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「座ってて」
千里は部屋の電気を点けてから祈咲に言った。千里の部屋は1DK。今二人がいるのはダイニング部分。こうして来客があったとしても寝室を見られることはない。それが理由でそういった造りを選んだのだ。
「僕も何か手伝いますか?」
祈咲は座る前にそう尋ねてきた。
「大丈夫よ。座って楽にしてて」
千里が言うと、祈咲はわかりました、と微笑んで腰を下ろした。テーブルの下にカーペットは敷いてあるが、それだけでは座り心地は悪いだろう。千里は買い物袋をキッチンに置いてからクッションを祈咲に手渡した。祈咲はそれにありがとうございます、と言い、受け取りその上に座り直した。
これから作ろうとしている物は時間のかかるものではない。しかし、その間祈咲と二人きり。何を話せばいいのだろうか。自分から誘っておいて無言で料理を作り続けるというのもいかがなものかと思う。けれど気の利いた会話を出来る自信もない。
どうしたものかと悩みながら、買い物袋の中身を取り出していく。
「いつも洋風なお料理が多いんですか?」
どう会話を切り出すか悩んでいると、祈咲から話し掛けてくれた。これといって特徴はないが、耳に残る声が部屋に届く。
「ううん、和食が多いかしら。煮物とか好きなんだけど、短時間で食べれないから今日はやめたのよ」
これが明日も家でゆっくり出来るのなら煮物を作るのもいいだろう。今日から煮込めば明日には確りと味が浸み込む。けれど明日家で食事を出来るとは限らないので簡単に作れて、今日美味しく食べられる物を作ろうと思ったのだ。
「そうだったんですか」
祈咲は声だけでも微笑んでいるように感じられる。
「祈咲君の実家は何処なの?」
「東京ですよ」
答えるまでに僅かに間があったように思えた。そしてその答え方に違和感を覚えた。ここも、今千里達が暮らしている場所も東京だ。そういった場合、区や市を言うものではないだろうか。
「千里さんは?」
「ああ、私は静岡なのよ」
千里は大学進学を機に上京したのだ。それからずっと東京にいる。今後地元に戻ることもないだろう。四年前に育ててくれた祖父が他界してからそう思うようになった。
「静岡なんですね」
祈咲が千里の返しを復唱する。普通であればここから、実家にはどれくらいの頻度で帰るのかとか、地元の話を聞いたりするものだがその類の質問が祈咲の口から出てくることはなかった。
千里としても地元のことについて語りたくない気持ちが強い為、それは有難かった。
「ご兄弟は?」
地元について訊かないのであれば、家族構成くらいしか話題は思い付かない。
「……姉が、いました」
──いました。
祈咲は過去形で答えた。これは訊いてはいけないことだっただろうか。
「僕が小学校四年生のときに事故で亡くなったんです。両親も共に。僕だけが運良く生き残ってしまいました」
祈咲の語る過去は同情せざるを得ないものだったが、妙な引っ掛かりを覚えた。しかしそれがどの部分に対してなのかはわからなかった。
「そうだったの。ごめんなさい、知らなくて」
千里は料理をする手を止めて、祈咲へと謝罪の言葉を掛けた。
「いいえ、とんでもないです。もう、過ぎたことですから。千里さんは、ご家族は?」
「私は、ちょっとした家庭の事情で祖父と二人で暮らしていたのよ」
大したことではない。父親が事業に失敗し、多額の負債を背負ったのだ。両親はその負債を返す為に、身を粉にして働くことになり、千里は父方の祖父に預けられたのだ。それは千里が小学校に上がったばかりの頃だった。
そしてそれから三年後、両親の行方はわからなくなった。行方を眩ませたのだ。父親が残した借金はまだ相当な額が残っていて、祖父は自分の貯金と住んでいた家、持っていた車や」家財を全て売り払ってそれを返済した。
