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Wing Fighter Ν  作者: 屋久堂義尊
episode21 戦慄
62/69

第二幕

「勝沼さん」

 戸ヶ崎と五藤の前に、エメラルドグリーンの光の粒子をチラつかせながら勝沼が転がり込んだ。真っ黒いシャツと同じく真っ黒いズボンの勝沼は、明らかに消耗していた。

「勝沼君、大丈夫なの?」

 五藤もいつの間にか武装を解除して戸ヶ崎の横に並んだ。

 勝沼は肩で息をしていた。暫く蹲っていたかと思うと、彼は菱形のペンダントを首に掛けた。戸ヶ崎はそこから淡い光の粒が溢れていた事に気が付いた。

「それが力の源なのね?」

 五藤が単刀直入に口にした。勝沼はゆっくり頷いた。

「これは、深雪ちゃんから貰った物だ」

「勝沼君……」

「お前達が何を言いたいか分からないでも無い」

「でしたら、長峰深雪の事はもう!」

 勝沼は自嘲気味に笑った。それはつまり拒絶だった。

「何でそこまで彼女に拘るんです!? 勝沼さんの身体も限界に近いのに!」

「深雪ちゃんは、本来優しい女の子だった。それを取り戻してやりたい」

「無理よ」

 五藤が冷たく言い放った。その鋭さに、戸ヶ崎も思わず身を構えてしまった。五藤がそう断言したのが戸ヶ崎には意外だった。

「長峰深雪は闇に堕ちた。今やプレデターと変わらない脅威だ」

 五藤の冷静さが、戸ヶ崎は少し怖かった。そう簡単に割り切れる物では無いと、戸ヶ崎はそう思ったのだ。

「俺も、そう信じたい」

 勝沼の口から意外な答えが出た事に戸ヶ崎は驚いた。

 戸ヶ崎は彼の立場に自分が立てられないと感じていた。身内が敵に周る。それでも戦えるのだろうか……? 戸ヶ崎の眼に、両親の姿が浮かぶ。彼を拒絶した父親と母親――。それでも彼等を恨めない。郷野秋子の顔。加藤が敵に周ったら、彼は絶対に戦えないだろう。親しい人を、自ら傷付けねばならない。いや、自身が傷付けられる事も有り得る。そんな状況下で、それでも誰かの為に戦うなんて出来ない。

