「飛びました」
目が覚めてすぐ目だけを動かして周囲を見る。ここ数年で先に周囲を確認するのが癖になっていた。
なにもないとわかっていても警戒せずにはいられないからだろう。
上体を起こそうと力を込めるが思うように体が動かず、試行錯誤してなんとか起き上がることに成功する。
関節が錆び付いているかのようなぎこちなさを感じながら首や腕をグッと伸ばすとバキバキと骨が音をたてる。
「っ、一日寝てりゃこうなるか………」
元々毎日ケアしないとすぐに使い物にならなくなるような体をしているので一日関節を固めたままだったら動かなくなるのだ。
体を酷使し過ぎているのもその原因の1つだが、それだけではなく小さすぎる体にとてつもない濃度の力が流れているので定期的にそれを整理しておかないと直ぐに動かなくなるのだ。
壁に貼られている魔方陣に触れないようにしながら壁にもたれ掛かるようにしてなんとか扉へと到達する。
「怠い………」
ギシギシと動きがぎこちない足を前にだし、扉の取っ手に体重をかけるようにして扉を開けようとした瞬間、扉が外向きに開いた。
「「え」」
全体重を取っ手にかける気でいたのでもう体重移動を終えていたリシャット。当然のごとく廊下に向かって倒れていく。
「―――っ」
「ごめん。大丈夫か」
「………欄丸か」
抱き抱えるようにして欄丸がそれを止める。リシャットはなんとか首を上にあげて欄丸の方を見る。
「体、もういいのか」
「さぁな……だがもう起きないと体が固まって本当に動けなくなる」
「手、貸すぞ」
「すまん」
普段なら欄丸に頼ることはなるべく避けるのだが今の状態で普通に階段とか絶対に無理である。落下しても踏ん張りきれない。
「俺が寝てる間、何があった?」
「…………えっと」
「なんだ」
目を逸らす欄丸。
「見れば、わかる」
「………?」
欄丸にほとんど全体重を預けながら美織達がいるリビングの扉を開ける。
その瞬間、目の前が真っ暗になった。
「⁉」
ついでに言えば、とてつもなく息がし辛い。
「…………窒息、するぞ」
欄丸の声がしたかと思ったら視界が元に戻り、息も出来るようになる。
「ごめんね、リシャット。ちょっと嬉しくって」
「…………ぁ」
その声に、聞き覚えがあった。というか、数年前まで毎日聞いていた声。
「り、リズさん………?」
「ハロー、大きくなったわね」
ぐいっと頭を胸の隙間に押し付けられる。あ、さっきのはこれか、と直感的に気付いた。別にリシャットは一応女なので特に興奮とかもしない。
例えこれが白亜の時でもなにも感じなかったではないだろうかとは思うが。
「俺もいるぞ」
「ヨシフさん………」
堂々と椅子に座って茶を飲んでいる。
「なんでここに」
「私達何でも屋の情報網を甘く見たわね、リシャット! 流石にちょっと骨が折れたけど」
得意気にそう言い、リシャットの頬を横に引っ張る。
「もう、なんでなにも言わずに出てったのよ」
「いひゃいれす……」
「ランも居なくなってたし」
「……」
最近よく頬を引っ張られるな、などとどうでもいいことを考える。やはり何かあることは重なるのだろうか。隠れていた筈なのにここ数日で二組に見付かっている。
「えっと、その辺りで宜しいですか?」
いつまでも入り口で色々やっていたので見かねた大地が口を挟む。
「とりあえず座りましょう。ほら、リシャット君も」
なんとか頬から手を離してもらったリシャットはぴりぴりと痛む頬を触りながら席につく。
「リシャット君。詳しい話は昨日ヨシフさん達から聞いたよ。黙って家出してきたんだって?」
「えっと、まぁ、話を端折りに端折ったらそういうことですかね……」
家出と言えるべきものなのか正直よくわからない。確かに家は出ているが。なんか言葉のチョイスによってニュアンスが微妙に変わってきてしまっている気がする。
「なんで出ていったの? あんなところ見られたくなかったから?」
「いえ、そういうわけではないですが………」
あの日、助けに行くと決める直前に誰によってかは知らないが家が襲われている。しかも目的はリシャットだった。
そこら辺にいるただの子供だと他人が認識していればあんな大所帯で攻め込んでこなかっただろう。
あそこに残っているのが子供一人と認識していてのあの人数である。少なくとも確実に普通の子供としては見られていなかった。
「どこからかは情報が漏れていたのは確実だったので、あそこにいるべきではないと思いました。それに………あんなもの見せて、ヨシフさん達はともかく、他の人が黙っているはずがない」
あの後ぶっ倒れたリシャットをもし味方側が発見しても殺されていたかもしれない。
たとえ守られていたと思っていても圧倒的な力の前には恐怖しか抱かないものなのだ。
「ヨシフさん達に迷惑をかけたこと、重々承知しております。どんな処罰でも受ける覚悟で日本に渡りました」
「そう、そこ!」
「……へ?」
「どうやって日本に渡ったの? いくら調べても飛行機とか船とか使った形跡が見つからなかったから不思議に思ってたんだけど」
気になるところそこか? と首を捻りたくなるようなリズの言葉に、
「飛びました」
馬鹿真面目に答えるリシャット。
「飛べるの?」
「飛べます。一応」
「へー」
この適当すぎる説明で納得できる人など世の中には早々いないのだろうがリシャットの超人ぶりに散々驚かされ続けて来た人である。
大抵のことは「まぁ、リシャットだしね」で済ませられる心を持っているのだ。
「ねぇ、リシャット」
ミュルを撫でていた美織がその手を止めてリシャットを真っ直ぐ見る。
「帰っちゃうの?」
ポツリとそう呟いた。
「………ヨシフさん達には悪いですがまだ私にはやることがあるのでここにまだおかせていただくつもりです」
「ほんと?」
「はい。全部終わらせるまでは、ここに」
そういった瞬間、ヨシフがこちらを見て、
「それ、リシャットがやらなきゃいけないことなのか?」
と、そう問う。リシャットは少し考えて、
「……そうですね。私じゃなくても出来る人はもしかしたらいるのかもしれないです。ですが、それでは何人犠牲になるかわかりませんし」
60年前に倒しきれなかった自分が悪いから。リシャットはそう口のなかでモゴモゴと呟く。
正直魔獣の件は白亜の頃ならまだしも今の時代は全く関係がない。関わろうとしないようにしていればそれで生きていけたのだ。
良くも悪くも真っ直ぐなリシャットは手を抜くことが出来ない。どこまでも真面目なのだ。
ここにいる全員がそれを知っている。
「リシャットの好きなようにすればいいと思うけど、前みたいに無茶はするなよ。その腕もな」
「気付いてましたか?」
「当たり前だろう? 悪化しているのは見てればわかる」
リシャットの右手は、もう殆ど動かない。紙の束を持つだけでそれを取り落としそうになるくらいにはボロボロだった。
両手で物を持つことすら危うい。
「しっかり自分で考えろ。自分の事を最優先にするのも忘れるな」
お人好しの度が過ぎているリシャットにそう釘を刺すヨシフ。リシャットはぎこちない動きで首を縦にゆっくりとふった。




