「捨てられたのかな」
「それに………私にはやることがあります。大きくなったら、ですけど」
「夢か?」
「いえ、頼まれたことなので」
神様に。
「そうか………今日のところは諦めよう」
要するにまた来る、と暗に言われている訳である。
「………何度いらっしゃっても私の答えは変わりませんよ」
リシャットがそう言うと背を向けて男達が帰っていった。
『………なんか胡散臭かったですね』
(まぁな……。それに俺が断るのも想定済みだったみたいだ)
どうしたもんかな、と小さくため息をついているとヨシフがオロオロした目でこちらを見てきた。
「………ヨシフさんは、俺があっちに行ったほうが良かったって思ってる?」
「え?」
「いや、そんな顔してたから………」
やはり邪魔なのだろうか、と俯く。野良犬を拾ってくる感覚でこの家において貰えることになったのだ。食費もかかるし無駄にお金を使わなければならない。
とはいってもリシャットの食費なんて微々たるものだし、家事の殆どをそつなくこなすので寧ろ助かっているくらいなのだが、天然記念物にそれは察しろと言った方が酷だろう。
「それはない」
「………」
ヨシフはそう即答した。
「リシャットはこの家に必要だからな」
「……それは防衛面で?」
「違うから」
なんでも理詰めにして考えないといけないような人なのだ。それをヨシフはちゃんと知っている。
リシャットに、一を聞いて十を知れ、という事が出来ないことを。
「居てくれるだけでいいって感覚……。判るか?」
「………うん。なんとなく」
曖昧な返事を返しながらどう言うことなのだろうか、と頭を捻っているとヨシフの手がリシャットの頭の上に乗せられる。
「?」
「考えなくていいさ。そういうもんだ」
よくわからないまま、なんとなく。それでいいのだ。
「………一つ気になってたことがあるんだけど」
「なんだ?」
「もし俺が軍に入るって言った場合、この年から入れる筈がないよね?」
「リシャットはまた例外な気もするけど……その場合、兵学校からになるのかな」
「成る程……」
リシャットのその様子を見て、微妙にヨシフが焦る。感覚としてそれに気付いたリシャットは、
「あ、いや、入る気はないんだけど」
「そ、そっか………さっきの話して行きたいって言われたら恥ずかしいな、って………」
この家に必要だ、とか言ってたあれである。
こういわれては行くに行けないが、元々行く気は更々ないので。
「ですから、お断りさせていただきます」
「渋っても良いことありませんよ?」
「別に渋って無いです。ずっと言ってますけど、軍に入る気は全くないので」
今度は後ろにいる細身の男性がリシャットに詰め寄る。
「今の内に入っておけば将来上の立場を………」
「結構です」
もう何度目だ、と内心で大きくため息を吐く。何度も訪れてはハーブティーをガブガブ飲んでいくのでもうあまり茶葉が残っていない。
さっさと帰れ、と内心で毒づきながら表面上は真顔で対面する。
「地位にもお金にも興味はありません。………何度も言っているでしょう」
「この国を守りたいとは思わないんですか」
「………正直に言わせていただきますと、知り合いさえ無事ならどうでもいいと考える自己中心的な性格ですよ。私は」
「その知り合いを守るために軍に入って欲しいと言っているんです」
堂々巡りで話が進まない。カップのお茶も冷えきってしまっている。
「入らなくても守れます。寧ろ今の方が自由に動けるので」
「国をなんとも思ってないんですか」
「…………では言わせてもらいます」
向き直って目を向ける。青く透明な色をしているのに、氷のように冷たくそこが見えない暗さを持っていた。
とくに理由もなくその目にゾッとする。
「たった一つの組織で守りきれるほどこの国は狭くない。人の目につかないところほどそれは顕著に現れます。………ここは、人の目につくところですか?」
小さすぎる村など、殆ど認識されていない程に見えない場所は広い。この家など、周辺に民家すら見当たらない場所に建っている。
「私が守りたいのはこの家です。共に仕事をする方々です。私は国や土地を守っているわけではありません。守ろうとも思いません」
透明なのに光が一片も映らない瞳を真っ直ぐに向ける。絶望を経験した者の目であり、死地を通った者の覚悟の意志がその奥に宿っている。
「大事なものを守る役目は誰にも譲る気はありません。いつか失うものであろうと、それが私の生きる理由なんです」
毅然とそう言い放った。誰にも干渉させないとばかりに警戒心を途切れさせない。
「………今日のところは諦めよう。また来るぞ。…………いい返事を待っている」
「……………」
これでも諦めないのだから、ある意味尊敬にあたるしつこさを持っている。
車のエンジン音が徐々に遠ざかっていく。
「………リシャット」
「?」
「なんだ今のカッコいい!」
「!?」
ヨシフが興奮している。
「生きる理由はここを守ることだって……めっちゃカッコいい!」
「あ……なんか客観的に聞くと恥ずかしい………」
今更である。
