第三幕
CANASが地面に穴を掘り出した。逃げる算段だ。
「どうするの?」
五藤は思わず、誰とも無しに聞いた。CANASの傷口を狙って、クロウ1が攻撃を仕掛けていた。それを見て、戸ヶ崎も五藤を促す。
「今は眼の前の敵を叩きましょう」
「ええ……そうね。私とした事が……」
最後の言葉は五藤の自戒の念が込められていた。五藤は照準を合わせると、メーザーバルカンを放った。その攻撃は、地を薙ぐようにCANASの傷口を狙った。ジャベリンミサイルを使う事も忘れていなかった。だがそれでもCANASは動きを止めなかった。
「何とか止めろ」
宮本の指示が聞こえた。
「せめてもっとダメージを与えないと」
木元が呟いた。木元にしては珍しく弱気だ。だが、放たれたメーザーバルカンでさえ、当たり所が悪ければCANASの甲羅に弾かれてしまう。狙いは正確さを求められる。CANASは一方、どんどんと地面に沈んでいく。
そこに、突如光の刃が放たれた。それはCANASの長い尾を、根本から寸断した。さすがのCANASもその痛みには耐えられないか、地面を掘削する作業を止め、悶え苦しんだ。光の刃の放たれた元を辿ると、そこには黒煙の中で立っているΝの姿が有った。Νの瞳が僅かに輝いた。抜刀する形から放たれたホーリーフラッシュは、CANASの装甲に覆われていない剥き出しの肉と骨を切断したのだ。
悶え苦しむCANASだが、Νの追撃は受けなかった。Νが膝を突いて、そのまま地面に倒れてしまったからだ。
「勝沼さん」
「勝沼君」
クロウ3での二人のパイロットは、思わずその名を口にした。一方体液を撒き散らしながら、切断された尾が、まるで意思を持つように本体とは離れてΝに襲い掛かった。Νはその打撃を受けて、更に後退した。
「くそ、デコイだ」
藤木の呟きが聞こえた。CANASは尾っぽを残して、本体は地中に向かって進み出した。切断された尾の断面から流れる体液が、本当にこの僅かな時間で止まった。ホーリーフラッシュの斬撃では、仕留め切れないのだろう。クロウ小隊やΝが尻尾に気を取られている内に、CANASは地中に消えた。そしてそれから暫く経たない内に、CANASの尾っぽも、意思を失った肉片へと変わった。
倒れ込み、動く事が無いΝ。その痛々しい姿を見て、戸ヶ崎は言葉を失った。Νの必殺の一撃でも、CANASを仕留める事は出来なかった。もはや絶望しか無い。一体どうすれば――?
Νの身体が光の粒子になって消えようとしていた。
「皆さん、指令を覚えていらっしゃいますか?」
片桐の声が聞こえて、戸ヶ崎はハッとした。
「クロウ小隊、Νの人間体を確保しなさい」
それは本郷の声だった。メサイアが、勝沼さんの事を欲しがっている。その事実は、勝沼の身の自由を奪う結果になると戸ヶ崎は思っていた。
「了解。クロウ1、クロウ2、クロウ3、着陸して周辺を調べろ」
宮本の声には抑揚が無かった。
そして、金澤は沈黙を守り続けていた。
「戸ヶ崎隊員、着陸して」
「ですが――」
「落ち着いて。私達が彼を見付け出せたならば、それで何とか誤魔化せるかもしれない。どの道、勝沼君が今危機に瀕している事は確か。治療が必要ならば、一時的にでもメサイアを利用してやるのも手だわ」
「一時的だなんて可能なのですか?」
「彼の力は、私達の物を越えているのよ? 信じましょう」
五藤は言い切った。戸ヶ崎はその言葉を信じるしか無いと感じるのだった。
「了解です、着陸します」
戸ヶ崎はそわそわする気持ちを抑える事に注意を傾けるのだった。
「彼が捕まるとお思いですか?」
メサイア本部δポイントのブリーフィングルームで、本郷は傍らに立つ片桐に聞いた。
