「………血の臭いがした」
「死ぬかと思った……」
やっと解放されたと思ったら既に夜中の三時だった。しかもまだ飲み会は続行されるらしい。
リシャットはなんだかんだ理由をつけて脱出したが。
『すごかったですね、あの面子』
「他人事だと思って………」
酒を本当に飲まされそうになり、なんとか回避したのだが、じゃあ家で飲めとワインボトル一本持たされた。
飲まないって言ってるのに。
電車ももう動いてなどいない。屋根の上を走る。
【あ、終わったんですか?】
「誰かさんは逃げたよな」
【勘弁してください。あれは無理です】
「俺だって死ぬかと思ったんだけど」
視線だけで殺されるかと思った。
あの人たち(人ではないが)は上司とはいえリシャットよりも力はない。戦ったらリシャットが勝てるだろう。
だが、神としての差は明確である。どうしてもそこでリシャットは勝てないのだ。
「ただいま戻りました……って皆寝てるか」
自分で自分に突っ込みながら玄関の扉を開けると、そこにリズがいた。
「ふぁっ⁉」
「あ、リシャットおかえり」
完全に油断していたリシャットは人を起こさないように小さく悲鳴をあげた。皆寝ているだろうと音を聞こうともしていなかったので。
「な、なんで寝てないの」
「待ってたもん」
「あ、それはすみません………」
「どこ行ってたの?」
「野暮用で………で、なんで待ってたの」
神様の飲み会に付き合わされていた、とは言えまい。
「仕事が来たの。私達全員に」
「………俺も?」
「ええ。リビングで話すから」
ここ最近は依頼などなかった。そもそも休業中ということになっている筈なのに依頼を受けるなど初めてだ。
直ぐに靴を脱いで中に上がる。
「これが今日ここに届いたの」
既に封が開いている封筒から中の紙を取り出す。
リシャットはそれを見て眉を潜めた。
【護衛依頼書?】
『差出人は何方です?』
(平崎ゆづは………? 誰?)
そこには一週間自分を守ってほしいという内容がかかれており、一番最後に、
「矢野宗久さんにご紹介していただき………? 宗久? ……ああ!」
【え、何方です?】
『あのひかり様のお孫さんです』
【ひかり様って看護婦の】
『そうです』
なんでここが? と言いたくてたまらないがそれ以前に何故こんな依頼をしたのか。
「知合いだった?」
「昔、ここに書いてある矢野宗久って人の祖母に厄介になったんだ」
「そうなの。で、どう思う?」
書いてある限りではリシャットの危機センサーに違和感はない。命の綱渡りを数十年続けているリシャットはかなり高性能な危機察知能力が身に付いており、文字を見ただけで不自然かどうか見分けることができる。
勿論確実ではないが。
「少なくとも、文字に変なところはないと思う。ただ、妙に丁寧に書こうとしていてこの辺りのインクが少し滲んでいる。緊張しているのかもしれない」
鞄の中から今日もらってきたワインをワインセラーに移しながら少し考える。
「リズさんはどう思う? どうやらご指名は俺だけのようだけど」
「私はリシャットがどうしたいかに任せるよ。やるのはリシャットだしね」
「………」
一瞬目をつむって考えをまとめ、
「俺、やるよ。なんかきな臭いけど」
「わかった。じゃあ明日連絡いれてみるわね。明日も学校でしょ?」
「うん。じゃあお願い。おやすみなさい」
「おやすみ」
自室に戻って時計を見るともう朝の四時を過ぎていた。寝る必要はないので楽な体である。ただ、感覚として眠いとは感じるのは少し厄介なのかも知れない。
眠くなくともそう思い込んでしまう。
【どうして受けたんです? どう考えても怪しくないですか】
「なんで受けたと思う」
【手紙になにかあったんですか?】
「………血の臭いがした」
椅子に腰かけてため息をつく。
「それから矢野宗久という名前のところ、あそこにもほんの少し嘘の気配がした。何故なのかはわからないけど」
【それ受けない方がいいのでは】
「とも思ったけど、これで受けないとしてあっちが黙っていないような気がしてね。血の臭いがこびりついてるなんて、普通の生活じゃありえない」
ペンと紙を引き出しから取り出して魔方陣を書き始める。
「念には念を入れておくべきかもな」
滑らかにペンが紙の上で躍り出した。
地面に気弾が落下し、着地点に焦げ目をつけながら爆発する。
「まだだ」
「も、もう限界……」
「まだ行ける。こい」
「無理だって………」
「話せてる内は問題ない。来い」
勿論話せている間は問題ないとかそんなのは持論である。
寧ろ話せないところまでやってはいけないのではないではないだろうか。
リシャットはいまだに鬼ごっこを訓練として取り入れていた。というより、ずっと鬼ごっこしかやっていない。
それだけなら少しサボれば良いではないか、と思わないこともないがやった瞬間にバレたのでもう誰も逆らわない。
授業終了のチャイムがなるまでリシャットを追い続けなければならないのだ。
相変わらずペイント弾の数は少ないし死角を狙っても振り向きもせずに避けられる。しかもいくら走らせてもバテることもなく、焦ることもない。
どうやったって敵わないのだがリシャットはいったい何を考えているのだろうかと思わずにはいられない。
そしてそれ以上に恐ろしいのは、
「なんでこんなときに先生がサボってるんだよ……」
リシャットは避けながらただひたすら携帯端末を見ているのだ。どう見たってサボりである。
完全に意識はそっちに向いているのに一向に倒せる隙が見当たらない。
しかもある程度の距離にまで近付くと風で妨害される。
機械でもここまでのことはできないだろう。リシャットの頭のなかはいったい何が詰まっているのだろうか。
「はい、前方注意」
「ぎゃっ⁉」
しかもボーッとしていると風がくるので休む暇もない。
その時、チャイムが校内に響き渡る。今日もまた、鬼ごっこで授業が終わってしまった。