『格好良かったですよー』
【格好いいー】
(お前ら二人揃って俺のメンタル削るのは止めてくれ……)
左手で顔を隠して珍しく感情を表に出す。右手で覆えないので表情まるわかりだが。
耳まで真赤に染まっている。物凄い恥ずかしがっているのか少しずつ感情を表に出せてきているからなのか不明だが、恐らく両者だろう。リシャットも成長したものである。
それからまた数日後。
日課の筋トレを終え、周辺の走り込みをヨシフとしていた。因みに筋トレは一日三回、片手で逆さまになって体を上下させるやつを500回程、懸垂、腹筋を300回。場合によってはもっと増える。
これでよく筋肉の塊にならないものである。その分魔力は増えていっているが。
「ん…………?」
突然リシャットが足を止めた。息一つ乱れていないが十キロは確実に走っている。
「ど、どうした………? ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」
「俺のスピードに合わせる必要ないのに……何か聞こえません?」
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……なんだって?」
「いえ………」
そんなこと気にしている暇はないようだ。リシャットはヨシフに苦笑しながら耳に意識を集中する。
「………餓死しかけてる……」
「何………が?」
「多分……――」
「は? 何て言った?」
リシャットが突然道を逸れて走り出した。滅茶苦茶な速度である。
「ちょ、待って……」
「ん……よし」
待てと言われたので振り返ったがなにかを思い付いたようである。
「よしって………嫌な予感しかないんだけど……」
「問題ないと思う」
ひょい、と前で抱えられた。
「お、おひめさまだっこぉぉぉぉぉおおぇぇえええええ!?」
その状態のまま走り出した。殆ど揺れていないのが恐い所である。大の大人を抱えて走りつつ抱えている大人にまで気を配る6歳児がいるだろうか。
厳密に言えば右手が使えないのでお姫様だっこというより片腕に子供を乗せて歩く父親のような体勢であるが、ヨシフがリシャットの首に抱きついているので体勢はまんまお姫様だっこである。
「ちょ、リシャット」
「もうすぐ着くから」
「ってここ家の真裏じゃん‼」
リズに見られたら本気で死にたくなる光景だ。
「リズさんはまだ寝てたから大丈夫」
「問題はそこだけどそこじゃない‼」
まずこの体勢がおかしいのだ。
「着いたよ」
ピタッと停止する。少し鼻息が強くなっているが口で息をするほどでもないようだ。化け物である。
「ほら」
がさがさ、と茂みのなかに入っていくリシャットを追うと、痩せ細った大きな犬が倒れていた。
「捨てられたのかな」
「多分そうだと思う………。目立った外傷はないから空腹で倒れてる感じかな。ヨシフさん。この前俺が買ってきた缶詰めあったでしょ?」
「? ああ、使えるかもって言ってたやつ?」
「それ持ってきて」
「判った」
ヨシフが家の方に走っていった。先程まで走り通しなのにまた普通に走れるところ、ヨシフも軽く化け物である。
『念話使いますか?』
「ああ」
念話は便利だが言葉が通じないと何言ってるのか判らない。シアンに翻訳してもらう必要があるのだ。
『さて………聞こえてるか?』
「グルルルゥ………」
小さく頷く犬。
『自分でわかってると思うが、お前はもうじき餓死するだろうな』
「…………」
薄目を開けてこちらを見てきた。そんなことは知っている、と念話で伝えてきた。
『生きたいか?』
真っ直ぐに目を見ると見つめ返してくる。
『生きたい、だと? ………そんなことを言っては誇り高き一族の恥だ。人間の下に付く気などもない』
『残念ながら今話してるのは念話だから声に出してもいないし俺は人間じゃないからどれも当てはまらないな』
それなりに低い声だった。雄なのだろう。
『我は誰の下にも付かぬ。このまま貴様に飼われるなど屈辱でしかない』
『じゃあ好きにすれば? 俺はここで餓死するのが一番ダサいと思うけど?』
『ダサい………? ダサいとはなんだ』
『誇りなんて欠片もない行動のこと』
本来は意味は違うが今回の場合こう言い回した方がいいとリシャットが感じたので適当にそう言ってみた。
『貴様、我を侮辱するのか』
『するつもりなんてないけど。まぁ、ここでこんなことになってたってことは大方群れに捨てられたんだろ?』
こんな話し方だから判りづらいがまだ子供である。本来なら親が放っておく筈がない。
『五月蝿い! 人間の癖に偉そうに!』
『だから俺は人間じゃないっての』
『貴様はどう見たら人間じゃないと判断できる!』
『………今の自分の状態を見てみれば?』
そういわれて体に目をやる。先程より大分調子が良くなっていて、空腹が大分和らいでいる。
『貴様……何をした』
『特に何も。最近判ったことだけど俺の近くにいると植物でも動物でも何かしら元気になるみたいなんだよ』
これが神としての力なのだろう。とリシャット達は分析していた。ライレンがそう言ったからだが。




