『これは、なんだと思う?』
『別に逃げ出したいならそうすればいい。ただ、一つ言っておくけど俺の近くにいるからまだ話せてる状態になってるだけだ。俺から離れたら直ぐに昏睡状態だろうな』
別に逃げられようが俺に不利益はないからな、と付けたす。
【全く……。案外優しいんですから】
「煩い。沈めるぞ」
【どこに!?】
ライレンが目の前に現れると犬の目が大きく見開かれる。
『なんだそれは……!』
【それとは心外ですね。これでも冥界の王やってるんですから】
『威厳とかは皆無だけど』
【貴方の前だからですよ!】
そんなこんなしているとヨシフが帰ってきた。
「どれかわからなかったから取り合えず全部持ってきた……」
「お疲れ……」
幾つもビニール袋を手に持って走ってきたヨシフに労いの言葉をかけながら中身を確認する。
『お前がどうしたいか自分で決めるといい。取り合えずは家に来い。ここで死なれたら死体が腐って虫がわく』
【素直じゃないんですから……】
『なんだって?』
【いえ、何でもないです………】
ライレンを黙らせて袋のなかにあった缶詰めを指で開ける。
『取り合えず食え。食ったらお前を運ぶから早くな』
『我は施しなど―――』
『誰が施しと言った? 俺は食えと言ったんだ。死体処理なんて面倒なことしてたまるか』
缶詰めの反り返っている部分を指でへし曲げて一枚のプレートにした。食べやすいようにだろう。
『食え。食わないなら無理矢理突っ込む』
本当に突っ込みそうだったので、
『た、食べる!』
腕を口のなかに突っ込まれるよりましと考えたのか急いで缶詰に食らい付く。
「おー。腹減ってたんだな」
一人何か勘違いしているが、まぁ、この際放っておいても問題はないだろう。
『む………』
一缶丸々食べ終えたのだがもの足りなさそうに口の回りを嘗める。
『まだあるから』
『い、要らぬ!』
『あっそ。じゃあそこらにいるカラスにでも食わすかな』
『む……』
『はぁ………子供が見栄張るんじゃない』
『余計なお世話だ! 貴様も子供ではないか!』
『体はな』
追加でもう一缶開けてやる。少し躊躇したがまたバクバク食べた。
「ところでその缶何?」
「んー………秘密」
「え? なんかヤバイものだったり」
「しないから」
犬の栄養食なのだ。何故こんなものを買ったかというと、これ、かなり臭いが強烈なのだ。
近くにいる分には問題ないのだが、直接嗅ぐとリシャットなら数時間は鼻が効かなくなるほどのもので、普通の人でも10分は臭いを感じれないだろう。
世界一臭い食べ物といわれる塩漬けのニシンの缶詰、シュールストレミングにしようかと一瞬悩んだが缶詰の状態で既にリシャットの鼻がやられたので諦めたのだ。
もし仕事中逃げることになったときにぶつけるようにこんなものを買っていたのである。
あと、最悪の場合非常食。
「………クプ」
小さく犬がげっぷをした。
『物凄い食ったな』
『う、五月蝿い』
『まさか5缶食うとは思ってなかった』
『だ、黙れ!』
『一旦俺の家に帰るぞ』
『は?』
一旦は来いと言った筈だが? とリシャットが言う。念話なので声には出していないが。
『しょ、承諾はしていない!』
『そんなに食っといてよく言うな』
『ぐっ……』
そこを突かれたらもう何も言い返せない。
『別にどうでもいいけど。休まないと腹はふくれても体が動かないぞ。筋力落ちてんだから』
『む、むぅ……』
『別にとって食う訳じゃないんだから……。というか、お前みたいにガリガリや肉付き悪いやつ食いたくねぇ』
『な』
反射的に頭をあげるとリシャットと目があった。静かな怒りが目の奥に見えた気がした。
『………何を怒っている』
『お前に向けてじゃない。………帰るぞ』
さりげなく浄化魔法を全身にかけてやる。一気に毛色が明るくなった。
「うおっ! なんか色変わってないか?」
「そんなこと無いと思うけど。光の加減じゃないの?」
「そうなのかな……? まぁ、リシャットが言うならそうなんだろうけど」
リシャットの言うことを信じすぎだと思う。
リシャットは器用に左手で犬を担ぐ。
『な、何をする!』
『だから運ぶって言ってんの』
『他にも運びかたはあるだろう! その空いた前足は何なのだ!』
『前足って………。手だよ。右手は………色々あって使えないんだよ。最近は殆ど動かない』
正確には、動かせない。努力はしているが芳しくなく、逆に悪化している。
『それは……どう言うことだ』
『怪我をした。それの後遺症で、痛みが引かない』
『………悪いことを聞いたか』
『別に。最近は諦めてるし、そこまで困ってないから』
話し掛けづらい雰囲気になったので双方黙る。暫くその状態が続き、家に到着してしまった。
『ここがヨシフさんの家』
『貴様の家ではないのか』
『俺の家でもあるかもしれないけど………俺、養子みたいなものだし』
感覚としては居候か家政婦である。実際家事全般一人でやっているのでそんな感じなのだが。
