第二幕
戸ヶ崎がδポイントに戻ると、ハンガーデッキに本郷と金澤の姿が有った。戸ヶ崎はクロウ3から降りると、スポーツドリンクをがぶ飲みした。その戸ヶ崎の元に本郷が歩み寄った。
「戸ヶ崎隊員、交代の時間よ」
本郷が当たり前のように述べた。
「五藤隊員は?」
「今度は私達が飛ぶわ」
戸ヶ崎は怪訝な思いになった。
「五藤隊員に何か有ったのですか?」
「いいえ」
「では何故隊長達が?」
「金澤隊員を慣れさせる為よ」
戸ヶ崎は眉を顰めた。金澤を戦場に引きずり出したく無い。戸ヶ崎は、金澤にどうなのかという視線を向けた。
「戸ヶ崎隊員、お願い」
金澤の口から出た願いに戸ヶ崎は更に怪しい物を感じた。
「偶にはガールズトークでもさせなさい」
本郷はそう言うと、戸ヶ崎の眼の前で掌をひらひらさせて、クロウ3へ向かうのだった。
二人の女性隊員を乗せたハリアーMK9は、藤木のクロウ2と哨戒を交代するべく、垂直離着陸するのだった。
戸ヶ崎はブリーフィングルームに肩を怒らせ入って行った。
「副隊長! どういう事です!?」
戸ヶ崎は宮本に噛み付いた。宮本は腕を組んで自分のデスクに座っていた。
「金澤隊員まで出る事無いではないですか!?」
「戸ヶ崎君、随分熱いのね」
木元がからかうように言ったが、普段の明るさは無かった。
「戸ヶ崎、金澤が望んだ事だ」
宮本が漸く口を開いた。戸ヶ崎はそれを聞き、更に苛立ちを増加させた。
「彼女は何も知らない民間人です! 自分達とは違うんです!」
「それは過去の話だ」
「しかし……!」
「止めなさい戸ヶ崎隊員」
五藤が制した。彼女は真っ直ぐに戸ヶ崎の眼を見ていた。まるで、戸ヶ崎に穴を空けようとしているかのようにだった。その眼力と言うか、それに戸ヶ崎は圧倒された。戸ヶ崎は口を塞いだ。怒りの想いは消えなかったが、突っ掛かる気持ちも失せてしまった。
「大丈夫よ、本郷隊長が付いている」
五藤はそう添えると、コーヒーを啜るのだった。
戸ヶ崎は、宮本に謝ると、屋上に向かった。
空は曇天だった。それは戸ヶ崎が飛んでいた東北の空とは違っていた。MABIRES-IIを逃してしまい、この第二種警戒態勢からメサイアは解かれる事が無かった。そして、メサイアが、戦力的に苦しい現状も戸ヶ崎は感じていた。圧倒的な人員不足だ。金澤のような民間人にすら頼らなければならない。ただ、資格が要る。プレデターの事を記憶出来ないといけない。そこは大きい。メサイアは「選ばれた存在」による部隊なのだ。
戸ヶ崎は諦めたように口から息を大きく吐いた。
「勝沼さん」
思わず彼の名前を呟いた戸ヶ崎は頭を振った。彼こそ民間人ではないか。勝沼が何もかも背負って命懸けで戦う必要は無いのだ。強いて言うならば、長峰であろう。ただ長峰が現れる前から、勝沼は戦い続けていた。もしも、勝沼の言う事が正しければ、先に現れたMABIRESが、勝沼の最初の相手であったのだろう。ほぼ、戸ヶ崎と勝沼とは同時にプレデターに挑んでいたのだ。
勝沼の力は、戸ヶ崎も認めていた。恐らくメサイアでは勝沼の力を越える兵器を作れないだろう。それが戸ヶ崎を逆に追い詰めていた。メサイアは、勝沼の力を借りようとしている。戸ヶ崎も時折勝沼の能力に頼らないといけないのでは思う時が有る。それを制する事が段々と出来なくなる事に戸ヶ崎は焦りを覚えた。
「ここにいたのね?」
戸ヶ崎が遠くを見据えていると、五藤がやって来た。
「五藤隊員は平気なのですか?」
「平気? 金澤隊員の事?」
「ええ、金澤さんはただの民間人です。自分達のように特別な訓練を受けた訳では無いです。ただ――」
「偶々、プレデターを記憶する事が出来たと言いたいのでしょう?」
「そうです」
五藤は呆れたように戸ヶ崎の視界を遮った。
