英雄が英雄になるまで 中編
「白亜君。もうここに住んだらどうだい?」
「なにが悲しくて病院暮らししなきゃいけないんですか……」
「白亜君が居てくれたらとっても私達助かるんだけどね……」
白亜は病院に泊まる日になると手伝いをする。白亜は要領も頭も良いので普通の人の10倍の仕事を平然とこなす。
「白亜君はどうして家に帰るんだい?」
「………判りません。帰る場所だからでしょうか」
「そうかい」
「平井おばあちゃん。これ片付けますね」
白亜は人手が少ないのでこうやって病院暮らしをしている老人達と積極的に会話している。
最近病院の方では給料を出すか出さないかで迷っているらしい。
「見つけた!」
「あ………」
屋根に飛び乗ろうとしたところを見つかって捕まった。
「またかよー」
「白亜、ドンマイ」
周辺の患者達は完全にギャラリーである。隠れている白亜を見つけてもひかりに教えたりじっと見ないようにするというのは暗黙の了解である。
「はい、じゃあ部屋に行きましょうねー」
「ははは。頑張れ白亜ー」
連れていかれる白亜を見て笑う大人達。今日も平和だった。
「進路はどうするつもり?」
唐突に白亜にひかりが洗濯物を取りこみながら話す。
「進路は………猟師が良いな、とは」
「昔から言ってたものね……でも、いろんな学校から勧誘されてるんでしょ?」
「………一応は、全部断ってますけど」
「どうして?東京の方から来た人も居るんでしょう?」
「…………そうですね」
洗濯物を取りこみ終わったのでたたみ始める二人。手付きはこなれている。
「音楽好きじゃない。それで行ってみたら?無理でも君ならなんだって出来るわよ。最悪ここでもいいし」
「ここでも良いって……ひかりさんが決めることじゃないでしょう、それは」
「院長だってそう言ってたわよ?」
「ええ………」
白亜はたたみ終わった服やらシーツやらをテキパキとわけてトレーに置く。
「それに、俺はまだ中学一年生ですよ……?」
「君の将来は予約で一杯になりそうだから、早めに言っといたの」
「…………」
白亜はブレスレットにしたあの黒い石を見つめる。
「俺………音楽やります」
「え?」
「音楽やってる猟師って対称的で良いでしょう?」
「ふふふ。頑張ってね」
「嘘………だろ」
ひかりに勝って家に戻ったら家がなかった。というか、黒い残骸になっていた。
「燃えたのか………全部」
両親の遺品も、コツコツと貯めたお金も、楽器まで全て燃えた。
「何でこんなことに………」
残骸になった自分の家をただただ見つめる白亜。
「…………」
涙は、出なかった。
近所はもう皆引っ越していた。というか白亜が中学に上がる前に全員引っ越していった。
目撃者はいない。何で燃えたのか、いつ燃えたのか検討もつかなかった。白亜は残骸を踏みながら歩く。パキン、と炭化した木がボロボロと崩れ落ちた。
白亜は心の拠り所を、殆ど全て失った。
「なんだこれ………」
真っ黒になった家の丁度中心部に一冊の本のようなものが落ちていた。この中で燃えなかったということは誰かが置いていったのか、そう白亜は考えた。
「呪術……?馬鹿馬鹿しい」
古くて辞書のように分厚い本だった。表紙は金属のようなもので出来ていて固く鎖で繋がれていた。鎖には南京錠がついており、鍵らしきものはなかったため開けられなかった。
白亜は近くの炭になった元自分の家に座り込んだ。
そのまま何時間かそこに座り続けた。元からあまり天気は良くなかった。山の天気は変わり易いと言うのもあって直ぐに大粒の雨が降り始めた。
白亜はそんなことは気にもせずその場に膝を抱えて座り続けていた。
白亜はその本をじっと見つめていた。この雨の中でもなぜか濡れていなかった。
水を完全に弾いていた。海の中でも読めるのではないかと思えるほどの防水仕様だった。
白亜は近くの炭を殴った。バキッと音がして砕け散る。白亜はそれを何度も何度も繰り返す。皮膚が切れ、血が滴り落ちる。気にせず殴り続ける。
周囲の炭がなくなる頃には手からドクドクと赤黒い血が流れ落ちていた。
