『もうナチュラルに兄さん呼びなんですね……』
「っ!」
白亜の顔が苦痛に歪む。それもその筈、麻酔なしで体にナイフが突き刺さっている。不思議と血は出てはいないが相当痛いようだ。
「キシシシ。じゃあ次だ」
「―――!」
「痛かったか?痛覚があるようだな」
白銀の羽根が一枚根本からバッサリ切られる。ナイフが特殊な物なのか一切血は出ないものの表情ではかなり辛いと訴えている。
「まだだ。動くなよ」
「―――、―――!」
「何言っているのか判らんな」
白亜は激痛に耐えながら戸の向こうで別れてしまったサラの事を考える。
『サラ……!サラだけでもここから逃がさないと……!』
『マスター!ご自分の状況判っていますか!?これ以上付加がかかると本当に死んでしまいます!』
『そんなのは俺が一番判ってる。耐えられないこともない』
『見栄張らないでください!』
『少なくとも見栄じゃない。魔法も使えない、体も動かない、挙句の果てに声まででないが耐えきれないほどじゃない。これくらいで精神が病んでたらとっくの昔に死んでる』
逞しい限りである。
『それに、俺の予想通り事が進んでる。ちゃんと考えてる。変な薬使われるってのは考えてなかったけど』
『じゃあいつ逃げるんですか!このままじゃ』
『大丈夫だ。大筋は予想が当たってる。今は麻痺で動かないから何もできないがその内、だ。多分ジュード達はレイゴットと手を組んでると思う。……軽く戦争規模になるかもしれんがな』
白亜はこの一年でかなり変わった事を知るシアン。
『マスター。一年いったい何を?』
『邪神、ジャラル・リドアルの弟子になった、かな』
『それはまた、とんでもないですね。マスターの場合叔父に当たる相手ですかね』
『兄さんって呼べって言われてるけどな』
『それは何故?』
『響きが好きなんだって』
『あ、好みの問題でしたか……』
シアンまで呆れさせるとは流石ジャラルである。
『本人曰く、邪神じゃなくて魔神らしいぞ』
『要約すると?』
『魔のものを司る神らしいんだけど、チカオラートが聖のものを司るってんで真逆だから邪と混同されたって嘆いてた』
『そうですか……。どのようなお方で?』
『とにかく強かった。最初なんて全然追い付けなくて殺されまくってた』
『殺されまくってたって比喩ですよね?』
『精神体だからいくら死んでも数秒で生き返るぞ』
問題はそこではない気がする。
『そうですか。他には?』
『ギャンブル好きだったかな。よく賭け事させられた』
『それ人として大丈夫でしょうか』
『さぁ?ビクティム得意だったな。あと教えたらブラックジャック気に入ってた』
『あ、そうですか……』
先程からそうですかを連呼していることにシアンも気づいていない。
『性格は?』
『そうだな。適当で、楽観的。あとギリギリの駆け引きが大好きだ』
『ギャンブルですね』
『ギャンブルだな』
シアンは少し黙る。
『もしかしてマスター、ジャラル様に似たのでは?』
『かもな。一年間ずっと一緒だったし兄さん以外誰にもあってない』
『もうナチュラルに兄さん呼びなんですね……』
『慣れた』
慣れとは恐ろしいものである。
『あれ、なんか眠い……』
『体が限界なんですよ。今日は止めさせるためにもここで一旦寝ましょう』
『人体実験されてるところで寝れるとは正直思わ……なかった……』
『申し訳ありません、マスター。これ以上苦痛を感じぬよう強制的に意識を切断させていただきます。お休みなさい』
白亜は最後にそんな声をシアンから聞いた気がした。
途中から突然白亜の苦しみ方が変わった。いままでずっと唸って耐えていたような感じだったのが少しオープンになった。
「―――!――!」
「キシシシ。声が出ないというのは良いな。静かで良い」
このときはもう既に白亜からシアンに意識が移っている。それも気づかないのかビートは取りつかれたようにナイフを動かし続けた。
『マスター……。こんな痛みを耐えれるとは称賛に値します』
白亜の額から汗がポタポタと滴り落ちる。
「おっと。この辺りが潮時か。明日はもう少し少なくするか……。この状態ではこいつの体が持たんな」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
口呼吸を激しく繰り返しながらシアンは白亜を起こさないように気を付け続けていた。
「今日は客が来ているぞ」
「………」
