【本格的に作戦を開始する! 全班移動!】
「ふぅ……」
柱に背を預けて目を瞑っているのはリシャットだ。念のためにと隣にはキキョウが座っている。
一人でも大丈夫だ、とリシャットは言い張ったのだがこの作戦でもしもリシャットが酷く負傷した場合、作戦そのものが実行できなくなってしまうので回復魔法が得意で、ある程度リシャットの動きについて行ける人材のキキョウがつくことになったのだ。
今は周囲の警戒に努めている。
とはいえリシャットも寝ているわけではない。なにも知らない人から見れば寝ているだけなのだが、柱に体の一部をつけているということは、それを通じてこの施設の音を完璧に支配できるという事だ。
空気の動きだけでどこに何があるか分かるリシャットなので体力を回復しながらも状況整理を続けていられるのだ。
リシャットの様子も確認しながらキキョウが小さく話し出した。
『ハクア様。先程ハクア様を拘束していた物を見ていたのですが……あれはどうやって取ったのですか? かなりの代物でしたが……』
「……前に、過負荷の原理について話したことはあったよな?」
本当に大分前の話である。それこそジュードの訓練中に軽く話していたのを聞いていたくらいだった。
『えっと……トレーニングの基本原則、でしたか?』
「そうだ。俺達の訓練の意義そのものの事。過度なトレーニングを自分に課せて環境の変化に体を作り替えさせる。これを可塑性という。それも教えたな?」
そういえばそんなことを言っていたような気もする、と首を縦に振るキキョウ。
「運動をすればそのぶん体力を使い、体の機能は一時的に低下する。だが、休息をとって回復するときに前よりも効率的に回復する超回復という性質がある。これを利用して筋力等を高めるのがトレーニングの目的だ」
ウエストポーチから小さな箱のようなものを準備しつつ言葉を続ける。
「この原理は普通、無意識に人間の体が作り変わるようになっているが、俺はこれを意図的に使用した。反則的な使い方ではあるが」
義手の中に箱を入れてなにかしら弄るリシャット。一瞬見えた箱の中には黒い小さな粒のようなものが大量に入っていた。
「負荷で体が強くなるのなら、傷や痛みでも同じことができるようになるのではないか、と」
『……だから、わざと敵を煽って攻撃させた、ということですか』
「そういうことだ。俺の場合はちょっとくらいの攻撃じゃ普通に治るだけだからな。死にかけるくらいの威力の物を受けなければ体が反応してくれなかったのが誤算ではあったが………」
普通、それを考えても実践などしない。一歩間違えれば死ぬ方法なのだから。
勿論この方法を人間がやったところで意味はない。ただ普通に死にかけるだけだ。
リシャットが人間でなく、それでいて血が混ざっただけで種族そのものが変わってしまうほど適応力が高いからできる芸当である。
そして、シアンはこれを止められなかったことを酷く後悔していた。
一番近くで声をかけられるはずの存在で、いつも無茶をするリシャットを怪我をしない程度に行動を制限させるストッパー役を努めているシアン。
だが今回ばかりは魔力が止められたせいで会話ができず、思い立ったらすぐ行動に移してしまうリシャットの無駄なまでの迅速さによって無茶苦茶な行動を許してしまった。
恐ろしいまでの自己犠牲の精神のリシャットに自分を傷付けないでと言っても通じない。それを止めようとするなら行動一つ一つを指示しなければならないほど愚直なまでに真っ直ぐなのだ。
何がダメなのか、理解ができないと言った方が正しいだろう。
そしてそういうリシャットの性格を判っているのはキキョウも同じだった。何を言ってもその辺りは無駄なのだと。
普段の行動からして予測しづらいリシャットである。
窮地に陥ると何をするか本当に誰もわからないのだ。
「そろそろ全員配置に着いたようだ……」
目を開けて手に持っている機械に話し掛けた。
【全員配置に着いたな? では作戦を開始する。一班と六班は行動開始、二班、五班は待機。三班は情報伝達を頼む。その他の班も動き出してくれ。以上】
そう声をかけた瞬間に足音が壁を伝ってリシャットの耳に届く。問題なく作戦が進んでいると確認し、リシャットも立ち上がった。
「キキョウ。俺たちも移動するぞ」
『えっ⁉』
「予定より少し早いが……あっちも馬鹿ではないようだ。動き始めてる」
キキョウが肩に飛び乗ったのを確認してからリシャットは静かに歩き始めた。
その間もずっと音を聞き続けながら。
『マスター、一班の策敵範囲内に生物反応を確認。囚われているこの世界の住民のようです』
「とりあえずはそのままだ。解放して気づかれる方が不味い」
『わかりました。伝えておきます』
連絡はほぼシアン経由で送られる。先程の通信機は全員に一斉に伝えるだけのもので個人の会話程度ならシアンの方が確実だ。
「っ、見つかったか」
戦闘音がリシャットの耳に届いたが、それも一瞬だった。シアンが直ぐ様状況を確認する。
『三班が見つかりかけましたが一撃で倒したそうです。巡回型の物なので向こうにバレることもないでしょう』
「ならいい。また動いてくれと伝えてくれ」
『はい』
リシャットの目が険しくなった。その理由は、
「出てきたな……人でなしだ」
一班が人でなしと遭遇したようだ。直ぐ様そちらに向かって走りながら通信機を起動し、
【本格的に作戦を開始する! 全班移動!】
床を蹴りあげて空中で三回転、その勢いで交戦中の一班の前にいる相手に踵落としを食らわせた。
「「「っ⁉」」」
全員が驚いて後ろに下がる。
「師匠!」
「全員下がれ。こいつの相手は俺がする」
「渡すの忘れてました」
ジュードが取り出したのは一本の刀。リシャットも見慣れたものである。
「村雨……持ってきてくれたのか」
「はい。どうぞ」
礼を言いながらそれを腰に挿してすらりと抜き放つ。
一点の曇りもないその刀身は、水滴を纏って光を反射している。
「なんなんだお前ら! 侵入罪と銃刀法違反だぞ‼」
「こちらの世界にもそういう概念はあるんだな。あんたが人でなしで間違いないな?」
「こっちの質問に答えろ‼」
「こちらも質問しているんだが……まぁいい。俺はとある世界の人でなしだ」
その言葉を聞いて眉を潜める。
「それがなんのようで此処に来たんだよ」
「不本意だ。巻き込まれているだけで本来こんなことをする義理もない。が、あんたらのやり方は嫌いだ」
嫌いだ、と子供のようなシンプルかつ率直な回答。
だが、リシャットは煽りの天才だ。何を言えばいいのかなんとなくでも理解でき、その過程で大抵の人を怒らせることができる。
あって嬉しくない才能ではあるが、発動したらしたで物事は早く進む。
「嫌いだし、馬鹿馬鹿しい。やり方が杜撰過ぎる上に持続性が考えられていないとか普通に考えれば分かることをしないって俺には理解できないね」
初対面で強さも測れない敵に対してこの言葉とは、中々の図太さだ。
「お前、おちょくってんのか? 俺様はこの世界の王だぞ」
「ハッ、そんなもん俺には関係ないな。そもそも王ってのはよそ者がやっていい職業じゃない。いや、あんたらの場合は職業じゃなくて自称か」
鼻で嗤って対応するリシャット。よくもそこまですらすらと煽り文句が出てくるものである。
そしてその後ろでは、
「師匠が笑った……煽ってるだけですけど……」
『私たちは笑わせるのに数年かかったのに……一瞬で……煽ってるだけですけど……』
巻き込まれないように逃げたジュードやキキョウ達が他人事のようにそう話していた。