「深雪ちゃんを改心させる」

 勝沼はそう言い切った。

「どういう根拠で?」

 五藤は少し責めていた。そうだ、勝沼の発言は夢物語だ。実際長峰深雪は敵に周り、驚異的なパワーを見せ付けている。無視する事は出来ない。

「彼女の中に、善の心が残っているんだと俺は信じている」

「どうして?」

「俺を殺さないからだ。殺す機会は沢山有ったはずだ。メサイアの事を放置している事もそれだ。深雪ちゃんは完全な悪になっていない」

「それは楽観視し過ぎよ。長峰は、ステージを用意しているだけよ。Ξはもう、彼女では無いんだわ」

「その名で呼ぶのを止めてくれ。俺にとって深雪ちゃんはまだ深雪ちゃんなんだ」

 勝沼のその言葉は絞り出されたかのように出て来た。痛々しく、苦しい姿だった。

「ならば、勝沼君は彼女を止められると本気で言いたいの?」

「分からない……」

「五藤隊員!」

 戸ヶ崎はその問答を見たく無かった。

「もう良いではないですか! 今は勝沼さんの身体を第一に考えないと!」

「戸ヶ崎隊員、分からないの? これ以上勝沼君を苦しめない為にはこれを通過しないといけないの」

「しかし――!」

「私だって正解は分からない。でも、今こうして勝沼君と出会えたんだから、今出来る全てをしたい」

「それがこれですか!?」

「分からないの? メサイアに何か連れてられたら、もう勝沼君の意思は尊重されないのよ!」

「それは分かります! でも、これじゃ拷問です!」

「戸ヶ崎、良いんだ」

 暫く沈黙して様子を見ていた勝沼が漸く口を開いた。蹲ったままだったが、先程よりかは力が感じられた。

「俺は、メサイアに頼るつもりも協力するつもりも無い。自分の力で深雪ちゃんを取り戻す」

「そう……。でも私達はそれに協力出来ないわよ。勝沼君が前に私達の干渉を拒絶したかもしれないけれど、私達は長峰深雪を葬るわ」

「出来る物ならな」

 勝沼は少しアイロニカルに付け加えた。そしてよろよろと立ち上がると、ふら付きながら歩き出した。段々にその身体をエメラルドグリーンの光が包み込んで行く。

「勝沼さん」

 戸ヶ崎は去って行く勝沼に声を掛けた。

「自分は、メサイアの一員としてでは無く、人間戸ヶ崎伸司として、勝沼さんに協力したいです」

 勝沼は、それを聞くと振り返った。そして笑顔を見せた。

「有難う戸ヶ崎」

 その言葉を言い終わらない内に、勝沼の身体は光になって消えた。

「五藤、戸ヶ崎、応答せよ」

 気が付くと、宮本からの入電が有った。

「こちら戸ヶ崎」

「何をしていた? Νの反応が消えた。我々は次の機会を待たねばならない」

「木元隊員と金澤隊員は?」

「私達は大丈夫です」

 金澤が通信に割り込んだ。戸ヶ崎はその声を聞き、ほっと溜息を吐いた。そんな事は起こらないと信じていたが、勝沼が彼女達を傷付けていない事には安心した。

「また金澤隊員の預言が頼りか。このシステムがどうにかならないのですかね?」

 藤木がやや皮肉気味に意見を述べた。それは彼がそういうシステムを作らないといけない張本人であるといういう事を分かっていての物だった。今のメサイアの情報収集能力については藤木に懸かっている。藤木は歎いた。彼のプライベートな時間は減って行く事だろう。メサイアが給料性で無いから、残業という物も無い。

「一旦撤収しなさい。作戦を練り直す必要が有るわ」

 本郷の一声で全てが治まった。メサイア戦闘部隊は、一度δポイントに戻る事にした。


「これが結果ですか?」

 Νの存在が完全に消え失せた事を表すモニターを見た片桐は、落ち着きながらも非難の意を込めて本郷を責めた。彼にすれば、千載一遇のチャンスを棒に振ったような物に感じられたのだろう。同時に、その原因が本郷の片桐の指令を却下した事から始まったという意識がまた彼を怒らせた。彼の指示に従えば、このような事にはならなかったと彼は考えたのだ。

 しかし本郷は冷静だった。

「片桐司令、落ち着いて下さい。プレデターを取り逃がしたという事は、再度ΝやΞと接触出来る可能性は残されています」

「どういう根拠でそう言えるのですか?」

「女の勘です」

 本郷は少し軽蔑したような片桐の視線を受けながらも、にべも無く述べてみせた。

「隊員達に、CANASの警戒を続けさせて下さい」

 片桐は、押し殺すように言うと、ブリーフィングルームを後にした。本郷はそれをやり過ごすと、溜息を洩らした。片桐のやり方には時折悩まされる。本郷は、ゆっくり天を仰いだ。

「門脇隊長、これで宜しいのですね?」

 本郷の独り言は、殺風景な部屋の天井に吸い込まれるのだった。

 そこに、どたどたと足音が近付いて来た。本郷の部下達の物だった。

「畜生、あんな簡単に逃げられるなんて」

 木元の声だ。

「仕方無いよホムラ。相手は並では無いんだから」

 藤木だ。木元をフォローしているのだろう。

「金澤隊員の預言にまた頼るしか無いですね」

 五藤だ。

「同感だ」

 宮本はこんな時にも感情の乱れを一切見せない。

 ブリーフィングルームに入って来たメサイア戦闘ユニット一同は、それぞれの無事を改めて確かめたようだった。戸ヶ崎と五藤も、特別な表情を作る事をしなかった。

「皆、お帰りなさい。報告書を提出する事」

「本郷隊長、申し訳有りませんでした。私が勝沼を取り逃がしたりしなければ……」

「木元隊員、もう良いのよ。私の作戦ミスだったわ。皆を危険に曝した事を謝らせて」

 逆に本郷に謝罪されて、木元は少しまごついた。

「金澤隊員は預言の為に力を使いなさい」

「了解です」

「残りの隊員達は、報告書の提出と共にCANASやΝの哨戒を」

「は!」

 戸ヶ崎は、自分のテーブルにノートパソコンを置くと、キーボード操作に集中した。勝沼との再会は、正直戸ヶ崎を混乱させた。五藤の態度もそうだったし、勝沼の動機も気になった。長峰にはまだ善の心が残っていると勝沼は言っていた。それに賭けてしまうのは少し無謀に感じられた。

 五藤はどう考えたのだろうか。戸ヶ崎は、勝沼を人間戸ヶ崎伸司として支援したいと考えていた。だから勝沼が消えるその前に、その意思を伝えた。五藤はΞを――長峰深雪を倒す事で勝沼を救えると考えているのか?