その後、狭いアパートを借りて千里と二人で静かに暮らしていたのだ。
千里はそのことを祈咲に簡潔に話して聞かせた。その間料理をする手は止まっていたが、祈咲は口を挟むことなく聞いてくれた。
──人に話したのは初めてだった。
祖父と二人で暮らしていたというのは何人も話したことはある。けれどその理由を話したことはなかった。
祈咲が自分の過去を話してくれたから、自分も話さなくては、と思ったのだ。これは隠すほどのことでもない。恥ずかしいことでもないし、可哀想なことでもない。ただ、人と少しばかり違うだけ。そうはいっても、人と少しばかり違う家庭環境など有り触れている。
人並みの家庭環境の方が実は少ないのだ。仲の良い両親は自分を愛してくれて、そのなかで幸せに育つ。そういったことは非常に少ないのだと、千里は祖父から教えられた。
そんな祖父も幼い頃に父親を病気で亡くし、母親と身を寄せ合うように暮らしてきたとのことだった。そして祖父の妻──つまり千里の祖母も、千里の父親を生んでまもなく死亡した。事故だったらしい。だから千里の父親も、両親の愛情というものを知らずに育ったのだ。
「聞かせてくれてありがとうございます」
千里が唇を閉じると、祈咲は少し悲しそうに笑って言った。
「お礼を言われるような話じゃないわ。寧ろ、人に聞かせるような話じゃない」
親しい間柄なら兎も角、今の千里と祈咲の関係でこんな話をされても正直なところ困るだけだろう。言うだけ言ってからそのことに気が付いた。
謝るべきだろう。千里はそう思い、再び動かし始めた包丁を持つ手を止めて口を開こうとした。けれど先に祈咲が言葉を発したので、千里は言おうとしていたことを飲み込んだ。
「なんか、似ている気がしていたんです」
祈咲はえらく穏やかな口調でそう言った。
「似ている?」
その言葉に首を傾げる。
「はい、そうです。僕と、千里さんはどこか似ている気がしていたんです」
自分と祈咲が似ている。それはどこか不思議な感じがした。自分ではそんなふうに思ったことはなかった。というか、そんなことを考えたことはなかった。
「だから、生い立ちを聞いて、なんだか納得しました。僕達、家族の愛情を失ったんだなって」
妙な言い回しだと思った。本来なら、家族の愛情を知らずに、と表現するところではないのだろうか。けれど祈咲は「家族の愛情を失った」と表した。
似ている、と祈咲に言われるのは嬉しいと思ってしまう自分がいる。しかしそれはとてもではないがいいと言える共通点ではない。
こんなときに返す言葉が浮かばない。何を言ったらいいのか、全く言葉が脳裏に生まれてこないのだ。
「……そうね」
千里はそれだけを返した。嬉しい、と言うのは違う。似ているというのは確かにどこか嬉しく感じてはいるが、生い立ちに関してはそう思えない。仕方ないことだとは思う。自分や祈咲だけが特別だとも思えない。
「気を悪くしてしまいましたか?」
料理を再開した千里の背中に祈咲の申し訳なさそうな声が投げ掛けられる。千里の短い返事を祈咲はそう解釈したのだろう。
「ううん、そうじゃないのよ。上手い言葉が出てこなくて」
千里は正直な気持ちを口にした。祈咲の顔は見ずに言う。いちいち手を止めていたら料理が進まない。
「それならよかった」
わかりやすく安堵した声が部屋に響く。
「あ、テレビ点けていいわよ」
そうしないと会話が途切れると静かな空間がひたすら続いてしまう。心地悪いわけではないが、なんとなく落ち着かない。背中に祈咲の視線を感じる気がして集中力が保てない。
「はい」
祈咲が答えた後、リモコンを手に取る音が耳に届く。リモコンはいつもローテーブルの上に置いたままだ。決して大きくはないテーブルなので本当はリモコン置き場を用意すればいいのだろが、そうしてもそこまでするのは面倒だった。要所要所でずぼらな性格が現れる。