「Νですから勝沼竜ですね? 捕まえてみせましょう。それが私達の戦力増強に繋がります」
本郷は眉を顰めた。片桐は自信過剰だと思えた。仮に勝沼を捉えたとしても、あの力を抑えつけられるだけの能力が、メサイアに有るのだろうか? そこは勝沼の心という非常に厄介な物を縛り続けねばならない。そこまでの実力を片桐は持っていると思っているのだろう。今一つ解せない。もしも片桐の策に勝沼が逆らい、メサイアを攻撃するような事態になれば……。本郷は背筋に冷たい物が走るのを感じた。
「メサイアは彼の力を手にしなければなりません。それが私達がプレデターを圧倒出来るだけの力の獲得に繋がります。巨人の姿をした彼には勝てなくても、人間の姿をした彼ならば捕らえる事も出来るでしょう。私はそう踏んでいます」
「危険だと私は感じますが」
本郷が本音を漏らすと、片桐はフッと笑った。
「失敬。もしも私の憶測が正しければ、勝沼竜は人間体の時に力をフルで発揮出来ないでしょう。もしもそれが可能ならば、邪魔な私達にもっと早くから手を打つ事が出来たでしょう。私達を泳がせた意味は、彼にはメサイアとまともに戦う理由が無いパターンと、戦っても勝ち目が無い事が分かっているパターンの二つが考えられます。どちらにしても、彼がメサイアと真っ向から戦う事は出来ないのでしょうね」
本郷はそれを聞き、片桐が無考えにこの指示を出した訳では無い事を知った。本郷としても、勝沼の力は魅力的だ。単体でプレデターを倒せる唯一の存在だ。その力が、科学で解明出来るならば物にしたい。日本の専守防衛を越える結果になったとしても、メサイアの戦力は強い方が良い。メサイアは少ない戦力でより大きな力を求められている。それは、Νの力を明らかにする事で得る事が出来るか、或いはもっと平和的に勝沼と同盟を結ぶ事が出来るか、そのどちらもかが出来るかで求められる。
「本郷隊長も、これ以上犠牲を増やしたくは無いですよね?」
片桐は意地悪く笑いながら本郷に振った。本郷は頷くのだった。彼女がここまで至るまでに、メサイアはどれだけ犠牲を払ったか。それを思うと、勝沼の力を手にする事は可能だとしてより迅速に行われる方が良い。そこに勝沼の意思は関係無いのかもしれないと本郷は感じた。いや、勝沼だけでは無い。本郷や戸ヶ崎達の意思も、その存在の前には無意味なのだ。
「分かりました、メサイアに賭けます」
本郷は吐き出した。今はそれしか無い。
「宮本副隊長、用心しなさい」
「は」
本郷はブリーフィングルームのデスクに身体を預けるのだった。
「こちら藤木です。Νの反応をキャッチしました」
「そんな物が有るのですか?」
戸ヶ崎が腕時計型通信機に問いかけた。
「Νの粒子を追う事は出来る。ただ反応は弱い。今の科学の限界だね」
「分かるならば良いわ。追えるの?」
五藤もその情報に興味を持った。五藤としても、戸ヶ崎の考えている事と同じ思いをした。もしもそれで勝沼の居場所が特定出来るならば、それで彼等が先回り出来る。
だが現実はそう甘くは無い。
「残念ながら、特定のポイントに絞る事はまだ出来ない。でも、確実にこの作戦エリアにはいるね」
藤木の自信に満ちた発言が戸ヶ崎達を後押しした。
「反応が弱いのは、彼が負傷しているからでしょうか?」
そこに金澤の声が交じった。
「いや、金澤さん、そうとは限らない。今までも大きな反応を得る事は出来なかった。寧ろ、金澤さんの能力の方が正確だと思うけれど?」
藤木の声には多少、皮肉の色が見えた。金澤は、一言「すみません」と返した。
「兎に角探しましょう。Νが消えた地点が一番怪しいですぜ」
木元が提言した。戸ヶ崎と五藤もそれに従う事にした。
「各位、イグニヴォマのロックは解除して置け。二人一組で行動する。何か異変を察知した次第直ぐに連絡を」
