「シアン、いつの間にこんな事してたの」
エレニカが本気で怒っている。
人の感情に疎い白亜ですら、今の状態のエレニカと話したくないくらいにはわかりやすくキレていた。
「今回の件、そっちが仕掛けてそっちが負けた。それ以前にも言いたいことは山ほどある……が、今はどうでもいい」
エレニカは大きくため息をついてポットを手に取った。
が、力加減に失敗したのかポットが粉々になった。お茶とポットの破片がテーブルに広がる。
そこにいる全員がその様子を黙ってみていた。エレニカの迫力で動けなかったというのが近いだろう。
「……あ、また失敗した」
そして怒りで行動がワンテンポ遅くなっていたエレニカが割れたポットにようやく反応した。
エレニカが割れたポットの破片を片付ける音が数秒続く。
雰囲気のせいか、数秒のはずなのに数分にすら感じるほど空気が重い。
「……あのさ、わかってないみたいだから言うけど。ハクア君を指導しようって言い出したの、俺だからな。つまりそれについて文句言ってるお前……お前だけじゃないな、お前含めた面倒な奴らは完全に的外れだし、なんなら俺に喧嘩売ってるんだ。今回は例外としてハクア君に戦ってもらったが、次似たことがあるなら俺が出る。他の奴らにも伝えとけ」
そう告げて、レーグを睨みつけた。
目は完全に冷めきっている。
「話は終わりだ。さっさと失せろ。今回の件の賠償は後日、書面でのやり取りとする」
事務的に突き放されたレーグは数度、何か言いたげに口を開きかけたがエレニカの目線に気圧されてトボトボと帰っていった。
なんなら今エレニカに明確に拒絶された瞬間が一番傷ついた顔だった。
白亜もなんとなく『あ、こいつ落ち込んでる』と理解できるくらいだ。白亜が察することができるのだから相当ショックだったのだろう。
「さて、見苦しいものを見せてしまったね。俺もこんなの望んでないんだけど、上下関係って本当に面倒くさいよ。ただ、それがないと統率とれないからなぁ」
「それは、わかります」
上下関係なんてあってないようなものとしてしまうと、数が増えるほど物事の調整がうまくいかなくなる。
ただの機械を動かすだけなら最初にしっかり点検しておけばトラブルはある程度防げる。だが、それが意思を持って動く存在となると話が変わってくる。
勝手気ままに動かれては思うように進まなくなってしまう。
誰もがいい方向へ動かしているつもりでも、全体で連携が取れなければむしろマイナスに事が運ぶ場合もある。
全体の動きを把握して指示を出す司令塔がいなければ組織はうまくまわらないものなのだ。
白亜の場合はシアンという超有能なサポートがいるので大して困っていないが、シアンがいなければリグラートの街づくりなど全く進まなかっただろう。
それどころかあれだけの仲間すら集まることはなかったと思われる。ファンクラブは勝手に集まるかもしれないが。
「先輩が後輩をいじめるとか、組織として絶対許しちゃいけないからね。見つけたら咎めてはいるけど、あんまり効果ないっぽいんだ。俺が言うから効果薄いだけかもしれないけどね……と、今は今日のことを考えようか」
エレニカがどこからか紙を取り出して机に広げた。
一目で上質な紙だとわかる一方、この紙に何か不思議な感覚を覚えた。
「あの、これ何か特殊な紙なんですか?」
「さすがだね。これは誓約書の類いだよ。ただ、ちょっとだけ効力が強いけどね。基本、ここでやり取りしたことに嘘があったり内容に反することをしたりすると数年は体の自由が効かなくなる。恐ろしいのは【嘘】の範囲が異常に広くて、誓約を行ったものに【裏の意図】があった場合も嘘と判断されるんだ」
「裏の意図……ですか」
白亜が聞き返すとエレニカは昔あった事例を出して説明をしてくれた。
もともと別のものを使っていたらしいのだが、それは『内容を無視すると死ぬ』というシンプルなものだったらしい。これに関してはリグラートにも似た形で存在する。リグラートのものは『内容違反で手足がうごかなくなる』というものだ。
遺跡などからまれに発掘される契約書は、高額ではあるが街でも買える事がある。
だが、この契約書には弱点がある。それは『相手が自分を騙そうとしているか』を読み取れないところだ。
例えば『勝負に勝ったらカバンを渡す』みたいな文言で契約したして、負けた時に中身を全部抜いてカバンの部分だけ渡す、という事でも契約は成る。
しかもそれで『カバンの中身もそれに含まれるだろ!』と抗議して、下手に相手が抵抗したりすると契約違反とみなされて自分がペナルティを背負う可能性がある。一回限りしか使えない、しかも騙されたらもう取り返しがつかないのだ。
それを回避できるのが今回エレニカが持ってきた誓約書である。
これは『カバンを渡す』という条件に、両者が中身を含まないと解釈している場合なら中身は対象外、ただし片方が中身も含むと解釈していて片方が中身は含まないと解釈している場合、そもそも約束ができない。
つまり、両者の意見が完全に合致していない場合は誓約すらできないのだ。
どちらかが一方的に騙そうとすることはできず、ともに話し合って両者の考え方が同じになった場合のみ誓約書が発動する。
「凄いけど……駆け引きないんですね」
「そうなんだよね。そこはちょっとつまんないかも」
相手の考えている事がそのまま反映されるのだから、誓約の内容については隠し事などできない。基本的に騙し合いなどは生まれない仕組みなのである。
作ったのが精神を司る神らしいので、人の心理状態を見極めることに関しては長けているのだろう。
「それで、今回決闘を受け入れる上であいつと交わした約束だよ。一応君のサポーターには目を通してもらってるけど、何か質問はあるかな?」
サポーター、と聞いて真っ先に頭に浮かんだのはシアンだった。実際、白亜の予想通りだ。
「シアン、いつの間にこんな事してたの」
『まだ子ども同然の私たちに決闘を申し込んできた相手ですよ? 口約束で適当に済ませません』
「……まぁ、そうだけど」
どうやら思っていた以上にシアンはレーグに怒っていたらしい。




