「それはどう考えても無理だと思うのだが……」
「暇だな」
「暇なら掃除でもしてろ」
「そこまでやることもないと思うのだ」
「掃除ってのは一生終わらないものなんだよ」
「………やっても終わらない仕事だな」
欄丸にそう言いつつ美織の問題集を作っていくリシャット。
「最近お嬢様が護身術を習いたいと仰られたからな。お前もついでに覚えろ」
「な⁉ 我がか⁉」
「俺一人じゃもし多方向から屋敷に攻められても対応しきれない。お前が戦力になれば楽だし」
要は楽をしたいだけなのだ。
「リシャット一人で十分だと思うのだが」
「そうでもない。今は特にな。体が成長しきっていないどころか魔力も少ない」
「成長は出来るのではないか?」
「あれは奥の手だよ。最大時間までフルにあれを使ったらその後一日は体の自由が利かなくなる。ドーピングの一種だからな」
しかもかなり悪質なやつである。
リシャットの体を急激に成長させるだけでなく、体を頑丈にする役割も兼ねているのでそこに更に気力を使ってしまう。
だからわざわざ目を塞いで使わないようにしているのだ。
「俺が疲れてたらお前に代われるくらいには強くなってもらいたいんだけど」
「それはどう考えても無理だと思うのだが……」
地力の差が圧倒的である。
「取り合えずお前もやってみろ。俺の動きなら見てるだろう?」
【見てるのと出来るのでは大違いな気がしますけど】
『それでも一応動きかたはわかるでしょうし』
そんな話をしていると玄関の戸が大音量で開け放たれた。
「ただいま‼」
「お嬢様………もう少し優しく開けてください。扉が外れそうです」
「今日からやるんでしょ?」
「ええ、欄丸も宜しいですか?」
「いいわよ! ライバルね‼」
自分の部屋に猛ダッシュしていった。リシャットはそんな美織を見て、欄丸にも声をかける。
「早速やるそうだぞ。お前も動きやすい服に着替えてこい」
「リシャットは?」
「俺はこれで良い。来客があったとき汚い服で出迎える訳にもいかないからな」
「まだやるとは言って――――」
「やるよね?」
「わかった」
半分脅しつつ部屋に向かわせリシャットも準備を始める。
「着替えたわ!」
「お早いですね。では準備運動してお待ちください」
「なんで準備運動するの」
「怪我予防です」
さっさと始めたい、とばかりに頬を膨らますがリシャットが説得してしぶしぶ屈伸をやり始める。
欄丸も合流し、三人で準備運動をやったあと、リシャットが話しはじめる。
「護身術を覚えてもらうにあたり、幾つか話しておかなければなりません。まず、私が教えるのは襲われたときの対処法です。自分から掴みかかるものではありません」
「そうなのか」
「あ、欄丸はまた別のを教える」
「……………」
欄丸は訓練メニューが増えるらしい。
「後、お嬢様の力では殆ど意味がないものになってしまう可能性もありますのでもし襲われた場合、極力使わないようにしてください。というか逃げてください。これで応戦できるほど甘くはありません」
「最後の手段ってこと?」
「はい。私くらい力があれば良いですが、お嬢様の場合、たとえ本気で蹴っても意味がなく、寧ろ相手を激昂させてしまう恐れがあります。脅かすくらいの認識でいてください」
それでは始めましょうか、と言い説明を交えながら欄丸を相手、リシャットを美織役として色々と教えていく。
欄丸は可哀想なことに何度も見本として蹴り飛ばされたりしていた。
「こう、後ろから来られたとき、脛を蹴って体の重心を一気に落とします」
「ギャッ⁉」
「あ、ごめん。強く蹴りすぎた」
「酷い…………」
リシャットの力で蹴られたらたとえ軽くでも骨が折れる可能性がある。欄丸はそのリシャットの蹴りを何度も受け、実際に三回骨が折れた。