「了解です」
隊員達は、それぞれ警戒しながら、ΝがCANASと戦って倒した雑木林の中を進むのだった。
「どうするのが正解だと思う?」
五藤と共に、森の奥へ向かった戸ヶ崎は不躾な質問に少したじろいだ。あれ程積極的に動いていた五藤ですらも悩んでいたのだろう。その事は戸ヶ崎にも充分理解出来た。
「正解と言われましても……」
戸ヶ崎も逡巡を覚えた。ただ先程のたじろぎは見せなかった。彼は勝沼の無事を確認したかった。その後、彼を逃がすかどうかは別の判断基準からだ。傷が深いようならば、メサイアの医療機関を利用して回復して貰う事も出来る。勝沼も戸ヶ崎達メサイアをもっと利用すれば良いと感じていた。戸ヶ崎は少し思いを変えていた。彼はメサイアに勝沼が利用される事は避けたかった。メサイアが勝沼の権利を侵害して行く路線で進める事は明らかだったからだ。だが、勝沼に自分達が利用される事に関しては許せた。寧ろ、それは歓迎されるべき事態だと思っていた。その為に、勝沼とメサイアが接触するのは構わないと考えを変えたのだ。
他の隊員達よりも早く、勝沼と会わねばならない。戸ヶ崎はその想いに囚われた。金澤が預言をしなかったのは幸いだった。彼女が勝沼の居場所を特定してしまえば、戸ヶ崎や五藤の考えや迷いは、発生する間も無く消滅するだろう。戸ヶ崎はそういう面で、金澤に感謝した。
戸ヶ崎と五藤は、倒された木々の間を縫って奥の方へと進んで行った。
勝沼は、しっとりと濡れた地面に転がっていた。身体を動かそうとしても、言う事を聞かない。思ったよりも酷い傷なのか? 勝沼は頭を振った。視界がぼやけている。もう一度振ると、周りがしっかり見えて来た。
「俺は……負けたのか……?」
勝沼は、もう一度踏ん張ると、ゆっくり足を曲げてみた。どうやら反応速度が少し鈍っているらしい。だが動かない事は無い。足はちゃんと曲がっていた。その曲げた足に力を込めて、上体を持ち上げてみた。鈍痛と眩暈がしたが、上半身がしっかりと起き上がった。
周りを見るとちょっとした雑木林の跡だった。彼とCANASの戦いで辺りは生臭い匂いが立ち込めていた。少し遠くの方を見ると、勝沼が切断したCANASの尻尾が転がっていた。匂いの原因はあれだった。勝沼は立ち上がる事にした。腕を地面に押し付けて、身体をゆっくり持ち上げた。だが、途中で頓挫した。痛みが身体を走ったのだ。
勝沼は不恰好に転んでしまった。そうか、今は無理か。勝沼は諦める事にした。まずは休まねばならない。自分も非力な物だと勝沼は自嘲した。今回はまだマシだった。長峰深雪が現れなかったからだ。深雪ちゃんと、俺は戦わないといけないのか……。勝沼はその運命を呪った。しかしここ暫くは、深雪ちゃんは現われていない。改心した、とは考えにくい。きっと彼女も今は力を蓄えているのだろう。
勝沼は、自分から動く事にした。彼はもう一度プレデターと戦う事を決断したのだ。深雪ちゃんと戦う事になるだろうとも予測出来たが、それはそれで仕方が無かった。割り切れた訳では無いが、プレデターの攻撃でもっと多くの人間の犠牲を考えると、彼はその力を使わずにはいられなかった。
ただ、勝沼には別の悩みが有った。その力を与えられた彼は、何の為に戦うかを見失ってしまったも当然だった。深雪ちゃんへの贖罪の意味で戦っていた勝沼だが、それが深雪ちゃん自身と戦っている。彼の中には迷いが有った。
そうだ、深雪ちゃんへの罪滅ぼしの為に戦って来た。それがどうして彼女と戦う事になってしまったのか? 深雪ちゃんは何を求めているのか? 彼を責めているのか? 一体彼女は何がしたいのか? そして、彼女と戦う事にどんな意味が有るのか?