「リシャット。そいつどうするんだ?」
「俺の部屋に一先ずは泊めとくよ。もし何かあったら対処できるし」
「そうか。手伝えることあったら言えよ」
「うん」
朝食は既に用意してあるのでこのまま自分の部屋に行ってもいいと判断し、担いだまま自分の部屋にはいる。
『取り合えず安静にしろ。騒ぐなよ』
毛布を引っ張り出してきて低めの机の上に敷く。ここで寝ろということだろう。
『寝ないなら催眠薬使うからそのつもりで』
【衰弱してる人にそれは酷くないですか】
『まず人じゃないし、寝るのが一番だ。今の状態なら取り合えず休むのが道理』
そう言って窓を開ける。窓の端から棒が地面に向かって斜めに掛かっている。急角度のスロープのようなものだ。外に出るとき、たまにこれを使っておりるのだ。
『出ていきたかったらここから出ていけばいい。ただ、ここから出るのを見られるなよ。多分射殺されるから』
物騒なことを言いながら部屋を出ていった。
【すみませんね、素直じゃないんですよ】
『何者だ。貴様も、あやつも』
【そうですね………。本人から直接聞いた方がいいんじゃ無いですか? 言うかどうかは気分次第でしょうけど】
ライレンはクスクスと笑いながら意地悪くそう言う。
『…………判らぬ。貴様らが何を考えているか、我には』
【なにも考えてないと思いますよ?】
『は?』
【あの人は………恐らくなんとなく助けたかったからという理由で動いていると思いますよ?】
特に理由はないというのがリシャットである。
【人間はそういう面倒なことを率先してやる生きものですからね。だからこそ面白いんですけど】
そう言ってライレンも出ていった。
『………寝るか』
疑問を抱えながら目を閉じて意識を手放すのだった。
「おい。起きろ」
目を開けると皿を持ったリシャットが覗き込んでいた。
『なんだ』
『ん』
皿を前につきだしてベッドに腰掛ける。皿の中にはふやかしたドッグフードが入っていた。
『………噛みごたえがない』
『仕方ないだろ。下手に固形物食べて胃を驚かせるよりましだ』
仕方なく食べる。
『そう言えば………お前何て名前だ?』
『………ない』
『? じゃあ群れでは何て呼ばれてた?』
『はぐれもの』
『………そういうことか』
元々、苛められていたのだろう。そのまま捨てられたようだ。
『貴様はなんだ』
『俺は……リシャット。白亜でもいいけど』
『二つあるのか』
『白亜は昔の名前。今はリシャットって呼ばれてる』
徐に壁付近で逆立ちになって腕立てを始めた。
『貴様は何者だ』
『…………それはどういうこと?』
『そのままの意味だ。貴様は自分で人間ではないと言った』
『俺は………何て言ったらいいのか』
暫く無言で何か考える。
『精霊に近い神族、かな。そこに居るライレンは悪魔だ』
『神族……? 森の奥に居る?』
『え、それは知らない』
野性動物の定義など知る筈もない。
『人間ではないってだけ。俺もよくわかってないから』
片腕で腕立てを続けながら話す。
『それで、お前はどうする』
『なにがだ』
『群れに帰るのか?』
そう言われて食事を一時中断する。
『我は………人間の家畜になる気はない』
『………家畜って言わないけどな、お前のたち位置』
ペット枠である。
『さっきから様子を見てるともう大分動けるみたいだからな』
『…………』
腕立てを止めて棚から掌くらいの箱を取り出す。
『どうするかは自分で決めればいい。ここに残るもよし、さっさと森に帰るもよし』
手際よく箱から出したカードを混ぜてベッドの上に並べていく。
『さ、選んでみろ』
『なんだそれは』
『いいから』
ベッドの上に顔を乗せて一枚のカードを鼻先でつつく。
『ん。これだな』
それをチラと見て再び束に戻し、また並べ直す。
『はい、次』
『何回やるのだ』
『どうだろうな? お前の心が見えるまで』
そういわれるとやりたくなくなってくるが再び別のカードを鼻でつつく。それを4回ほど繰り返した。
『…………これがお前の答え』
ピラ、とカードを見せる。小さな猫が屋根の上で真っ直ぐどこかを見ている絵だ。
今まで選んだカードのどれとも違う。
『意味が判らぬ。そもそもそれはなんだ』
『昔、ある地域で占い結果をそのまま魔法に反映するっていう魔法があったんだよ。これはその簡易版みたいなもので相手の本心を見抜く魔法具だ』
懐中時計に仕込んだのもこれと似たような物である。
『占いだから何が出るか判らないって理由で廃れたんだけど、どんな魔法でも占い結果を変えることはできないっていう特性があってな。ちょっと難しかったけど復元してみた』
相手に本当のことを言わせるような魔法は存在はするが相当難しいとされている。
これは誰でも出来るので実際はかなり便利な魔法だったのだ。使われていないだけで。
『これは、なんだと思う?』
『ここに残る、か?』
『………当たり』
静かに笑みを浮かべてそう言ったのだった。