「民間人とかそうでは無いとか、それは関係無いわ。彼女に戦う意思が有る以上、私達は同志よ」
「でも、武器を持って戦うなんて、おかしいですよ!」
「そう思うならば、彼女を止めてみなさい。彼女が抱いている罪悪感を思えば、そんな甘い事は言えなくなるわ」
五藤は冷たく言い放った。そして続けた。
「戸ヶ崎隊員、金澤隊員のような人間が一人だけだと思う?」
「預言者がって事ですか?」
「いいえ違うわ。プレデターの事を記憶出来る存在よ」
「自分はそんな事を確認される前から拘束されていました。なので、メサイアがどういう情報網で、メサイアの人員を集めているか分かりません」
五藤はそれを聞き、苦しい顔をした。
「脳波をチェックするのよ」
「脳波?」
「海馬を見るの。貴方はきっと意識が無い内にそれをされたのね。こうは思わない? プレデターの存在を記憶出来た人間はその恐怖にどうにも出来なくなる。誰も彼等の話を聞かない。或いは精神疾患と見なされ、どこかに幽閉されるという結末が待っている」
戸ヶ崎は渋い顔をした。メサイアが、戸ヶ崎を脅迫した事を思い出した。そう、彼がメサイアに入らなければ、精神病院へ送ると。しかも閉鎖病棟に。電気治療を受けるとも言われた。
「寧ろ、メサイアにいる方が幸せなのと私は思う。一応そういう仲間に囲まれる訳だから。それだけでも意味が有ると、私は思う」
戸ヶ崎はその言葉に少し五藤へのイメージを変えた。五藤がただ厳しいだけの堅物では無いと分かったのだ。
「本郷隊長は良く分かっていらっしゃる。金澤隊員に無茶な事はさせない」
「ええ……」
「さあ、ブリーフィングルームへ戻りましょう。何か有ると動けないわ」
「はい」
五藤に導かれて、戸ヶ崎は屋上から降りる階段へ向かうのだった。
本郷と金澤を乗せたクロウ3は、宮城県上空を飛んでいた。MABIRES-IIの姿は見当たらない。金澤の預言も今の所無い。金澤は後部座席で精神を集中していた。本郷はそれを気にしながら、機体を上空高く飛ばした。
「金澤隊員」
本郷は、ヘルメットのインカムのスイッチを切ると、後部座席に語り掛けた。
「何ですか、本郷隊長?」
金澤が応じた。彼女が眉間に皺を寄せている事は本郷には分からなかった。ただ、それでも本郷は、金澤の声の硬さには少し引っかかりを見せた。
「そう形式ばらないで」
「はい」
「インカムのスイッチを切って良いわ」
「え?」
本郷は軽く笑った。
「ガールズトークするんでしょ?」
「あれは戸ヶ崎隊員を何とかする為の口実なのでは?」
それを聞き、本郷はくすくす笑った。
「私が嘘を吐く人間に見えて?」
「いや……その……」
本郷は笑いを抑えられないでいた。
「だから、そんなに構えない。インカムのスイッチを切ってね」
「はい」
金澤は言われるままにインカムを操作した。その音を聞いて、本郷は操縦桿を握りつつ後ろに話し掛けた。
「私は、別に貴方を無理矢理戦場に引き摺りだすつもりは無いわよ」
「ですが」
「貴方には貴方の役目が有ると思う。無理に焦る必要は無いと思うの」
「しかし、他の皆さんは身を張っていらっしゃるではないですか?」
「それは、そういう役目を持っていたからよ。貴方までそんな風になる必要は有ると思うの?」
「そう言われましても……」
「戸ヶ崎隊員がね、怒る理由も分かるわ。私達が貴方を軍人や警察官と同じように扱うなんて、おかしいと思うのも納得出来るお話でしょ? だから、この先は貴方が決めなさい。誰にも左右されず、貴方の好きなように。周りなんかどうでも良い。メサイアに入った以上、あまり自由は利かないけれど、その中でも選択肢は有るわ。無理に戦場に出なくても良いのよ」
「ですが、木元隊員が仰られるように、それは甘いのではないですか?」