勝沼は、首から下げている菱形のペンダントを手に握った。エメラルド色の光が弱々しく鼓動していた。そのエネルギーを受けるたびに、勝沼は力を取り戻して来た。だが、その光はどんどんと弱まって行くようにも思えた。巨人の力も、限界が有るのだろうか。勝沼は、ペンダントを首から外した。そして、まじまじとそれを見た。深雪ちゃんがくれたそれ。ただのプラスチック製の簡単なペンダントが、今は不思議な力の源になっている。勝沼は、それを投げ出したい衝動に駆られた。
だが、止めた。そんな事をしても始まらない。
彼は、立ち上がれるかを試してみた。しかし右足が痛んだ。見てみると出血していた。量は然程では無いものの、傷は深そうだ。勝沼は傷口の根元を押さえた。赤黒い体液は、一瞬その量を増やしたものの、直ぐにそれを減らした。ただ、痛みは取れなさそうだった。勝沼は、溜息を漏らすと、足を投げ出すのだった。拘束を解かれた足の傷口から再度血液が溢れた。
この手はあまり使いたく無かった。だが勝沼はそれを使うしか無いと分かっていた。
彼は手にしたペンダントを、右足の傷口に当てた。暫く何の反応も示さなかったそれだが、傷口に接触した時様子を変えた。淡い光だったのが、一気に強まった。眩しいフラッシュのようなエメラルドグリーンの光は、渦を描きながら勝沼の傷口に吸い込まれて行った。激しい光は、傷の端から、パズルのピースを埋め合わせる如く傷口を塞いで行った。ペンダントの光が最も強まった瞬間、傷口は完全に消えていた。痛みも一切無くなっていた。勝沼は足を伸ばしたり曲げたりして、様子を見た。大丈夫らしい。
「動くな!」
勝沼が立ち上がろうとした時、女の声が聞こえた。
木元ホムラは、その光景を目の当たりにした。雑木林の奥に向かって、彼女と金澤は二人でイグニヴォマを抱えて向かっていた。そして彼に出会った。林の奥に座り込む男。まだ若い。その男を見た時、木元は違和感を感じたのだった。そこで、暫く彼の様子を見た。
男が右足に左腕を近付けた時、眼も眩むような閃光が走った。そのエメラルドグリーンの光を見た時、木元は確信した。彼がそれだと。
だから彼女は、イグニヴォマをレーザーライフルモードにすると、一気に前に出たのだった。金澤も、遅れる事無く自分のイグニヴォマをバルカンモードにして、前へと一歩出た。
「勝沼竜だな?」
木元の額に汗が浮かび上がる。落葉の音が静かに聞こえる中、三人の間に緊張が広がった。木元が銃を構えたまま、左手の腕時計型通信機に口を近付けた。
「こちら木元、勝沼竜と接触」
「了解した。今、合流する」
宮本の声が返って来た。
「木元隊員、勝沼さんに変な事しないで下さい」
「戸ヶ崎君、私を心配してよね」
軽口を叩く余裕を見せた木元だが、通信機から口元を放すと、再度注意を全て勝沼に向けた。
一方勝沼は、特別動きを見せなかった。彼は棒立ちのままだった。顔も無表情だ。
「木元隊員、どうしますか?」
金澤が問う。
「取り敢えず現状維持ね。勝沼竜、こちらの指示に従いなさい」
強い口調で述べた木元だが、次の瞬間その言葉は掻き消えた。
勝沼は左腕のペンダントから猛烈な光を放った。眩いフラッシュだ。木元は眼を庇った。続いて金澤のイグニヴォマからバルカンの弾が放たれた音がした。
次の瞬間、辺りは静寂に包まれた。
「勝沼は?」
木元が聞いた。
「……光の粒子になって消えました……」
金澤は呆然としていた。それは当然の事だった。
「木元、金澤、どうした?」
宮本の声が木元の通信機から聞こえた。
「副隊長、逃げられました……」
木元はさも無念そうに報告するのだった。
「急ぎましょう、木元隊員達が勝沼さんを捉えたようです」
戸ヶ崎はイグニヴォマの重量も忘れて走った。五藤がその後に続く。
「戸ヶ崎隊員、あれは?」
五藤がイグニヴォマで指した先に、エメラルドグリーンの光の粒子が集まった。その中から、ボロボロの黒い服に身を包んだ男が転がり込んで来た。戸ヶ崎はそれを見て直ぐに分かった。勝沼だった。
「勝沼さん!」
戸ヶ崎はその影に男――勝沼竜に近付いて行った。五藤もそれに倣った。
「戸ヶ崎……、それに五藤……」
勝沼はゆっくり立ち上がると、二人の名を口にした。その顔には疲れが見えた。
勝沼は悲しそうな瞳で、二人を見た。戸ヶ崎もそれに返したのだった。




