくれよ。今日は何も話す気はなくなっちゃったじゃないか。ってことで部屋に放り込んでおいて」
ワインまみれのソファにうつ伏せになっている天宮城を一瞥してから近くの男にそう告げる。
「体は洗わせますか?」
「そうだね。明日ワイン臭いやつと話すのも嫌だし、それくらいなら許可させてあげよう」
「かしこまりました」
ぐったりとしている天宮城を担いで部屋を出ていった。
残された男は再びワインを注いで一気に煽り、フッと不敵な笑みを浮かべる。
「早く明日にならないかな♪」
心底嬉しそうにそう声をあげたのだった。
「おい、起きろ」
「ぅ………」
「さっさと風呂にはいれ。そして寝ろ」
まだ覚醒とは程遠いくらいの意識の天宮城を脱衣場に放り込んでそう言う男。
まだ半目の天宮城は状況の理解ができぬままのそのそと着替えてシャワーを浴びる。
風呂場から出てもまだぼんやりとしたままだ。足元もどこかフラフラしていて覚束無い。
「ちゃんと体は洗ったな? では寝ろ」
「………」
やっと目が覚めてきた天宮城。寝室に入れられる前に聞いておきたいことがあった。
「……何の能力者?」
「……俺はサイレントだ」
「嘘つけ。あのド変態がそんな稀少でもない能力を持っている人を自分の近くに置くなんて考えられない。珍しい能力のやつほど自分の目の届くところに置くはずだからな」
ド変態、という名前を強調しながら言い放つ。
「……誰がいうか」
「あっそ」
天宮城も相手が協力的ならいいなという確認のためだけにそう訊いただけなのでそうでなければどうでもいい。
このまま渋っていても確実にキレられるだけなので天宮城も抵抗せずに寝室に入り、ドアを閉めていく。
最後、扉のしまる直前に呟くような天宮城の声が扉越しに聞こえた。
「あいつは狂ってる。能力者コレクターなんて普通じゃない。疑問を感じるくらいなら今すぐにでもあいつの横から手を退いた方がいい」
がちゃんと扉の鍵が回った。
あいつは狂ってる。その言葉がその男の頭の中から離れることはなく、何時間も思考の片隅にへばりついていた。
天宮城は扉を閉めた後、すぐにベッドに倒れ込んで携帯の電源をいれる。
一人で使うには大きすぎるベッドの真ん中で、ただひたすらに画面を見詰め、ため息をつきつつそれを目から離した。
「こんなの……関わらせられるかよ、クソ……!」
エミリアに言われたことが何度も頭のなかで反芻され悩みを打ち明けるなど昔も今も無理なのだと自分でそれを確認しながら時間を潰した。
気づけばそのまま眠ってしまっていた。