足首とあばら骨を二回。美織に気付かれないよう一瞬でリシャットが治したので欄丸でさえ一瞬折れたことに気付いていない。ただ、その時は蹴られた瞬間に絶叫していたのは確かである。
「お嬢様も大分覚えてきましたね」
「毎日やってるからね」
「そうですか」
「あ、遅れそう。行ってきまーす」
「行ってらっしゃいませ」
慌ただしく出ていった美織を見送りながら朝食で使った皿を片付けはじめる。
「あれ? 美織は?」
「旦那様。先程出ていかれましたが」
「あちゃー………間に合わなかったか」
「どうかされましたでしょうか」
「間違えて美織の弁当を鞄の中に入れちゃってね……取り替えに来たんだけど」
リシャットが机の上を見ると大きめの弁当箱が置いてある。
「美織も忘れたみたいだね」
「ですね。それはお預かり致します。後程学校に行きますので」
「ごめんね」
「いえ。そんなことより……旦那様。9時から会議では?」
「え? …………今何時?」
「8時24分です」
「……………」
青い顔をして自分の弁当を掴んで走っていった。
「…………届けに行くか」
あの人も大変だな、等と他人事のように考えつつ美織の弁当を持って欄丸のところに行く。
「欄丸」
「どうした?」
「お嬢様が弁当を置いていったから届けてくる。留守は頼んだぞ」
「わかった」
ついでに買い物にも行こうと思い立ち、鞄を持って屋敷から出る。
平日のこの時間帯だ。歩いている人など殆どいない。誰に会うことなく歩いていると突然その場で立ち止まった。
「居る」
『二機。両方とも一型です』
【ここで遭遇ですか】
「襲ってきたら返り討ちにするだけだけど………後処理が非常に面倒だな」
早足でその場を立ち去ろうとした瞬間、目の前に一機の亜人戦闘機が立ち塞がった。
「チッ……もう出てきた」
周辺に人がいないことは確認済みだが監視カメラがどこにあるかまでは把握していない。下手に動き回れば人に見られる危険がある。
「キシュアア………」
「キシャア!」
後ろからも出てきて挟まれた。細い道なので横を走り抜けない。リシャットとしては非常に面倒だった。
(ライレン。監視カメラは)
【凄い遠い所に一個あります。ギリギリ映ってます】
(逃げるしかないけど………)
戦えない以上、何とかしてこの場から立ち去る必要がある。それも、一般人並みの脚力と体力で。
(蹴り飛ばせることができれば簡単なのに……)
『カメラに映ります』
「だよな………」
そこで、リシャットはあることを考えた。
(目潰しして走り抜けばなんとかなるか?)
幸い、一型は足がそんなに早くない。大人でも頑張れば逃げ切れるくらいのスピードしかでないのだ。
普通に考えて子供が一般人とはいえ大人と同じスピードで走れるのがおかしいとも思うのだが、これ以外の方法だと、
・一瞬で殲滅
・空に逃げる
・マッハで走り去る
・魔法
・気力
等、一般人では出来ないことばかりになってしまうのでこの場合これしか方法がないのだ。
「よっ」
弁当を包んでいた布をこっそりと外し、目にも止まらぬ早さで前にいる亜人戦闘機に向けて投げる。
風を孕んで広がった布は亜人戦闘機の目の前で鋭い爪で両断される。だが、それでリシャットにとっては十分なのだ。
爪で払うことを読んでいたリシャットは少しだけ右寄りに布を投げていた。それを払うために爪を持ち上げた瞬間、滑り込むようにして足があったところを通過し、体を起こしつつそれなりの速度で走り始めた。
「「キシャア⁉」」
その行動が予想外だったのだろう。魔獣が驚き声を上げたがその時には既にリシャットはその場から走り去っている。
この一部始終は遠方から撮影した監視カメラに映らなかった。
ライレンが気を利かせたのである。