部屋にはテレビからの音声が漂い始めた。昼過ぎ。これといったテレビ番組がやっている時間ではない。やっているとしてもドラマの再放送か情報番組程度だろう。ザッピングする音が続き、漸くそれは落ち着いた。どうやら祈咲は情報番組でチャンネルを止めたみたいだ。
祈咲らしいように思う。なんとなくだがドラマを観る祈咲というのは想像がつかない。彼の好みというものを知らないからだろう。
千里はテレビの音を背中に聞きながら料理する手を進めていった。会話をやめると手はどんどんと進んでいく。料理をするのは久し振りだが、集中しだすと早い。作る物が簡単というのもあるのだろうが、幾らもしないうちに料理は完成した。
「美味しそうですね」
祈咲はテーブルに並べられた料理を前に歓喜の声を上げた。そうした素直な反応をされるとどうにも落ち着かない気分になる。そもそも他人に手料理を食べてもらうことはこれが初めてだった。手料理を食べてもらったことがあるのは祖父だけだ。
「ありがとう」
千里は照れ隠しでそれだけを言った。
「じゃあ、いただきます」
祈咲が軽く手を合わせ、行儀よく言う。まるで給食のときのこどものようだと思った。
「どうぞ」
祈咲はなにやら他の楽しそうにフォークを手にした。早速といったようにまずはグラタンに手を伸ばす。ホワイトクリーム作りは慎重に行ったので滑らかに出来たと思う。しかし感想を聞くまでは自信を持てなかった。
「うん、美味しいです」
祈咲は大きく一口を食べ、頷きながら言う。想像していたより熱かったのか、口元を動かしている。
「よかった」
千里は祈咲の反応を見てから自分も料理へと手を伸ばした。グラタンもポトフもなかなか上手く出来ている。自信で満足しながら食事を進めていった。
食事中というのはどうしても会話が少なくなる。それでも少しずつだが言葉を交わした。殆どが他愛のない話題で、気付けば過去のことあは全く話していなかった。
学生時代のことや、こどもの頃のこと。そういったことは自然に話題に上らない。それは千里が意識的に避けていたからだろう。子どもの頃のことは出来れば話したくない。話したくないことを除けばいいのだろうが、どうしてもそのことから先が話せなくなってしまうのだ。だったら最初から話題にしなければいい。
そうすると出来る会話というのは限定されてしまうが、実際日常の会話で幼少期のことを話すというのは滅多にないことなので困ったことはない。千里は今までもこうしてずっと、幼少期のことを話さずに過ごしてきた。
「ご馳走様でした」
食後に、と淹れた紅茶を飲みながら祈咲が丁寧に頭を下げてきた。静馬の事務所でハーブティーを淹れるような祈咲にティーパックの紅茶を出すのは少々気が引けたが、それかインスタントコーヒーしかないのだから仕方ない。
「お粗末様でした」
人に手料理などご馳走したことがないので、こういったときの返しの言葉すらわからない。それなりに上手く人付き合いをしてきたつもりではいたが、実はそうでもなかったと思い知る。
「誰かにご飯作ってもらうなんて、本当に久し振りだったので温かく感じました」
祈咲はマグカップを静かに置いて、息を漏らすようにそう言った。実家を離れて久しいのだろうか。千里も誰かの手料理など、祖父が作ってくれたものを食べたのが最後だったと記憶している。
「そう思ってもらえて嬉しいわ」
突然の誘いをしてしまった為、そう言われて安堵した。
「ありがとうございました」
「こちらこそ」
こうした会話で礼を返すのはおかしいとは思ったが、口にせずにはいられなかった。あのまま一人だったら、きっと料理をすることはやめていただろう。そして進展しない事件もことを悶々と考えていただろう。しかしこうして祈咲がこうして来てくれ、事件のことは頭からすっかり抜けていた。
勿論、事件のことを考えなくていいというわけではないが、たまには頭から抜くことも必要だ。今日はそのいい機会だったと思う。