 CANASへの警戒は続いていた。同時に作戦が練り直された。CANASの甲羅を破れる兵器が、今のメサイアにはジャベリンミサイルしか無い。プロメテウスカノンですら弾かれる。Νのクァンタムバーストでも効果が無かった。ホーリーフラッシュで、尻尾を切断は出来たが、あの甲羅は破れるか分からない。そして、ジャベリンを装備出来るのは今の所、クロウ3しか無い。本郷がブリーフィングルームで、クロウ2にも臨時のミサイルポッドを装備させる案を出したが、それが上手く行くかは分からなかった。ジャベリンを無理矢理着ければ、それだけ機体の安定性を損なう可能性が出て来る。クロウ3がその影響を受けないでいられたのは、プロメテウスカノンを装備していなかったからだ。重装備が果たして格闘戦闘機に相応しいかは分からない。戦闘相手が普通の戦闘機では無いのがまた厄介だった。ハリアーを母体としている事その物を疑って掛からねばならないかもしれない。

「本郷隊長」

 自分の世界に入ってしまった戸ヶ崎がその一声で戻って来た。気が付くと、宮本が本郷のデスクの前に立っていた。

「何か?」

「CANASへの対抗策ですが」

「ええ、聞くわ。何か?」

「現在の装備でCANASを倒すには総力戦しか無いと考えます。現メサイアのジャベリンミサイルを、CANASへ直撃させます。その傷を、的確に射撃する必要が有ります」

「で、何が言いたいの?」

「プロメテウスカノンの収束率を高めて、ジャベリンの痕を的確に貫く事を目標にしたいと考えています。そこでなのですが、プロメテウスカノンをより正確に、点を狙い撃てるように改造は出来ませんか?」

 本郷は少し俯いて黙った。そして、ゆっくりと口を開いた。

「その案自体は悪いとは思わないわ。ただ、その為に、予備として戦力を割かれるのは困る」

「プロメテウスカノンを弾く敵にはそれしか無いと思いますが」

「装備自体の改造は出来ない。宮本副隊長達の技術で補ってみせなさい」

 戸ヶ崎はそのやり取りを聞いて、CANAS攻略の難しさを改めて知った。確かに、今改造の為にハリアーMK9を予備に回すのは難しいだろう。だが頼みの綱のプロメテウスカノンが効果無いとなるとメサイアだけでCANASと戦うのは難しいかもしれない。

 それでも戸ヶ崎は戦わないといけない。勝てるか勝てないかでは無いと、それは陸自の頃から教えられた鉄則だ。彼の背中には多くの命が懸かっているのだ。無論、顔が分からないような相手だけでは無い。彼の家族だった存在も有った。両親は、もう戸ヶ崎の事を縁が切れたと考えていたろう。それでも彼は、両親を恨めなかった。メサイアの隊員は、皆何かと決別を覚えているのだろう。

 勝沼はどうなのだろうか? 彼は長峰深雪を本気で善の心を持つ存在だと考えている。戸ヶ崎達で言う所の、守りたい者は敵に周っているのだ。勝沼にとって「正解」は何なのか。

 戸ヶ崎は考え続けた。結局彼は何の力になれたのか、なれるのか、ならなければならないのか分からなかった。しかし間違い無く、CANASを殲滅する事だけはどのような事情か有ろうと優先されねばならない事態だと考えた。その一点だけは、ぶれる事無かった。

 ただ戸ヶ崎は彼の限界を感じていた。メサイアの全兵力をもってしても、CANASを攻略する事は出来るか分からなかった。いや、恐らく無理なので有ろう。ジャベリンの傷跡を正確にプロメテウスカノンで命中させるだけの技術は、メサイアに備わっているとは思えない。

 では、Νはどうか? Ν最強技で有るだろうクァンタムバーストでも、CANASにダメージを与える事は出来なかった。抜刀光線で尾っぽを切断する事は出来たが、それは致命傷にはならない。果たしてその攻撃が、真正面からのCANASに通じるかも疑問が有る。

