「さて、どうなることやら………」
「どう? どう?」
「んー………まぁ、ギリギリ合格ラインですかね」
「リシャットの理想が高すぎるのよ……」
美織に出した簡単な(それでもこの年齢にしてはかなり難しい)テストを採点しながら口にハーブティーを含む。
ミントはハーブの中でも繁殖力が強く、よく採れるのだがどうも香りが気に入らないそうで屋敷内では不人気だ。
なので甘味の強いハーブをブレンドしたものをいつも使っている。
一見したら雑草にしか見えないハーブがきちんと整列して小さな畑に並んでいる様は、なかなかシュールだ。
「それで、準備は終わらせましたか?」
「バッチリよ! いつでも行けるわ!」
「そうですか」
頼んでもいないのに小さな可愛らしいスーツケースを見せる美織に苦笑しながらノートを閉じる。
「リシャットも行くんでしょ?」
「? いいえ。ここの管理もそうですが、私も授業がありますので。流石に一週間連続で欠席は不味いかと」
「ええええええ」
「なぜそんなに驚かれるんです?」
「一緒に行くんだと思ってた………」
「そう言われましても………。欄丸をつけますので、私が行く意味はそうありませんし」
本当にメリットとデメリットでしか考えない人である。
「じゃあどうやって話すのよ」
「旦那様は英語がある程度話せるでしょうし、欄丸も一応英語は覚えているかと」
「欄丸覚えてるの⁉」
「はい。ロシア語を教え―――いえ、日本語を教えるときに同時に教えただけです」
実際は、ロシアにいたときに使えるかもしれないから、という理由でリシャットが欄丸に適当に教えていた。
「えー」
「それに、ミュルにも餌をやらなければいけませんので」
「そうだけど………ミュルなら放っておいても自分で何とかするんじゃない?」
「それは、確かに…………」
行動力が無駄なほどある猫達。元々野良だったからか割りと時々逞しい面を見せる。
「リシャットこないんだ………」
「ええ。楽しんで来てくださいね」
ついてくるものだと思っていた美織はがっくりと肩を落とす。
先程からリシャット達が話しているのは明日からの一週間、家族でヨーロッパ旅行に行くという話である。
「確か、イギリスとイタリア、オーストリアでしたか」
「うん。あっちの言葉、リシャットは判る?」
「ええ。イギリスなら英語ですし、フランス語もドイツ語も覚えてはいるので」
元々ラテン語から新しく作られていった言語である。覚えるのはそう大変ではなかったそうだ。
「じゃあやっぱり欄丸置いていった方がいいんじゃない?」
「欄丸が泣きますよ………。どちらにせよ、私はいけませんので」
「なんで」
「………さぁ、なんででしょうかね。さて、夕食の準備をしますので失礼いたします」
わざとはぐらかしてキッチンへ向かう。
冷蔵庫に入っているものを確認し、何ができるか候補を頭のなかで浮かべる。
「お嬢様は何が食べたいって仰ってたっけ」
【オムライスじゃないですか?】
『ロールキャベツでは?』
二人とも意見が違う。だが、多分どちらでも美織は喜ぶだろう。大好物なのだ。
「そうだな………卵の賞味期限が危ないからオムライスにするか」
決めてから直ぐに動き出す。
手早く野菜を洗い、皮をなるべく残しながら細かくカットする。栄養があるからだ。この辺りも抜かりない。
それと同時にスープも作り始める。ベーコンを一口大にし、野菜等と一緒に煮る。
リシャットの料理は全体的に薄味だ。本人曰く「濃い味に慣れるとその内外食とかしてたら太りそうだから」という割りと微妙な理由だった。
それ以外にもあるが、薄味ではあるものの決して物足りない感じはしない。そこが不思議なところである。
野菜を炒め、炊けたばかりの白米を投入しケチャップで味をつける。手捌きは料理人のようなものなのだが、作り方は至って普通なのがリシャットクオリティだ。
正直、本人がそこまで追求しようと思っていないのでそれ以上のことはあまりしない。
その代わりに、デザートで滅茶苦茶凝ったものが出てくるのだ。その辺りはもう完全に職人技である。
「よし。こんなもんか」
欄丸を呼び、食堂まで運ばせ美織とリシャット、欄丸の三人で席に座って夕食をとる。
大地は最近少し帰りが遅いので皿ごとラップにかけて冷蔵庫にいれている。チンして食べてください、みたいな適当な感じである。
「みー」
「ああ、お前のぶんはそっち」
「みー」
「だめだって。塩分高いから」
リシャットの皿の上を見て催促してくるミュルだが、その作戦には乗らない。
ちゃんとミュルにはキャットフードがあるのだ。
ただ、ミュルは美味しそうだから狙っている訳ではなく、リシャットが食べているものを食べたいだけなのだ。
「ミュル。我慢しろ。ほら」
「みゅぅー」
キャットフードを前に出され、渋々それを口にするミュル。最近猫らしさが全くなくなってきた気がする。
美織達が海外旅行に行き、リシャットは見送ったその足で学校に向かう。
歩いている途中で突然足元がグニャリと歪んだように感じた。
「っ………」
頭を振って無理矢理に意識を歩くことに逸らす。
『マスター、休みましょう。もう………』
「いや、大丈夫だ」
シアンの言葉を遮ってそう言い、また歩き出す。足元が歪むような感覚はもうしなかった。
いつものように正門から入り、教室に向かう。初等部棟に向い、自分の教室………4年生の教室に。
学校に通うようになってから二年経ち、水口や校長、教師の独断に近い形で初等部4年から気力を直接扱う授業を組み込むことになったのだ。
どんな危険があるかわからない為に、リシャットがその対象となる現在の4年生から試験的に導入してみることになったのだ。
何かあってもリシャットなら対応可能だからである。気力のエキスパートであるリシャットが後ろについているのだから、どれだけ危険なことをしようとしても大抵アドリブでどうにでも出来るのだ。
こんなに心強い味方はいない。
本当なら海外旅行に付き添う予定だったのが急遽変更したのは今回の授業がどんなものか確かめる必要があるからだ。
言い出しっぺが最初からいないとか無責任過ぎるので。
リシャットが教室についたとき、丁度二時間目の途中だった。
教室に入るとあまり歓迎されていない空気がなんとなくその場に流れる。リシャットはそれを無視して直ぐに自分の席に座った。
授業が成功するのか、失敗するのか。それをしっかりと見届ける必要がある。
「さて、どうなることやら………」
その呟きは誰に聞かれるでもなく窓の外の風に乗って飛んでいった。