白亜が鋭い目付きでビートを睨む。その体は、四枚あった美しい白銀の翼は右上の一枚だけになり、左足と右腕が既にない。髪は全く切られていないせいでミディアム位の長さになっていた。
「キシシシ。まぁ、そう睨むな。お前には感謝しているよ。ここまで順調に研究が進んでいるとは夢のようだ」
気持ちの悪い笑みでそう言うビートは魔方陣を床に広げる。
「これは今では失われた技術。お前は……悪魔の存在を信じるか?」
「………」
実際に会ったことがある白亜としてはなんとも言えない質問だ。
「ああ、答えなくて良い。どうせ答えられないだろうが」
白亜は無言でビートを見る。全てを見透かしたような目をしているのにその目は酷くやる気のない目をしている。いままでの死人状態よりかはよっぽど良いが。
「今から全て判ることだ」
魔方陣が妖しく光り輝く。光が収まった頃には一人の男が魔方陣の上に立っていた。
髪は黒く、目は橙色、背からは黒い翼が二枚生えている。悪魔だと白亜は直感した。
「かかかか!人間よ。我を呼んだのは貴様か」
「そうだ。こいつを使いたいのだが」
白亜を指差すビート。白亜を見た悪魔は興味深く白亜を観察する。
「かか!これは面白い!名を申せ、神の子よ」
「……!」
「気付かぬとでも思ったか。残念だったな。我からしてみれば一目瞭然だ。名を申してみよ」
「………」
「なぜ話さぬ」
話さないというより話せないのだが、この悪魔は挑発と受け取ったらしい。
「神の子であれ、満身創痍ならば恐れるに足らず。我ならそなたを殺せるのだぞ?」
「………」
「いいだろうか、悪魔殿」
「なんだ。人間よ」
「その者……ハクアは声がでない」
「なんと。これは失敬。申し訳ないことをした、神の子よ」
思っていたより素直だ。とどうでも良いことを考える白亜。
「それでは人間に聞こう。神の子の名を申せ」
「ハクア・テル・リドアル・ノヴァだ」
「リドアル。成る程。チカオラート殿の子か」
「……何?」
「知らぬのか?チカオラート殿の本名はチカオラート・リドアル。ジャラル殿はジャラル・リドアルだな」
「初耳だ」
「かかかか!そうか、これは面白い」
笑っているのか笑っていないのかよく解らない声色で笑う悪魔。一頻り笑った後白亜を見る。
「これ程の魂、使うにはもったいないが良いのか?」
「構わん。使え」
魂、という言葉が聞こえてきて白亜の額に冷たい汗が流れる。
「怖いのか。神の子であれ消滅は恐ろしいのか」
「―――!」
「それでも我はその為に来たのだ。………悪く思うな」
「――――!」
白亜の胸の辺りに手を置くとそのままズブズブと沼にでも入るような感覚で白亜の中に入っていく。すると、
「な!?」
バチッと静電気のような音がなって悪魔が突然手を引いた。
「そんな……馬鹿な!」
「悪魔殿。何かあったのか」
「魂に既に契約の印が見える。我よりも力の強き悪魔の印……。神の子ハクアよ。そなた、悪魔と取り引きしたことがあるな?」
「………」
少し迷った後、軽く頷く白亜。
「なんと。とんでもない子のようだな」
「………」
そう言われるとなんと反応を返せば良いのか判らないとでも言いたそうにじっと悪魔を見据える白亜。
「悪魔殿。どうするか」
「契約で縛ってあり我は全く手が出せん。格がかなり高い悪魔のようだ。下手をしたら冥王クラスの悪魔だ」
冥王なのだが特に教えてやることもないとなにも反応せずただ中空を見続ける白亜。
「……いや、もっと良い素材があった」
「魂以上の素材など存在するのか」
「ハクアのみだろう。我もここまでの者は初めて見た。……先程魂を見たときに一瞬見えたのだがな。ハクアの記憶を使うのはどうだろうか」
「―――!」
記憶。この場合、白亜の前世の記憶に当たる部分であるだろう。
「ここまで復讐心に染まった記憶は見たことがない。上手いこと使えば魂以上の力になるだろう」
「復讐心……?ハクアの出生等ににそんなものは」
「ハクアよ。そなたには前世の記憶があるのだろう?」
「………」
射殺さんばかりの鋭い目を向ける白亜。
「思い出したくなかったか。幼い頃両親が殺されたのがそんなにも強い復讐心を産み出したのかと思うと正直怖いぞ」
「………」
「まぁいい。これをそなたから―――」
悪魔が白亜に近付こうとした瞬間、地面が大きく揺れた。
「なんだ!」
ビートは焦りを顔に出しながら叫ぶ。白亜は、不敵な笑みを浮かべていた。