 戸ヶ崎はただ一つこの状況を打開出来るだろう案を持っていた。プロメテウスカノンとクァンタムバースト、二つの強大なエネルギーをぶ同時にぶつければ、勝てる可能性は有ると戸ヶ崎は考えていた。ただそれが同時に不可能な事で有る事も分かっていた。何故ならば、メサイアはΝの力をツールとしか見ないであろうからだし、勝沼もメサイアに協力するつもりは無いだろうからだ。二つの間の溝は深く広かった。

「金澤隊員は何か有ったら直ぐに報告する事」

 本郷のその命令が下って、戸ヶ崎達メサイア戦闘ユニットは、報告書作りに集中するのだった。


 勝沼は、夕焼けの街に佇でいた。勝沼の胸のペンダントからエメラルドグリーンの光が淡く漏れていた。力が弱っている。それは勝沼でも分かる事だった。彼が力を酷使し過ぎたのだ。勝沼は、この力が何の為に与えられたかを考える事も有った。しかし答えは見出せなかった。何故ならば、勝沼は長峰深雪のような不条理な死を避けたい為に戦いに挑む事になったからだ。理由は様々だった。彼の家族がMABIRESに殺された事も関係していた。だが一番のモチベーションは深雪ちゃんの死を悼んでの事だった。

 しかし、彼女は敵として勝沼の前に現れた。憎むべき存在になり下がった。だが、勝沼は確信していた。

 深雪ちゃんに俺は殺せない。

 その自信は、確かに有った。長峰深雪が闇に堕ちたとしても、勝沼は殺せない。それは彼女に備わった宿業の考え方からも言えた。深雪ちゃんには、勝沼を殺そうと思っても殺せないのだ。善とか悪とか以前の問題だった。

 勝沼は、呼び掛け続ける事にした。事実今、力を弱らせ、すっかり覇気を失くしている勝沼を深雪ちゃんは襲わない。殺そうと思えば殺せるのだ。それをしない。そここそが勝沼の希望だった。

 沈みゆく夕陽を見て、勝沼は、その先を見詰めていた。あの怪物がいつまた現れるのだろうか? それを予知する力も勝沼には僅かに備わってはいたが、今は何の反応も示さない。それは、勝沼にとって救いになるのか、或いは枷となるのかは分からない。それでも勝沼は、ここで立ち止まるのが最善の策では無い事くらいは分かっていた。彼は戦うべき時が来たら戦うつもりでいた。それは、彼にしか出来ない事だった。

 そんな勝沼の孤独でガサガサになった心に、戸ヶ崎の言葉は嬉しかった。戸ヶ崎は、人間として勝沼を助けたいと言ってくれた。彼が戦力として期待出来るとかそうでは無いとかでは無い。「死んでしまった」勝沼の、数少ない友人だった。戦友だった。ただ、戸ヶ崎は勝沼とは違う。勝沼のように特別な力を持っている訳では無い。戸ヶ崎も勝沼から見れば、守るべき存在の一人で有った。勝沼は、戸ヶ崎にも生き残って欲しかった。

 勝沼は戸ヶ崎が、MABIRESと戦った後にメサイアに連れられるのを知った。MABIRESと戦ったのは、戸ヶ崎が目覚めてメサイアに身を置く前だった。勝沼は、MABIRESを倒した後に、それが誰の人生を狂わす事になるかを確認しに行ったのだ。そして、初めて戸ヶ崎と眼を合わせたのはδポイントの中だった。

 それから数奇な運命を辿った。戸ヶ崎は誰よりも勝沼を信頼していた。だが勝沼はその純粋さが戸ヶ崎を危機に陥れる結果になる事も理解していた。だから可能な限り彼を戦闘から遠ざけたかった。その戸ヶ崎が、今度は勝沼を助けると言ってくれた。勝沼は胸の奥に温かな物が流れ出すのを感じていた。

 勝沼は、ペンダントを首に掛けると、そのまま夕闇の街の中を進んで行った。街の賑わいが、勝沼に更なる使命感を与えていた。

 勝沼は戦わなければならない。どれだけ苦しい眼に遭ったとしても、彼の力は、その力に溺れる為に有るのでは無いのだ。彼は決心していた。深雪ちゃんを救う。彼女を善なる存在に連れ戻す。そして、人々を襲う残虐な化け物共を皆殺しにする。

 勝沼にはそれが出来ると信じていた。


 五藤は始末書をさっさと書き上げると、本郷に提出し、メサイア本部の屋上に出ていた。月が青く輝いていた。δポイントは紅葉が美しかった。ただその美しさは、彼女達の秘密を守る為に一般人の侵入を阻止していた為に出来た物だ。謂わばここは結界なのだ。

