「人は面白いな」
白亜は報告書にペンを走らせつつ溜息をついた。
前田の様子を観察するのも疲れる。そもそも白亜は人を見ることには慣れていない。
人を気にしていたら自分が死ぬ世界に身を置いていたのもあって、他人を気遣うということが難しいのだ。
白亜自身、考え方が周囲と大きく違うこともあり「自分だったらこう動くから相手もそうするだろう」という読みができない。
例えば壊れかけた橋があって、そこを通らなければならないとなれば、普通はなんとかして橋を補強して通るとか、別の道を探すとか色々あるだろうが、白亜の場合『とりあえず飛ぶ』である。
元々のスペックが圧倒的に違うのでそれ以上考えることは必要ではない。
そのため他人がどうするかなど分からないのだ。
前田の行動があまりにも予測できないので、観察しているだけで無駄に疲れる。
もし何かあったら白亜が止めに行かなければならないし、人としてアウトな行動を前田がとったら強制送還する必要がある。
「どうして俺なんだ……」
本当に、なぜ自分なのかという疑問が強く湧く。
普通ならもっと経験のある人材を使えばいいし、白亜ならそこらの神よりずっと強いのだから荒事の始末などに専念させた方が正しい。
監視のために必要な技術はないから、強引に遠視で観察し続けるしかないのだ。
経験のため、と言われたら頷くしかないが、シアンが操作し続けているとはいえ魔眼をずっと使っていることに目がかなり疲弊している。
全身あらゆる箇所が頑丈な白亜では、実際には『疲れている気がする』だけなのだが、気分というものは現実に大きく関わるものだ。
エレニカのようにずっと書類仕事に追われる日々は流石に無理である。
この前エレニカのところに行ってその仕事量を目の当たりにした白亜は、たとえ身体的な疲労に無関係であってもあれをやったら倒れると本気で感じた。
いつかあれくらい仕事が増えるのだろうかと窓に目をやると、窓から外を見ていたリシューが白亜に視線を向けた。
白亜が溜息をついたことに気づき、リシューが不思議そうに首を傾ける。
「? どうした?」
「いや、なんでもない。暇になったのか?」
「そうだな。やることがない」
窓の外では雨が降っている。結構な雨量で、土砂降りの一歩手前といってもいいくらいだ。
打ち付けられた雨水が窓ガラスを叩いている。
窓越しに通りを見てみると、雨具を身につけた人々が行き交っていた。とはいえ雨も強いので、通行量は大体三分の一程度になっている。
もう朝日が昇って時間は経ったが、黒雲に太陽光は閉ざされて辺りはかなり薄暗い。
「こんな雨じゃ外にも出られないしな」
露店の類は大雨になると店を出さないことが多い。
雨で商品が濡れてしまうし、何より人通りが極端に減る。それなら一日くらい休みにするという商人は少なくない。
屋根のある店ならやっているところもあるが、露店の多くはコストの削減で簡易的な屋根しか作らない。
今日外に出ても店はないし、ただ濡れてしまうだけである。
「……それじゃあ、暇つぶしでもしようか」
白亜が取り出したのは持ち運び用のリバーシのセットだ。
以前欄丸が間違えて買ってきたものである。美織の学校で使うからとカッターとその下に敷くマットを買ってこいと頼んだらカッターと手のひらサイズのリバーシを二つずつ買ってきた。
緑色だったから間違えたという言い訳には呆れるしかなかった。しかもなぜ二個買ってきたのか。
何度言ってもお使いができないのなら、もう任せない方がいいのだろうが、これは実験も含んでいる。
欄丸は一応狼だ。それも普通の狼だ。
サザやダイ達、魔法生物や召喚獣の類でもない。地球の、ごく一般的な動物である。
その狼が人の言葉を明確に覚え、話し、下手であっても掃除などの家事もできる。もしかしたら白亜と長くいたということで何かが変質しているのかもしれないが、特異な個体であることは間違いがない。
何ができて、何ができないのか。何がわかって、何を理解できないのか。
それを調べるだけでも意味がある。地球の全動物が会話や家事までできるポテンシャルを秘めていることがわかったりすれば、その価値は跳ね上がる。
価値基準を知りたいのは神々だ。エレニカが神々のトップであり、他の神にも序列がある。その序列は神自身の力に加えて、統治している世界がどれだけ優れているかも判断材料になる。
ある程度以上の地位は確保しておいて損はない。
あまり高すぎる地位だと動きづらくなってしまうが、そこまでしなければいいだけだ。
欄丸を調べることで実験が進むのなら、と白亜は積極的にお使いをさせている。
単に『欄丸がお使いしてくれたら楽』と考えているところもあるが。
リシューが白亜の取り出したものをじっと観察している。表裏で色が違う駒を指先で摘んで匂いを嗅いだ。
「この丸いのはなんだ? 食べ物か?」
「いや、これはこの緑の板に乗せて使う。白と黒の駒を使った盤上遊戯だ」
白の駒で黒を挟めば挟まれた駒が全部白になる、といったルールを軽く説明して、とりあえずやってみよう、と早速駒を並べ始める。
最初はどこに置けばいいのか戸惑っていたリシューだが、案外飲み込みが早い。
角なら取られないということも白亜が教える前に自分で気がついた。
「人は面白いな」
「……ん?」
駒をひっくり返しながらリシューがポツリと言う。
「ただの線と石を使って、ここまで頭を使う事をさせるのは難しい」
生まれた頃からこのゲームが身近にあった白亜にとって、その言葉はとても新鮮に感じた。
「……そうだな。人は、凄い」
外では今日は止みそうにない雨が降り続いていた。