「他人は他人よ。貴方で決めなさい。その為に一人で考える時間を、私が作ったのよ。この先どうするか、考えてみたら?」
「この先どうするか、ですか……?」
「そう、その為のフライトよ。有意義に使いなさい」
本郷はそう言うと、インカムのスイッチを戻した。
宮本は、δポイントで司令代理を勤めていた。そんな彼は、一時本郷と連絡が取れなくなった事に肝を冷やした。宮本は一瞬、出撃するべきなのではないかと感じてしまった。だが、直ぐに本郷の通信が回復した事に安堵の息を漏らした。本郷に何が有ったか問いたい気持ちも有ったが、それが野暮天であるだろうと宮本は暫くして悟った。金澤を連れて、本郷がフライトへ出た事は、彼女の中に何か考えが有っての事だろうと宮本は踏んだのだった。それくらいは考えられる心を宮本は持っていた。
宮本と本郷との仲は長い。前の隊長である門脇が殉職する前から、二人は一緒に行動していた。無論、宮本よりも前に本郷は隊員として過ごしていた。彼女は宮本が入隊して、直ぐに副隊長の立場に立った。それは彼が二十三歳の頃だった。今、二十九歳の宮本だから、もう六年前になる。メサイアの人員は、湯水のように使われていた。門脇が殉職したのが、一昨年。それからは本郷が隊長として、宮本を副官にしながらメサイアの戦闘部隊を仕切っていた。宮本が入隊した頃には、片桐は隊員をスカウトしていた。本郷は、片桐と接する事が多いように宮本は感じていた。それだけ彼女が期待されているという事なのか。宮本が知っている本郷は、物事を簡単に断ぜるタイプだった。そういう面が、片桐の信用を買ったのだろう。宮本には中々出来ない所だった。
その本郷が、金澤を連れた。そこに何の意図が有るか、宮本は分からなかったが、今はそっとして置こうと思っていた。本郷のやりたいようにさせたかった。だがそれを、この男は許さなかった。
戸ヶ崎伸司である。
戸ヶ崎の言い分は明確だった。元々非戦闘員だった金澤をメサイアが戦いに引き摺り込むのは間違いだと言うのだ。それは、宮本に言われても正直困る話だった。だが、戸ヶ崎の怒りは晴れなかった。
「納得行きません」
五藤の説得も有り、幾らか落ち着きを見せた戸ヶ崎だったが、彼の根本の不満は取り除けていなかった。ただ、宮本に言わせれば、それは仕方が無い事だった。宮本も今まで色々な隊員を見て来たが、あそこまで戦いから離れている人間を見たのは初めてだった。ただの女の子ではないか。それが彼の金澤への第一印象だった。だがそれでも彼女は隊員なのだ、特別扱い出来るのだろうか。仮に彼女を戦場に出さないとしたら、預言を告げるだけの演算機械にするしか無いのだろうか。本郷に賭けるしか無い。宮本は投げた訳では無い。ただ、本郷の考えに任せてみる事にしたのだ。
宮本は怒れる戸ヶ崎を放置して、レーダーに気を配った。今の所反応は無い。本郷からも報告が無いという事は、金澤の預言も無いのだろう。結局、MABIRES-IIに関して決定打は打てないままだった。宮本にとってはそちらの方が重要だった。
夕暮れ時になった。本郷と金澤を乗せたクロウ3は女川町上空を低速で飛行していた。
「隊長、そろそろ限界では?」
宮本からの通信だった。本郷はそれを聞き、暫く黙った後、「了解」と返した。
「MABIRES-IIには出会えなかったわね」
本郷はゆっくり息を吐きながら述べた。金澤はそれを聞き、何だか辛そうな顔をした。
「私の預言もあてにはならないですね」
弱々しく述べた金澤だが、本郷は特別気に留めなかった。
「良い。金澤隊員は良くやっている。だから気にしないで良いわ」
「ですが」
「役目が決まっていると思えば良いの。貴方は貴方の役目が有るわ。それで良いじゃない」
「はい」
「二人きりも良いわね。またフライトしましょう」