「……千里さんは今回の事件についてどう思いますか」
祈咲の落ち着き払ったような声が部屋に響く。いつの間にか夜に近くなった部屋は昼間のそれとは違う静けさがある。
「今回の事件」
千里は口の中で復唱する。すなわち、今千里が携わっている事件のことだ。
「早急に犯人を捕まえたいとは思っているわ」
千里は一番に思い付く言葉を外へと出した。それがまず、やるべきことだ。これ以上被害者を増やさない為にも、水穂の為にも。
「それは刑事として、ですか?」
祈咲はまるで尋問のように訊いてくる。テレビの点けられていない部屋がやけに静かだからだろうか。
「それも、勿論あるわ。ただ、他にも」
千里はそこで言葉を途切れさせた。ここからは先は個人的なことで、國原にも伝えていないことだ。それを祈咲に告げていいものだろうか。迷いが生じた。
祈咲は警察関係者でないからこそ伝えてもいいのかもしれないが、反対に一般人だからこそ言ってはいけないかもしれないというのもある。
「ただ?」
祈咲が先を促すように千里の目を見詰めてきた。黒色の瞳が真っ直ぐに千里を捉える。
「大丈夫ですよ。静馬さんに言ったりしませんから」
千里の迷いを読み取ったらしい祈咲が苦笑を浮かべて言う。彼なら、大丈夫。根拠のない自信が湧いた。そして、同時に彼に聞かせたいと思ったのだ。
「……一人の女の子が悩んでいるの」
「え?」
祈咲はこのところ静馬へと情報提供する場に同席をすることが多かった。それが静馬の意思なのか、祈咲が自ら望んでなのかは千里には知る由もない。なので、事件についての詳しい説明を省くことが出来た。
「彼女は、殺してもらうつもりなんかじゃなかったって。ただ、高学年の子だから、多少は理解していたかもしれない。けれど、それが本当になるとは思っていなかった、そんな感じだったの」
恐らく、水穂からしたら気休め程度の気持ちだったのだろう。誰かに救いを求めるという形が彼女にとって重要だったのだ。
「けれど、本当に殺されてしまい、彼女は罪悪感に苛まされている」
角田を殺したのは自分も同然。水穂の小さな心はそれだけで満たされてしまっているようだった。
「そんなこと……」
祈咲は喉を詰まらせたような声を出した。
「彼女は、結果としては救われたのではないんですか」
結果だけ見ればそうかもしれない。水穂は角田から救い出されたのだ、しかしそれはまた、水穂に新たな苦しみを与えることになった。
「だからね、その子の為にも犯人を逮捕したいと思っているの」
それが千里の正直な気持ちだった。無論、刑事として、というのだってある。刑事になった以上、悪事を見過ごすことは出来ない。例えそれが犯人が正義だと思っていることだとしても。
「そうなんですね」
祈咲は小さくそう零した。
「でも、それがどうかしたの?」
同じような質問を以前静馬の事務所でもされた。そのときに千里なりにすべきことがはっきりと決まったのだ。それは祈咲のお陰だと言えるだろう。
「いいえ、進展せずとも意識は変わらないのかな、と思いまして」
祈咲の言いたいことは理解出来た。恐らく、水穂の件がなければ千里としてもここまでの意識を持つことはなかっただろう。犯人が許せないという気持ちはあるが、ここまで絶対に逮捕してやる、といったものではないだろう。そしてここまで進展しない事件ならば、どこかで諦める気持ちになっていた可能性だってある。
千里はその全てを口にした。自分の部屋で二人きりという環境が千里の口と気持ちを軽くしたのだろう。それと、祈咲の微妙な立場だ。
一般人であって、完全な一般人でない。だからこそ話せることがある。これがたんなる友人であれば、今の会話の殆どが話せないことだ。
今回の事件はマスコミに公開していないことも多く、秘匿すべきことも沢山ある。しかし祈咲は静馬の事務所の人間なのでこうして話すことが出来るのだ。