「勝沼君……」

 五藤はその名前を口にして、少し憂鬱そうな顔をした。五藤も勝沼に情を寄せ出した。少なくとも彼が、長峰深雪のように、人間を傷付け、それを楽しむような存在では無い事は理解出来た。そして、彼女も戸ヶ崎と同じように、勝沼を助けたいと感じていた。ただし、五藤は勝沼を救うには、長峰を倒してしまう必要が有ると感じていた。だから彼女は、勝沼の意図を無視する形を取る事になるであろう。勝沼には悪いが、長峰深雪は敵だ。憎むべき敵、倒すべき敵だ。勝沼は彼女をライトサイドに引き戻そうと考えているようだが、勝沼の肉体がそこまで耐えられるかは何とも言えない。いや、無理だろう。長峰に勝沼が翻弄されて、嘲笑の中力尽きる姿を想像すると、五藤はやってられなかった。

 五藤は決意していた。長峰は、彼女が殺す。

 それが勝沼へ出来る五藤の精一杯の愛だった。

 五藤の決意は固い。ただ、迷いも有った。もしも、Ξが倒れたとしたら、勝沼はΝの力を失う可能性も有る。その時、メサイアが勝沼をどう扱うかだ。戸ヶ崎がブレインブレイカーを使われて、勝沼の事を上に漏らした事が、ここに来て障害となるとは。五藤が匿う事はほぼ無理であろう。

 屋上からは、紅葉が美しい。鹿が鳴く声が聞こえる。

 五藤は胸が苦しくなった。たった独りでプレデターやΞと戦い、身を削る勝沼の事を思うとやり切れないのだ。彼女に出来る事は限られている。メサイアはΝを攻撃対象として認識している。それをどうにかしたい。本郷は薄々感じているかもしれない。だが本郷にしても、まさか勝沼の事を野放しにしたままでいる事を良しとする事は無いだろう。

 五藤は勝沼と協力が出来れば良いとも思ってはいた。ただその為に、勝沼がメサイアに自由を奪われてしまうのはいけない。それでは無意味なのだ。勝沼が特別な力を持ってしまった事は、或る意味悲劇だ。しかしそれも一方的な見方だ。

 本気を出した勝沼ならば、仮にメサイアに掴まったとしても、メサイアから脱出する事なんか簡単な事だろう。

 勝沼は一体この力をどうするつもりなのだろう? 長峰深雪が倒されれば、勝沼の戦いは終わるのだろうか? プレデターが現れる限り、勝沼はΝとなり戦ってくれるのか? どれも不確定要素だ。もしも、勝沼が、長峰のように、その力の強大さに呑まれてしまったらどうなるのかを想像すると寒気がした。勝沼君と戦わなければならない時が来るかもしれない……。そうなる前に勝沼を、プレデターと関係の無い所にまで持って行きたかった。五藤の些細な願いだ。

 ただ、それはもう望めないだろう。そうすると、メサイアの一員となって戦う事の方が現実的である。

 勝沼君の横に並んでいたい。勝沼君が苦しい時は、一緒に悩んであげたい。長峰深雪の事なんか忘れて一緒に戦う道を選んでも良いのではないか? 五藤はあの時、そう言えば良かったと思った。戸ヶ崎隊員が、人間として勝沼君を支援したいと言った時に、自分もそうだと言えば良かったと五藤は思っていた。あの時その言葉が出なかったのは、五藤にそこまでの覚悟が備わっていないからだった。

 五藤は胸を押さえた。臆病者。自分をそう罵った。勝沼君の事を考えると、こんなに苦しいのに……。

 何の痛みなんだろうか? 勝沼君の何を思って苦しいのか……? この感覚は何なのか?

 五藤は盛大な溜息を漏らした。自分はどこからこんなに弱くなったのか。人は変わって行く物だと歌なんかでは歌われている。所がそれが自分の事になると考える人は何人いるのだろうか? 五藤は自分で気を付けて、厳しい人間を演じていた。それを変えたのは、勝沼君との出会いからか、戸ヶ崎隊員の影響か、どちらもか? 五藤は頭を振った。今は戦うしかない。勝沼君を楽にする為にも、プレデターを確実に仕留めねばならない。今はCANASだ。CANASを倒し、Ξを倒して、勝沼君を助ける必要が有る。それが五藤の出来る最大の力添えだった。

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