本郷が明るく返すと、金澤も不器用な笑みを浮かべた。
その時だった。
「あ!?」
金澤が声を出した。
「どうした?」
本郷が問う。
「来ます。奴です」
「場所は?」
「美里町です」
本郷はそれを聞くと、急いで宮本へ通信を入れた。無論、出撃の命令を下す為だった。
「預言が有ったのですか!?」
δポイントのメサイア本部で、アラートが鳴り響いた。イグニヴォマを抱えながらクロウ2へ向かう宮本に戸ヶ崎が問う。
「そういう事だ。お前もすぐに出ろ」
「しかし、クロウ3は……」
戸ヶ崎は言葉を濁した。宮本もそれを聞き、少し考え込んだ。
「五藤と戸賀崎は地上から攻撃をしろ。木元と俺達で奴を仕留める」
「了解です」
五藤が応じた。
「戸ヶ崎隊員、行くわよ」
「分かりました」
戸ヶ崎と五藤は、イグニヴォマを抱えると空輸機に向かって走るのだった。
「目標は!?」
本郷が金澤に聞く。
「あれです!」
雲海の下、巨大な影が見えた。本郷はそれに狙いを定めた。ドックファイトの始まりだった。本郷は振動ミサイルの発射ロックを解除した。そして、雲の下へと潜って行った。コックピット内で、本郷が不敵に笑った。
「さあ、行くわよ」
本郷は目標を捉えた。MABIRES-IIだった。
クロウ3は振動ミサイルを放った。それはMABIRES-IIの背中に突き刺さった。爆発が起こる。
「やったか?」
本郷はその爆炎の中を通過した。
“GWOOOOOOOOO!!”
けたたましい叫び声が聞こえ、クロウ3の背後にMABIRES-IIが迫った。
「簡単には行かないよね」
本郷は敢えてMABIRES-IIの眼の前に出た。相手は自分だと認識させる為だった。囮になるつもりだ。
MABIRES-IIは六つ眼を光らせると、口を開けた。そこに炎が宿る。火球が放たれた。本郷はそれを軽々と避けてみせた。しかし……。
「くうっ!」
本郷の背後で声がした。そうだ、金澤が一緒だったのだ。本郷のアクロバティックな飛行が、金澤には苦しいのだ。
「仕方が無い」
本郷はハリアーMK9を急減速させた。MABIRES-IIは一気に接近して来たクロウ3を噛み砕かんと、大口を開けた。しかし、その牙の餌食になる程本郷はのろまでは無い。本郷は一見失速したかのように見えたクロウ3を、急旋回させて避けてみせた。その一瞬の衝撃に、金澤が再度唸ったが、本郷はそれを聞き流した。
「ごめん、金澤隊員。貴方にはまだ無理だったわね」
本郷は急下降したクロウ3を持ち上げて、MABIRES-IIの背後に再度ついた。MABIRES-IIはそれを知っているのか知らないのか、本郷と金澤を無視する事にしたようだ。MABIRES-IIの次の目標は、矢張り餌となる人間を乗せたバスだった。
MABIRES-IIが一気に地面に向けて翼を畳み降下していった。
「人口密集地帯には入れない!」
本郷は再度、振動ミサイルを放った。
MABIRES-IIは急にコースを変えて、ミサイルを回避した。
「やる!」
本郷は複雑な動きを見せるMABIRES-IIを追おうとした。しかし思い止まった。金澤が一緒だ。
「隊長……私に構わずに……マビレスを!!」
金澤が苦しみながら口にした。本郷はそのか細い声を聞いた。
「ゴメン、金澤隊員!」
本郷はコックピット横のレバーを引くと、アフターバーナーを全開にして、機体を急加速させた。凄まじいGが掛かったが、本郷は平気だった。金澤は必死に堪えていた。
「相手はこっちだ!」
本郷はミサイルとメーザーバルカンでMABIRES-IIを狙った。何度か避けたMABIRES-IIだったが、遂に一撃直撃を浴びた。MABIRES-IIは真っ赤な六つ眼を怒りに光らせて、本郷の後をもう一度追いだすのだった。