「そうね、変わらないわ」
千里は一呼吸置いてから答えた。自分の意思は変わらない。変わることはない。
「……私には、人に言えない過去がある」
ぽつりと溢すように呟いた。しかし祈咲はその言葉をきちんと拾ったらしく、え、という声を上げた。
「だから、刑事になったの」
だから、自分が関わった事件の犯人は必ず逮捕したい。刑事を目指したときからそう考えていた。千里の過去が刑事という仕事に直結するわけではない。しかし、それでも犯罪に関わる職に就きたかったのだ。
過去を忘れない為に。犯罪を憎しみ続ける為にも。
でないとどこかで風化してしましそうだった。あの出来事は、自分とは関係のないものだと思い込んでしまいそうだった。それが悪いわけではない。もしかしたら、そのほうが幸せなのかもしれない。
刑事ではなく、普通に企業に就職して、過去から離れる。そんな未来もあったかもしれない。けれど、千里にそれは出来なかった。
言い訳が欲しかったのだ。もしかしたら、忘れられないかもしれない。過去と離れることは出来ないかもしれない。そうなったときの言い訳だ。
自ら忘れないようにしているのだ。心にわざわざ刻み込んでいるのだ。
そうすることで自分に言い訳をしているのだ。
「だから、犯罪が憎いということですか」
祈咲は静かな声で訊いてきた。勿論、今胸中で思ったことは口にしていない。けれど祈咲はそれを読み取ったかのように訊いてきたのだ。
「……そうね」
過去のことを詳しく話すことは躊躇われた。そう思ってから自分の考えに違和感を覚える。
──躊躇われた。
今までの自分だったら、いや、相手が祈咲でなければ、話すことは出来ないと思ったはずだ。なのに今は躊躇われたのだ。
祈咲に自分の過去を知られるのが怖いと思った。自分を普通の女性と言ってくれた祈咲に「普通でない」自分を知られたくなかった。
確かに自分では普通だと思っている。過去のことはあれど、今の自分は普通の女だ。多少、人と距離を取るなどはあるが、それはなんの過去もなくともそういった性格の人だっている。なので自分は「普通」なのだと思っている。
しかし、人が千里の過去を知れば誰でも「普通ではない」と思うだろう。祈咲にはそう思われたくなかった。
自然と口を閉ざしてしまい、部屋の中には沈黙が漂った。どちらも言葉を探しているように思える。それでも口を開くことはない。
「もう、遅いですね」
どれくらいの時が経っただろう。恐らく数分程度だったのだろうが、沈黙の時間はその何倍にも感じられた。
「あ、そうね」
気付けば部屋の掛け時計は夕方をとうに回っていた。窓の外も暗がりが広がっている。
「じゃあ、僕は帰りますね」
祈咲の微笑みに千里は頷いた。少しだけ寂しさを感じる。けれど彼を引き止める言葉も話題もない。
「今日はご馳走様でした」
玄関先で祈咲が丁寧に頭を下げた。はらりと白髪が揺れる。
「こちらこそ、急に誘ってごめんなさい」
千里の言葉に祈咲は笑って首を横に振る。また、白髪が揺れる。
「千里さん、得意料理ってなんですか」
唐突に祈咲が質問をしてくる。祈咲の声は耳障りがよい。
「得意料理……。そうね、ビーフシチューかしら」
得意ではあるが、なかなか作る機会はない。祖父と暮らしていたときはよく作っていた。それはビーフシチューが祖父の好物だったからだ。祖父が喜んで食べてくれるから、かなりの頻度で作った。そのため、ビーフシチューが千里の得意料理になったのだ。
「いいですね、ビーフシチュー。好きなんですよね。今度は、それを作ってくれませんか?」
「ええ、いいけど……」
「約束ですよ。では、お邪魔しました」
祈咲はそれだけ言うと、もう一度頭を下げてから扉の外へと出て行った。その後姿を、何故か引き止めたい衝動に駆られたが、腕が伸びることはなかった。