「――――ッ!」
崩れ落ちるように地面に座る。両手からは血が流れ、地面に赤い染みを作っていく。
「俺は………何やってるんだよ………!」
そのまま、夜になった。白亜は濡れない本を雨に晒されてぐしょぐしょになった鞄に放り込み、ふらつく足取りで病院に行った。
病院が閉まるギリギリの時間だった。日は沈んで真っ暗になっており、家々の電気が点る。
「白亜君……?………!どうしたの!?」
傘もささずただただ立ち止まる白亜を看護師が見つけ、走ってくる。
「どうしたの……?きゃ!血!?」
「…………」
焦点の定まっていないぼんやりとした目で白亜はただ立ち止まっていた。その目は、かつてないほどに生気がなく、死んでいるような目だった。
「事情を教えて」
「………」
「白亜君!いい加減にしなさい!」
最恐看護師のビンタが入った。
「ぅ………!」
「何があったの!?言いなさい!!」
「ぃぇ………が」
「しっかり声だして‼」
「家が………無かった」
「家が?」
「全部炭になってた………多分放火。火元は多分外にあるガスタンク……そこが不自然に焦げてた」
「判るの?」
「大抵はわかる………これから俺どうしよう………お金も描いてた絵も、遺品も全部燃えた」
白亜はひかりを見る。感情が戻るどころか、逆にいつ自殺してもおかしくない人間の目をしていた。
「折角貯めたのに……」
「………どれくらい?」
「500万位………」
「それはまたとんでもない額ね……」
白亜は先程ひかりに手当てされ、綺麗に包帯が巻かれた手を見る。
「ひかりさん………俺、生きてていいのかな……?」
「―――ッ!」
拭き取りきれずに髪から滴り落ちる水を見ながら、抑揚のない声でそう言った。ひかりは白亜は誰よりも命を大切にしようとする白亜からそんな言葉が聞こえたことが本当に辛かった。
手は傷だらけ、白い肌は青白く、黒いサラサラの髪は頼りなく水を滴らせている。何よりも、目が死んでいた。眼鏡はここに来るまでにどこかで落としたらしく無くなっていた。
「私が、生きていて欲しいの。そんなこと、絶対に言っちゃ駄目」
「でも………俺………両親も見殺しにしたし、学校では虐められるし、クライアントからは殴られるし………」
「全部君の所為じゃないでしょ?」
「俺の所為だよ………!俺が、全部悪いんだよ……!」
きゅっと白亜を抱き締めるひかり。その目からは涙が溢れ落ちていた。
「そんなこと言わないで。君は、何も悪くない」
「俺が……俺が弱いから……俺が」
「大丈夫だから。今日はここで寝て、明日は学校少し休ませてもらおう?」
「…………」
白亜は手の包帯を見て、小さく頷いた。この状態ではペンを持つだけで痛みがはしるだろう。
「今日は、此方で………はい。お願いします」
ひかりは白亜の部屋で学校に連絡し、窓の外をぼんやりと見つめる白亜を見た。どこを見ているのかも判らない、焦点が全く定まっていない目。
放っておいたらここから飛び降りそうだ。
「白亜君。今、学校に連絡いれたから」
「………そう、ですか」
声が掠れてうまく聞き取れなかった。精神科医に見せた方がいいかもしれない、と考えながらひかりは白亜の荷物を棚にいれる。
「今日は仕事手伝ってくれなくていいよ。というかその手じゃ無理だろうしね」
「………はい」
「それじゃあ、仕事行くから、何かあったら呼んでね」
「………はい」
「…………………」
機械のように同じ言葉を繰り返す白亜を見ていられなくなり、飛び出すように白亜の部屋を出るひかり。
白亜は死んだ目で外を見つめ続けていた。
「…………」
白亜はふと、鞄に放り込んで放置していた本のことを思い出した。包帯に巻かれた手を突っ込んで本を取り出す。
呪術教本。そう書かれていた。やはり濡れていない。古ぼけた感じはするものの、まるで生きているかのようだった。
白亜は、躊躇わなかった。
ヘアピンで南京錠をかちゃかちゃと動かし、暫く続けるとカチッと軽い音がして南京錠が開いた。




